妖のみる夢 其ノ弐
(……「アカミ」って何だろう)
炎角は困惑していた。
意味不明の言葉を口にしたまま、少女が黙ってしまったからだ。それも少女はそれっきり炎角に興味を無くしたという感じでもなく、炎角の返答をじっと見つめたまま待っているような姿勢を見せるのだから、困りものである。
「あの……、アカ、ミ……?」
「あかみ……」
炎角が仕方なくオウム返しすると、少女はそれを更に繰り返し、流れるような動作である一点を指差した。炎角の跨る、焰のような真っ赤なバイクである。
「アカミ……」
「あかみ……」
二人して「あかみ」と繰り返す様は中々に滑稽だったが、炎角はそんなことを考える余裕は無く、益々疑問が頭を支配していた。
「……みたいな、色」
「え?……あぁ」
バイクがアカミ?と顔を顰めていた炎角に、少女はやっとやっとそう付け足した。どうやら、炎角のバイクの色が、赤身のように真っ赤だといいことを言いたかったらしい。
成る程、と納得した炎角を他所に、少女はそのままバイクを凝視する。
「……もしかして、バイク、知らないんスか?」
首を傾げて問うと、少女はこくりと小さく頷く。
少女の様子に、もしかしたら産まれたばかりの妖怪なのかと思考を巡らせたが、それなのに足枷が嵌っているというのはおかしな話しである。しかし、誰かに付けられたとして、一体誰に、何の為にだろうか?妖怪であろう少女は人間に拘束されるとは考えにくいーー
と、考え事をしている最中にもバイクを凝視する少女を炎角はちらりと見やり、取り敢えず思考を停止した。
「乗って、みるっス?」
そう言うと少女は表情を変えることは無かったが、微かに目を輝かせた。思ったより顕著に感情が出るものだと炎角は顔を綻ばせながら、自らが跨っているバイクの後ろを指差し、乗るように促す。少女は足枷の付いた片足を、まるで怪我をしたかのように引きずりながら炎角の後ろに乗り、まるでペットのように、足枷に付いた鉄球を自分の膝にちょこんと乗せた。
付けられた足枷に最早慣れているということが感じられるようなその行動に炎角は戸惑いを感じたが、それよりも少女の可愛らしい好奇心を叶えてあげたかった。
「捕まってください!」
その声に呼応して炎角の腹部に手を回す少女。同時に炎角は、ボリュームが無いながらも確かに柔らかな感触を背中に覚える。いつぞや感じた、相談所のお色気担当、篠の胸部と比べてしまえば無いに等しかったが、それでも炎角を赤面させるのには十分過ぎる程だった。
炎角はそれを誤魔化すように、バイクを走らせる。
「わ……っ」
同時に、少女は小さく感嘆を漏らした。
その声にちらりと炎角が後ろを見やると、まるで幼い子供が初めて星空の美しさに触れた時のような、驚愕、困惑、そして感動や興奮が入り混じったような顔をしている少女が視界の端に映る。炎角は自然と頬が緩んだ。
エンジン音を再び震わせ、バイクを加速させる。より一層風の抵抗が強くなったことに少女は炎角に捕まる力を強くした。
「ーーっと、もしかして、怖いっスか?」
速すぎたかと焦る炎角がスピードを落としながら聞くと、少女は緩やかに首を振る。
「気持ち良い……泳いでるみたい」
「泳いでる……?」
「風を切るのが、水を切ってるみたいで」
その言葉に安心して速度を上げる炎角と、それに身を委ねる少女。
少女は人魚だろう。炎角は少女が密着したことでその妖力を感じ取り、そうだと分かった。
少女は足枷のせいで泳げなくなってしまっている。とても罪人には見えないし、何者かに利用されているのではないかという可能性を考えると、正義感の強い炎角は眉を顰めずにはいられなかった。
人魚は希少だ。そして、その歌は人を惑わせ、その血は傷を癒し、その心臓を食べれば不老不死になれるという伝説が有る。そうは思いたく無かったが、利用価値が多いのだ。
炎角は少女を見る。目が合うと、どうしたのかときょとんとしながら首を傾げるあどけない少女。益々怒りが募るのを感じた。
炎角は少女と出会った海岸に戻り、バイクを止める。少女はもう終わりかと言わんばかりに眉を下げたが、気にせず炎角はバイクを降り、そしてまだ座ったままの少女の足……足枷の付いている左足を取り、その足枷と鎖、そして鉄球を見ると、徐に手を掛ける。
しかし勿論、鉄球はビクともしない。炎角は炎を操り鎖を壊そうとするも、壊れるどころか錆一つ付かなかった。
「……あつ、い」
「すまねぇっス……」
その謝罪には二つの意味が重なっていた。炎角は少女の足に傷が付いていないか確認するように撫でる。その肌の滑らかさと真珠のように曇りのない白さを確認すると、安堵の溜息が漏れた。
「わたし、そろそろ行かなきゃ……」
しかし炎角の安堵も束の間。少女は何処と無く寂しそうな声でそう言うと、バイクを降りる。
「行く、って、何処にっスか……?」
「主様の所」
「これ、もしかしてその人が……?」
「……うん。でも、良いの」
少女は海がキラキラと輝くのをその瞳に映しながら言った。輝くものを見ていながらここまで憂いを帯びた顔をする少女は、誰であっても見るに堪えないものだろう。
「良いって、何でっスか……」
「わたしは人魚で……弱いから。あの人のとこにいれば、安心」
「そんな……」
炎角は言葉を飲み込んだ。
少女は長く口を開くと、まるでゼンマイ仕掛けの人形のように、おぼつかない話し方をする。まるで、誰かに言われた言葉を、意味も分からないまま繰り返されているように感じた。
しかし炎角は、自分にはその少女を匿う強さが無いことを痛いほどに分かっていた。自分はこの少女を海で泳がせることすら出来ないのだと。
「主様は、」
少女は言った。目を細めて笑いながら。
「虐められてたわたしを……、助けてくれた。ほんとは、優しい人」
その、吹けば飛んでしまいそうな笑顔に、炎角は拳を握った。
この少女は自分のことを拘束している相手にすらも、憎しみや怒りを感じていない。
恐怖や怨恨の集合体であるはずの妖怪なのに、少女はそれとは無縁で、あまりにも無垢だ。もし、この少女が虐められてたらしい時、自分が少女を救うことができたのなら。「主様」とやらの前に出会えていたら。
(ーー違う)
もしこの少女を、拘束された少女を、自分が救うことができたのなら。
炎角は握った拳に力を込めた。今、少女の近くにいるのは自分しかいない。今、少女を自由にしてあげられるのは自分しかいない。
炎角は、どうしようもない程に自分の弱さを知っているのだ。自分がこのまま少女を保護したとして、少女に、そして周囲に、益々迷惑をかけるだろうということも。もし自分が強かったなら、なんて嘆いても、それはただ単に無意味なことだった。
「また……」
炎角は俯いていた顔を上げると、今にも去ってしまいそうな少女の腕を掴んだ。華奢な炎角と比べても、否、比べものにならない位に細過ぎる腕に心が痛む。
「……バイク、乗せてあげるっス」
少し驚いた顔をした少女だったが、次にはふわりと優しく微笑んだ。
「あり、がと……」
そう言って少女は炎角に背を向けた。
炎角はただ、少女の小さな背中がどんどん小さくなっていく様子を見つめた。拳を握り締めても、非力な力では血が滲むことさえ無かった。




