悪霊と妖怪 其ノ捌
そんな中、突如一つの影現れた。
その影は、辛うじて長いポニーテールと認識できるものを揺らしながら、柚月と篠に近付く。
近付いたことで鮮明になった人物の風貌は、頗る上等そうな着物に、同じように上等そうな羽織を着て番傘を差した、時代遅れと言うには少し遅れ過ぎているような格好の、若い男だった。
男の姿に気付いた柚月は、篠と離れてその間を隔てるように立ち、男に向かって警戒心を丸出しにする。しかし男はまるで怯むこともなく、差していた古めかしい、しかし鮮やかな茜色をした番傘を柚月と篠の上に移動させた。
青がかったような、不思議な色のポニーテールは、雨に濡れて、どんどん濃く、青くなっていった。
そして男は髪や身体が濡れていくのも気にせず、にかっと人懐っこく笑って見せる。
「いやー、ごめんな、おじょーさん方」
どうやら男は、三人組の関係者であるらしい。
あろうことか気絶した大の大人を、その三人よりも細く見えるような肩に担ぎ上げると、涼しい笑顔で篠と柚月へ謝罪を口にする。その笑顔が、担がれた三人の覇気の無い顔とがあまりにも対照的で、寧ろ恐ろしさまでも醸し出していた。
「申し遅れました、オレはな」
そう言うと、男は篠と柚月に翳していた番傘を、受け取れというように揺らしてみせる。男三人を担いだまま、器用なことをするものだ。
「天狗……、鞍馬天狗なんだ」
「鞍馬天狗……!?」
柚月は男の言葉に、驚愕を表す。
「柚ちゃん?鞍馬天狗って?」
「三大妖怪、“天狗”の親玉だ」
「えっ、天狗……っ!?」
小声で説明された篠は、柚月の後ろから男を覗き込む。
「鼻が長くないっ!」
そして篠の、そんなズレた驚きに、柚月は「予想していましたよ」と言わんばかりに小さく溜め息をつく。
確かに、男は鼻筋がすらりと通った高い鼻ではあったが、誰もが想像する天狗のように長くはない。
「しかも、顔も赤くないよ!?」
「照れたら赤くなるかもなー」
篠の言葉に、あはは、と爽やかに笑ながら首を傾げて見せる。
それとは逆に、柚月の顔には緊張が解れていない様が如実に表れていた。
“妖怪らしく見えない”とは、妖怪として最も危険である。能ある鷹は爪を隠す。強ければ強いほど、妖怪は妖怪らしくないのだ。それは、自分を恐ろしく見せる必要が無いからということに他ならない。
強い妖怪はその力を、自らの意思によって制御することが可能なのだ。その点では、今は真っ白に燃え尽きている柄悪小物三人衆も、恐らくそこそこの実力者だったのであろう。
しかし、それでも鞍馬天狗である雨傘とは、格が違う。
通常妖怪には、妖力というものが存在する。それを読み取ることで妖怪か否かを判別することができるのだが、力を持った妖怪は、その妖力を完全に制御することができる。
妖怪は妖力を抑えることで幽霊のように実体を隠すこともできるが、それは妖力を制御するのとは、また別なのだ。
実体を保ちながら妖力のみを制御する。これは強い力を持つ妖怪の特徴とも言えよう。
「……許してくれない?」
「ううん! 怒ってないよ!」
困ったように眉を下げながら小首を傾げる男に、篠が即答しながら番傘を受け取った。美形好きの篠らしいと言えば、らしすぎるその反応に、柚月はため息を再度漏らすことしかできなかった。
(ーー許すとか、許さないじゃなく。コイツはちょっと……)
「さんきゅ! ちゃんとこいつ等にもケジメ付けさせるからな!」
「……けじめ?」
「ケジメ!」
きょとんとする篠に、男は自由になった手の、小指を立てて笑ってみせる。
……人懐っこい笑顔が、可愛らしい分だけ、逆に恐ろしかった。
「いや、ま……っ、ケジメってお前……、ちょっと絡んだ位で……」
「いや。女の子二人に大の大人が三人係で絡んだんだ。結果はどうあれ、ちゃんと義理は通さなきゃいけねぇよ」
戦意は無い。
その、男の言葉と表情から、柚月は悟った。同時に、それならば無闇に関わらないのが得策だということも。
数多く存在するらしい天狗の総括。彼は柚月よりも、桁違いに力を持っているであろうことは容易に想像することができる。
(いやいやいや、しかしケジメって……)
天狗の世界は極道のようなものなのだろうか。柚月はそんな思いを馳せながら、先程まではぶん殴ってやりたくて堪らなかった筈の小物三人衆に同情の視線を送る。今のうちにその小指を、せめて自分の目に焼き付けてやろうと、謎の弔いまでしてしまった。
「……申し訳ねぇけど、こいつ等もちとやばそうだから引き上げさせて貰うな?」
男は笑顔を崩さないまま、先程まで簡単に小指を詰めようとしていた三人衆の体を気遣う発言をすると、その背から大きく、黒い翼を生やした。
その、妖力を隠していた強さとは正反対の物凄さを見せられた柚月と篠は、あっけからんと、目を丸くしてその翼に釘付けにさせられる。妖怪は重力があまり関係無い為、恐らくその翼はあまり意味を為していない。そもそも鳥のような翼で、人間のサイズの重さを浮かせることは出来ないであろう。つまりその翼はただのオプションである。
合理的主義の柚月からしてみれば、それは妖力の無駄遣いに他ならないのだが、まるで羽を隠した孔雀のように、その力の多大さを見せ付けるには有効過ぎるくらいに有効だった。
そして男は、「じゃあな!」と元気良く笑うと、その翼をはためかせ、あっという間に見えなくなってしまった。
残された傘で少し遮られた空を、二人はUFOでも見たかのような顔で数秒間見続けるのだった。
◇◇◇◇◇
「あー、濡れた濡れたー」
「私まで濡れるとはな…」
事務所に帰った二人は、濡れた髪や衣服を玄関で絞る。雨は、男から番傘を借りる前から降り注いでいたせいで、正直に言うと傘を借りても借りなくても、同じ位にびしょ濡れあったのだ。
普通の雨ならば、実体を持たない…否、性格には隠している柚月が濡れることは無いのだが、篠の雨は篠の妖力が含まれているが故に、妖怪だろうが幽霊だろうが人だろうが関係無く、その体を濡らすらしい。
「……ねぇ柚ちゃん」
「何だ?」
「幽霊って着替えられるの?」
「え……っ」
柚月の、濡れたセーラー服をまじまじと見ながら、篠は首を傾げた。
「……考えたことなかった」
「じゃーやってみよー!」
「は……?うわっ、ちょっと!」
言うや否や、篠は柚月に飛びかかった。そして篠の濡れたセーラ服に手を掛けると、遠慮も無しに脱がせにかかる。
「おい篠!やめろ馬鹿!」
「柚ちゃんの胸ちっちゃーい、かわいー!うへへへ」
「触るなってこら!ちょっ、やめろっ!」
「ただい……ま……」
事実は小説よりも奇なりと言おうか。このタイミングで、ガチャリと音を立てて事務所のドアが開いた。そしてそこから現れた明月と浅香と、その二人を見て硬直する柚月と篠。
「ーーうらぁぁぁぁ!!」
「は……っ!?」
と、突然咆哮したのは柚月。同時に勢い良く立ち上がりながら篠の腕を引っ掴み、あろうことか背負い投げを繰り出した。
そして投げられた篠は上手い具合に明月に衝突して二人は目を回し、重なったまま動かなくなる。柚月は顔を真っ赤にしながら、荒い呼吸を整えるように「ふんっ」と小さく息を吐くと、濡れたセーラー服を拾って事務所の居住スペースへと去って行ってしまった。
故に、浅香の鼻から僅かに覗いた鮮血を見た者は、この場で誰もいなかった。
◇◇◇◇◇
「あれが、ねぇ……」
男は切れ間の見え始めた雲の僅かに下を飛行しながら、ぽつりと呟いた。
華奢そうに見える肩、そして腕に抱えられた気絶している男三人は、今にも落ちそうである。
しかし男は何でもないような顔で、目的地に向かい飛行を続けた。
「じゃあ、やっぱりアイツは……」
その言葉の続きは、雲を裂くように羽ばたく音で掻き消された。




