妖のみる夢 其ノ壱
ーー体の自由がきかない。
自分から発せられる炎のせいで頭も働かない。まるで脳味噌が溶けたみたいだ。
熱い。熱い。
焼けてしまいそうだ。
身体がまるで火の海に沈んでいくように重い。
自分の体の筈なのに、自分が何をやっているのかも分からない。
視界も黒い闇と赤い炎で覆われて、何も見えない。
「や……か……」
誰かが俺に何かを言っているが、何を言っているのだろうか。
全く分からなかったが、これだけは聞き取れた。聞き取れてしまった。
まるで脳に直接話しかけられているような、まるで脳が抉られているような気分になった。
ーー弱い妖は要らない。
◇◇◇◇◇
「ーーかく。……炎角」
少年……炎角の視界は暗闇から晴れ、短髪の青年と、見慣れた天井が写った。
「鵜、叫……。」
炎角を覗き込んでいる青年は花世 鵜叫。炎角と同居している三吉鬼という妖怪だ。
鵜叫は炎角が目を開けると炎角の顔を覗き込むのを止め、気怠げな無表情のまま「魘されてたぞ」と、炎角よりも一オクターブ低いような声で言った。
「すまねぇっス」
「何故謝る?」
「心配かけて……」
炎角が上体を起こしてからそう言って俯くと、鵜叫は何の前触れもなく、炎角の額を小突いた……ような軽い動きだったが、炎角は「あてっ!」と小さく叫び声を上げて仰け反る。
「鵜叫……、そろそろ加減を覚えて欲しいっス……」
「すまんな。でも炎角が謝るのが悪い」
「えぇー……」
小突く……というかどつかれた炎角は涙目で額をさすっていたが、鵜叫の悪びれもしない態度、それどころか自分は悪くないと主張しだした。
鵜叫は炎角の不服そうな声に対しても表情を崩さず、立ち上がるとクローゼットへと向かい、徐に着替えを始める。
「あれ……もうそんな時間スか……?」
「あぁ。」
炎角は着替え中で露わになった鵜叫の、しなやかな鎧のような筋肉がついた逞しい腕を見ていた。大柄は鵜叫が立ち上がって動くと、この部屋は実際よりも狭く見える。逆に、もともと男二人が同居するには狭い一室であるため、その小ささ故に鵜叫が何倍も大きく見えた。
炎角にとってそんな光景は見慣れているものだったが、いつ見ても、自分のTシャツから覗く細腕と比べては惨めな気持ちにさせられる。
鵜叫は炎角の視線と表情から何を考えているのか察したようだが、自分が何を言っても無駄だと思ったのだろう。着々と作業着に身を包んだ。
鵜叫は工事現場で働いている。妖怪であるため稼がなくても、つまり衣食住にこだわらなくても生きてはいけるのだが、携帯代、家賃、その他諸々を稼ぐ為だ。鵜叫は炎角とは違って人の腹を借りてこの世に生まれた妖怪であるから、戸籍が存在し働くことも、携帯の契約も可能だ。妖怪は食事をしなくても生きていけるので、食費や光熱費、水道代はあまりかからず、小さな1LDK十二畳一間の部屋は、昼からの力仕事で十分にやっていけた。
「じゃあ、行ってきます」
そう言うと鵜叫は炎角に背中を見せたまま玄関で言うと、そのまま出て行くことはなく、靴を履いて立ち止まる。
「……もう一回寝たらどうだ。」
そして魘された炎角を気遣いそう言うと、ガチャリと音を立てて去って行った。
今日も一人残された炎角は、鵜叫が去り広くなった部屋で、自分の小ささを再確認させられる。
(ーー火車が……妖怪が夢に魘されるなんて)
炎角は深い溜め息を漏らす。
妖怪に睡眠は必要無いが、不可能という訳ではない。特に炎角や鵜叫のように働いてる妖怪には、睡眠というのは精神の休養に役立つ。それで魘されるとは、全くの逆効果。滑稽だと炎角は思った。
炎角は再び深い溜め息を漏らす。
まるで夢にさえ、己の弱さを叱責されている気分に苛まれた。
あの時の出来事。何者かの影響で妖力が暴走し、怪異相談所の人達と知り合ったあの出来事。それは元々力の弱い自分を自嘲する悪癖を持つ炎角は、まるで水に浸かっていたところに氷をぶつけられたような気分になった。
確かに炎角は柚月や歩治、そして鵜叫と比べると、妖怪としての力は強くない。ちょっとした炎を操ることができる程度だ。しかし火車は、死者…悪人の魂を運ぶことを仕事としている妖怪なのだから、それは仕方の無いことである。しかし身近に鵜叫という力の強い妖怪がいるせいか、炎角は自分の無力さを痛いほど実感してしまっていた。鵜叫の逞しい腕になら、赤子の手を捻るが如く容易に折られてしまいそうな自分の腕を見ると、本日三度目の溜め息を漏らす。
(……頭冷やそう)
炎角は立ち上がると、いつも着ている長ランを羽織って部屋を後にした。
◇◇◇◇◇
人間、あまりにも美しいものを目の当たりにすると、瞬時には反応できなくなるものだ。そしてそれは、妖怪でも同じらしい。
炎角は息を呑み立ち尽くしたまま、自分の方を振り向いたその少女に釘付けになった。
まるで空と同化したような淡い水色の長い髪は、キラキラと日の光を浴びて輝き、ワンピースからすらりと伸びた細い手足は雪を連想するほどに真っ白い。冬だというのに肩から腕にかけて、そして足を露出した透明感のあるシフォンのワンピースは、まるで天女の纏う羽衣のようだ。
見るからに、人間ではない少女。炎角は、もしかしたら本当に天女なのではないかと、我ながら馬鹿げたことを思ってしまった。
しかし少女のビー玉のような金色の瞳は焦点が合っていなく、何処と無く憂いを帯びているようにも見える。
「……」
「……へ?」
少女の桜色の唇が僅かに動いた。しかし囁くようなその声は、さざ波と潮風の音に攫われる。
炎角は、誰に言ったのだろうかと辺りを見回したが、寒い冬の海岸にいる人は誰もいない。自分に言っているのだと理解するには少し時間を要した。まさか話しかけられるとは思っていなかったし、作り物のような少女が動いたことにも動揺してしまったようだ。
「あの……なんて……?」
炎角は恐る恐る、しかし吸い寄せられるかのように少女に向かって歩み寄った。少女は動くことなく、再び口を開く。
「……あかみ」
「……はっ?」
今度はきちんと聞き取れたのだが、その単語の意味が良く分からず、思わず聞き返してしまった。
同時に、おかしなものが目に飛び込む。
少女の細い足首には、華奢なワンピースに似合わないごつい足枷が嵌められていたのだ。どう見ても、ファッションの類ではないということは、そういったことに疎い炎角でも用意に予想できた。
何故ならその足枷からは鎖が伸び、鎖の先には重そうな鉄球が連結しているのだからーーー




