悪霊と妖怪 其ノ漆
「おい、馬鹿篠!お前どういうつもりだよ!あいつら人間じゃないんだぞ!?」
小声で篠に罵声を浴びせる柚月を含めて、何故か彼女等は河原にいた。
ドラマや映画で不良が対峙し、喧嘩の果てに二人で夕日を目指すのにうってつけのようなシチュエーションで、篠と柚月、そして男三人が対峙していた。移動の時点で鼠色の雲からは雨粒が降り注いでおり、夕焼けなんて決して拝めたものではないが。
傍から見れば、女の子が柄の悪い連中に絡まれているように見えるで有ろうが、何故か篠は呑気にきょとんとしている。
「いやー、ほら、浅香ちゃん…じゃなくて、歩治ちゃんの時みたいな身の危険は感じないから…、何て言うのかな、小物臭?」
「聞こえてんぞおい!」
「おっとごめんなさい。オツムがアレでも耳は良いんだねっ」
「わざと!?わざとなのか、篠!」
何食わぬ顔で三人組の神経を逆撫でする篠と、そんな挑発紛いの言葉にすんなり乗ってくる三人組。その中で柚月一人がおろおろと焦っていた。珍しい光景である。明月がいたならば、即刻柚月の写真を撮ろうとカメラを構えることだろう。
しかし柚月が焦るのは当然だ。篠は妖怪だが、彼女が強いのは普通の人間に対してである。故に人外…、妖怪である男達に対し、何故篠がそこまで堂々と、且つ飄々としているのか、柚月にはさっぱり分からないのだ。勿論、篠の身体能力は人間と比べると多少は動けるものの、普通の域を超えない。妖怪の男と争えば、当然の如く瞬殺だろう。
「雨なんか、降らせたって……」
「でも柚月ちゃん。この時期の雨は冷たいしさぁ」
篠は笑った。男達とは反対に、無邪気な笑顔。
「おい、呑気にお喋りしてんじゃねぇよッ!」
よく喋る……恐らくリーダーなのであろう三白眼の男は、咆哮するように言うと、篠と柚月に向かって走り出す。妖なだけあり、直ぐに篠との距離を詰めるーーが、雲に覆われた空のせいだろうか。何やら顔色が、最初と比べて青白い。
◇◇◇◇◇
絶望のみで満たされていた少女の世界に、一閃の光が差し掛かったのは突然の事だった。
彼との出会いを、少女はその長い生涯の一時として、忘れることは無いだろう。
その、闇のように漆黒の瞳と髪をもつ青年を。
少女は青年に心を奪われた。
少女の恐れた闇と、青年はまるで違ったのだ。
そして青年により、少女の長い絶望に終止符が打たれる。
少女は彼を助けられる妖怪になろうと、心の奥底で誓った。闇に染められても消え去らなかった、少女の心に。
それは、とある妖怪の少女の話。
◇◇◇◇◇
柚月は、何が起こったのか理解することが出来るまで、頭の回転が速い彼女にしては多く時間を要した。
それは冷たく打ち付ける雨のせいかもしれないし、一人だけ笑顔を崩さない少女のせいかもしれない。
その、笑顔の少女の前で、大の男が倒れていた。その後方にいた二人も、同じように。
雨が、倒れた男達を容赦無く濡らす。まるで操り人形に括り付けられた糸のようだ。その糸は現在、切れてしまっているのだが。
「お前……が、やったんだよな……」
柚月が言うと、篠は何処と無く自嘲的に笑った。濡れてボリュームのなくなった髪から、雨粒が落ちる。
「違和感があったのは、炎角ちゃんの時」
炎角の時というのは、炎角が暴走した時、篠がその業火を消火した時だ。その時に篠は、慣れ親しんだ感覚、そして同時に、篠が散々忌み嫌った感覚が訪れた記憶を辿る。
その熱を奪い、自らの力にする感覚だ。
「気付いたのは、歩治ちゃんの時」
雨が降りしきる中、迫る鋭い薙刀。その時、清春が現れる寸前。微かにその、切っ先の動きが鈍ったという。
篠はその時、違和感を確信に変えた。
「雨女の能力は、人間の生気を吸うってだけじゃなかったのね。私は、私の雨に濡れた人間の力を奪うことが出来るみたい」
所謂、エナジードレイン。
今まで無意識に、そして暴走するように惚れた男性のみに発動していた能力が、明月の術によって全貌を明らかにした。
明月の書いた文字、『制』は、制御の制。故に篠は、自らの意志により雨を降らせ、意志によりその力を自らの力にすることが出来るようになったのだ。
篠は、ぱしゃりと音を立て、倒れている男の前に行き、その場で屈んだ。
「初めてにしては上出来かな。でも加減って難しいねぇ」
男達は勿論倒れているだけで、死んではいない。しかしこの冷たい雨の中に放置すれば、そうなりかねないだろう。
それにしては、冷淡な目を向ける篠。
「柚ちゃん。私、たくさん男の人を殺したんだ。それでも好きにならないってことは無かった。だから」
篠は興味なさげに男から視線を逸らす。
「嫌な人の死とか、別に心が痛まない」
きっぱり。
篠はきっぱり言い切った。身も蓋もない発言だ。
柚月の目が点になる。
「え……っ、いや、お前……」
「ほら、私」
妖怪だからさ。
と言って、篠は笑った。諦めた末に、吹っ切れたような笑顔。
それは何処と無く危なっかしいような、泣くのを我慢している子供のように見えた。
柚月にとって見覚えのある顔。
酷く、嫌だった顔。
気付くと、柚月は篠を抱き締めていた。
「ゆー、ちゃん……?」
「篠、お前は化け物になったんじゃない」
「え…?」
「新しく、生を得たんだ」
柚月は篠の首筋に顔を埋める。濡れた肌が密着し、その体温に溶けるような感覚を覚えた。
確かに、篠には温もりが有る。
「お前は他の何者でもなく、“篠”だよ」
「柚ちゃん……」
「人を殺してきたことの、業が無かったことにはならない。お前の力不足故の暴走だ。だが、生が有る以上、これからのことはどうにでもなるだろう。前に進むのと、投げやりになるのは違うぞ」
「ぅぅー……、柚ちゃあん……」
柚月の首元に、雨とは違う、暖かな雫が落ちるのを感じた。
暖かい雨は、次々と零れた。
「うぁああん……っ」
篠は留めていたものが全て決壊したように、声を上げて泣く。呼応するように、雨が強くなっていく。
この雨は、篠が数年間、我慢していた涙だ。
しかし篠の泣き声は、弱々しい、
一人の女の子の泣き声だった。




