第10話
その視線に、美月と私は一瞬だけ迷った。
だが――
ここまで来て、断る理由はなかった。
「……はい」
気づけば、そう答えていた。
昭人くんは満足そうに微笑むと、歩き出した。
私私と美月は、自然と顔を見合わせる。
「どうする?」
美月の視線が、私に判断を委ねてくる。
少しだけ考えた。
ここまでの旅でも、十分すぎるほど満たされていた。ピラミッドも、カイロも、異国の空気も――。
でも、その“満足”の半分以上は、きっと昭人くんのおかげだった。
チケットの手配も、スケジュールも、移動も、安全も。面倒なことは全部、彼が先回りして整えてくれていた。
私たちは、ただその上を歩いてきただけだ。
――何か、返せることがあるとしたら。
それは、こういう時なんじゃないか。
「いいんじゃない?」
私はゆっくりと言った。
「まだ日程あるし、ピラミッドも十分満喫したし」
美月もすぐに頷く。
「私もそう思う。せっかく来たんだし、後悔しないようにね。はははっ」
「……ありがとうございます」
昭人くんは深く頭を下げた。
その姿は相変わらず真面目で、どこまでも謙虚で、一生懸命で――
今どき、こんな人いるんだな、と思った。
変に気取ったイケメンなんかより、よっぽどいい。
……いや、こんな言い方は失礼か。
心の中で小さく苦笑する。
そうして私たちは、ピラミッドを後にし、カイロへ戻り、そのままルクソール行きの飛行機に乗り込んだ。
到着したのは、すでに夜だった。
空気は乾いていて、昼間とは違う静けさが広がっている。
とりあえず、その日は小さなホテルに泊まることにした。
部屋に入って、荷物を下ろしたとき――ふと、ひとつの考えが浮かんだ。
そうか。
もしかして――
ここに来る可能性を考えていたから、カイロで連泊の予約を取らなかったのか。
なるほど。
なかなかの策士だな、昭人くん。
思わず、口元がゆるむ。
「どうしたの?」
美月が不思議そうに聞いてくる。
「ううん、別に」
私は軽く首を振った。
その夜。
私の中で、昭人くんの評価は、また少しだけ上がっていた。
……まあ、あくまで友達として、だけど。
簡単に明日の予定を確認し、それぞれの部屋へ戻る。
ベッドに横になると、旅の疲れが一気に押し寄せてきた。
遠くで、知らない国の夜が静かに息づいている。
その中で私は、ゆっくりと目を閉じた。
翌朝、ロビーで私たちは落ち合った。
そして――思わず、吹き出した。
目の前に立っていた昭人くんの姿が、あまりにも予想外だったからだ。
つばの広い帽子。砂色のシャツ。短パンに、膝まで伸びた長いソックス。そして無骨な探検靴。
どこからどう見ても、テレビでしか見たことのない“本物の探検隊”だった。
「……おはよう」
いつものように挨拶をすると、昭人くんは妙に真剣な顔で、すっと何かを差し出してきた。
「えっ?」
「服」
差し出された袋の中を覗いて、私と美月は同時に固まった。
――同じだ。
彼が着ているものと、寸分違わぬ探検服。
「えーっ、マジで?恥ずかしいよ……」
思わず声が漏れる。けれど昭人くんはまったく動じる様子もなく、どこか楽しそうににやにやしている。
結局、私たちは――いろんな意味で観念して、それを着ることにした。
化粧室で着替え、鏡の前に立つ。
……思ったより、悪くない。
いや、むしろ――妙にしっくりきている自分が、少し悔しかった。
ロビーに戻ると、私たちの姿を見た昭人くんは腹を抱えて笑い出した。
「はははっ、最高……!」
その瞬間、頭の中に言葉が浮かんだ。
(この変態……!)
しかしそんな内心など知る由もなく、昭人くんは満足そうに頷いた。
「似合ってます。二人とも」
その一言に、私と美月は顔を見合わせる。
――否定できなかった。
「……まあ、ね」 「うん……まあ……」
どこか納得しきれないまま、それでも私たちは受け入れるしかなかった。
こうして三人は、奇妙な“探検隊”として、王家の谷へ向かうことになった。
タクシーに揺られること、およそ三十分。
乾いた大地の中に、その場所はあった。
王家の谷――かつてファラオたちが眠りについた、死者の聖域。
谷を取り囲む岩山は、どこか不気味なほど静まり返っていて、まるでこの場所だけ時間が止まっているようだった。
内部に入ると、ひんやりとした空気が肌にまとわりつく。
壁一面に描かれた色彩豊かな壁画。
神々、死後の世界、そして王の旅路。
「ここが……ツタンカーメンの墓があった場所の一部です」
昭人くんが静かに説明する。
「三千年以上前のものなのに、ほとんど劣化していないんですよ」
その声は、いつもの軽さとは違っていた。
少しだけ――畏れを含んでいるように聞こえた。
私は無言で壁画を見つめた。
時間という概念を超えて、ここに存在し続けてきたもの。
それは単なる“遺跡”ではなく、何か――もっと深い意味を持っているように感じられた。
一通り見学を終え、外へ出たときだった。
遠くから、ざわめきが聞こえてきた。
視線を向けると、大勢の人間が列をなして歩いている。
だが、どこかおかしい。
――観光客ではない。
足並みは揃い、無駄な動きがない。
そして何より、その服装。
私たちと同じ、探検隊のような格好。
先頭には、年配の男が立っていた。
白髪混じりの髪を後ろに撫でつけ、鋭い目で周囲を見渡している。
まるで――“案内人”というより、“指揮官”のようだった。
「……ねえ、あれ」
美月が小さく呟く。
その視線の先を追った瞬間、私は思わず息を呑んだ。列の少し前方に、見覚えのある顔があった。
整った顔立ち。テレビで何度も見たことがある。
「えっ……」
思わず声が漏れる。
「あれ、日本の俳優さんじゃない?」
私の言葉に、美月も目を凝らした。
そして、小さく息を呑む。
「……うそ、あれって――」
その名前が、はっきりと頭に浮かんだ。
――岡田圭吾。
ドラマや映画で活躍する人気俳優。
落ち着いた演技と静かな存在感で知られ、歴史作品にも多く出演している人物だ。
だが、その表情は――
スクリーンで見せるものとは、明らかに違っていた。
鋭く前を見据える、真剣な眼差し。
一切の迷いがない。
まるで、この場所に来るべくして来たかのように。
その姿は、俳優というより――
発掘に参加する、本物の探検者のそれだった。
そのときだった。
「――あの、失礼ですが」
突然、後ろから声をかけられた。
振り返ると、一人の日本人男性が立っていた。
同じように探検隊の装いをしているが、どこか落ち着いた雰囲気をまとっている。年の頃は四十代半ばほどだろうか。
「今回の発掘に参加される方々……ですよね?」
穏やかな口調だったが、その目は鋭く、こちらを値踏みするように見ていた。
私と美月は顔を見合わせる。
――どうする?
一瞬の沈黙。
だが、その間を埋めるように、昭人くんが一歩前に出た。
「ええ、まあ……そんなところです」
(いや違うでしょ!?)
思わず心の中で突っ込む。
だが、昭人くんはまったく悪びれる様子もない。
むしろ――自然すぎた。
「やはりそうでしたか」
男は小さく頷いた。




