5仁田祥子
7年ぶり、とまではいかないけれど、彼とは久しく会ってなかった。
チェック柄の屋根から雨が滴り落ちるのを見つめながら私はゆっくり傘を閉じ、店内へ入った。冷え切った体に小気味良い暖かさが体をやんわりと包む。中は談笑する客の笑い声やら何やらで賑わっていた。
ウェイトレスに先客がいることを伝えると、奥で待つ彼となんとなく目が合った。さすがに金髪ではなかったけれど、すぐにわかった。
久しぶりのロングブーツの履き心地に少し違和感を覚えながら私はドリンクバーの横を通り過ぎる。コツコツ、と言う単調な音が私の鼓動とシンクロしているようだ。
「久しぶり」
本当に久々なのでかける言葉に迷ってしまう。
「茶髪じゃなくてもわかるもんだね」
彼は頬を緩めてそう言った。
7年前に同じこの店でご飯を食べた後、私たちはしばらく付き合って、それからは会ったり会わなかったり。いつのまにか、電話帳にひっそりと載っているだけの存在になっていた。
私がコートを脱ぎ、丸めて横に置いて座ると、彼が話し出した。
「今度、これやるからきてもらえないかな」
スッと差し出されたのは、鮮やかな藍色の空に浮かぶ月の絵が描かれた一枚のチラシ。「月冴ゆ 〜6人の画匠が映し出す世界〜」とある。
「自分の絵を出させてもらえることになって」
「すごいね。夢が叶ったじゃん」
私が明るく返すと、彼が続ける。
「まあ正確に言うと叶ってはいないんだよね。弟子入り志願したけど許してもらえなかったし、俺が追い求めてた作品は、駄作扱いでもう存在しなかったからね」
「存在しないって…どういうこと?」
「気に入らなくて破いたんだって。ひどい話しだろ」
少し怒ったその顔は、今でも根に持っているようだった。
「もう一回描いてもらうとかできなかったの?」
と聞いてみる。見当違いのことを聞いたみたいで、彼が頭を振って否定した。
「他の人がどうなのかは知らないけど、俺にとって同じ絵は2度と描けない。そういう認識なんだ。絵っていうのは、描いた時の気持ちを表現しているものだからね」
「じゃあ、もう一生出会えないんだね」
言葉にしてみて、改めて寂しいなと思った。
「だからさ、もう諦めて普通の会社員になろうかななんて」
思っちゃったわけだ?と私が続けた。
「でもさ、憧れてるだけで終わるのは嫌だなって」
…。
「すごいなー、って羨むだけで終わる人生はマジで嫌だったんだ」
私はふと思い出した。あの輝くトロフィーを。タイピングする私の後ろでひそひそ話す同僚の姿を。
「だから今、ここにいる」
こんなにまじまじと彼の顔を見つめたことがなかった。彼の目は、真っ黒というより少し茶色だった。
「かっこいーじゃん」
とくだけて答える他ない。
なぜ私を呼んだのだろうと、頭の片隅にずっと残っていたが、深い意味はなさそうでどうにも聞きづらい。
私はふと窓の外を見る。外気温が下がっているのか、窓が曇っていた。ウェイトレスが持ってきたコーヒーに砂糖とミルクを加えて混ぜながら、7年前は何を食べたっけ、と考える。あっという間のようでいて、ただ「あっという間でした」と一言で言い尽くせないほどの体験を、私も彼もしたのだろう。歩んだ年月が、私たちという輪郭を段々と形作ってきたのだ。
私はどうだろう。要らない脂肪ばかりを蓄えて、本来の姿を見失ってはいないだろうか。
「君はどう?」
顔を戻すと、彼が私を見ていた。
「うん、順調」
口角を上げて簡潔に返す。そうなんだ?と問いかけるように相槌を打つ彼にもう一度、私は力強く言った。
「もちろんよ」
彼の言った言葉が頭の中で反芻していた。
"憧れてるだけで終わるのは嫌"
私にもまだできることがある。進むべき道がある。そう思うと、慣れないブーツを履いてここまで来た甲斐があったなと思った。




