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魍魎アフリクターズ  作者: 機場 環
第肆章
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悪霊と妖怪 其ノ伍

 親がいなくなってしまった者。

 親に忌み嫌われ育った者。

 親にその生を奪われた者。


 彼等が経験したそんな苦悩は、彼等の人格形成に多大な影響を与えた。「親の顔が見たい」という言葉が有るように、親の言動は、細かい息遣いまで全て、その子供に影響を及ぼす。

 故に親からそんな仕打ちを受けた……或いは全く受けなかった彼等は、何処かで歪み、軋み、傷付いてどんどん脆くなっていた。まるで、大きな柱が腐食しているかのような。まるで、そもそも柱がぽっかりと抜けてしまっているかのような。


 それでも彼等は文句を付けず、それを他の何かで必死に埋めようとしていた。

 姉弟だったり、祖父だったり、友人だったり。

 しかし彼等は、それを無意識にやっている。

 だって、親の言動は彼等にとって“世界”そのものだから。

 世界が歪んでいようが気付かない。

 世界が欠落していようが気付かない。

 故に彼等は歪んだ世界を愛するか、他の世界を求めることしかできない。縋るように。例えそれが、藁より頼りなかったとしても。


 人は、生きるべき“世界”を見付けなくては生きていけないのだ。


 少年、朱義 鞘は、歪んで欠落した世界を愛する決意をした。

 それはあまりにも残酷で、あまりにも悲しい決意だった。


「親……つゥのは勝手だなァ」


 鞘の事件を解決した明月と歩治は、放心したようにお互いの病室に戻り、そのまま死んだように眠った。

 鞘と、その母親の悲劇が嘘であるかのように、当たり前に時が過ぎ、皮肉のように眩しい朝日が病室を照らしている。

 何を思ったのか、浅香が目覚める前に明月の病室に訪れた歩治は、ベットの隣の椅子に座って空を眺めながら呟いた。


「勝手に産み落としてよォ、そんで勝手に嫌ってみたり、殺してみたり。ガキはてめェのオモチャじゃねェっての」

「オモチャじゃないから、そうなるんだろうよ」


 物じゃないからこその重み。

 鞘の母親は、それに堪えられなかったのだろう。

 しかし歩治は、腑に落ちない様子で目を細め、それでもその答えには納得したように、ただ溜め息を漏らした。


「まァ、オレにヒトの気持ちは分からねェよ」

「どうだかな。お前はずっと、浅香の友達だったんだろ?」

「は……ッ!?」


 歩治の頬が一瞬にして赤く染まる。

 明月は今回歩治と過ごし、やっと浅香が、騒動を起こした歩治をすんなりと許した心情が分かった。彼は、幼少の頃から浅香の友人として傍にいたのだろう。歩治の口ぶりからは、犬神憑きである浅香が周りの人に嫌われ、疎ましがられていたのだということを察することができた。そして歩治はそれを傍で見て、そして不器用ながら浅香を気遣ってきたのだろう。鞘を、叫びながら、そして抱えながら何だかんだで守っていた姿。それは鞘ではなく、浅香を大事に思う気持ちの現れだったのだろうと、明月は思ったのだ。


「おいおい、オレは憑き物だぜェ……?」

「憑き物が友人になれないって誰が決めたんだよ。……つか、顔赤くしちゃってまぁ」

「五月蝿ェなァ!」

「その反応、もしかして惚れてんのか? 憑いてる人間に?」


 ニヤニヤといやらしく口で弧を描く明月に、歩治は「あー、もー!」と、真っ赤な顔を手の甲で隠しながらイラつきを露わにした。鋭い目付きで睨もうが、その頬では全く迫力は無かったが。


「良いか!浅香はなァ!」

「ちょ、えっ!?おま……っ!?」


 歩治はそう言うと、唐突に病衣の裾を掴むと、徐に捲り上げる。

 明月は急過ぎるその行動に、顔を紅潮させて一体何事かと目を丸くし、手で目を覆った。お約束というように、指の隙間から覗いているが。


「男なんだよ!」


「……はい?」


 そんな叫びと共に、歩治は胸の上まで病衣を捲った。

 明月は信じがたい言葉と行動に素っ頓狂な声を漏らしたが、すぐにその、貧しいどころかぺったんこな胸……というよりも胸板を指の隙間から確認すると、状況を理解出来ずに思考停止。急に沈黙が訪れた。


「……な……、い」

「だから、男なんだっつゥの!」


 歩治は拳を自らの胸板に打ち付けながら、繰り返す。


「浅香が男……?」


 繰り返された言葉を更に繰り返し、歩治……というか、浅香の胸板を凝視する明月。

 確かに思い当たる節はあった。お淑やかな言葉遣いの浅香だが、それに似付かわしくなく、一人称が「俺」であることだ。しかしそれでも、疑う余地が無いくらいに浅香は女の子だった。整った可愛らしい顔だけじゃなく、華奢な足といい、腕といい。胸が無くても良いと思わせる位の美少女である浅香が、本当は男だという俄かには信じがた事実を、そのぺったんこな胸が証明していた。女性でここまで無い胸というのはまず無いだろう。


(……待てよ、じゃあ俺は男にあーんして貰い、男の頭を撫で、あまつさえ男に甘えて……)


 明月は歩治の胸板をぺたぺたと触りながら、戻ってきた思考能力をフル活動させて今までのことを思い出し、何とも言えない、苦虫を噛み潰したような顔をした。男である明月にその事実は、ショックが大きかったようだ。

 勿論、触った歩治の胸は平らだった。ふくよかどころか柔らかさのかけらも無い、己の胸板と同じような感触が、五指から伝わってくる。


「ぁ……あの……」


 と、おずおずと小さな声が発せられたことで、明月は胸板を無遠慮に触っていた手を止め、恐る恐るこの人物の顔を見上げる。

 そこには邪悪な目つきの歩治ではなく、あまりのことに目を見開いて固まっている浅香が、胸に当てられた手と明月の顔を交互に見ていた。


「あさ……」

「また、ポチですね……」


 しかし明月の予想とは異なり、浅香は思ったよりも冷静に溜め息をつく。てっきり悲鳴でもあげられるものだと思っていた明月は、肩透かしな反応に、逆にどう対処して良いのか分からなくなってしまった。


「このことはどうかご内密に……」

「え?」

「ご内密に。」


 浅香は釘を刺すように、彼女…もとい、彼としては珍しく、強めにそう言うと、小さく咳払いをした。いまだ自分の胸板に触れている明月の手が気になったのだろう。明月はそれに気付くと、「すまん」と言いながら慌てて手を離す。


「あの……、それより明月さん、鞘くんは……」


 病衣を整えながら、あからさまに話しを逸らす浅香。しかし明月はまだ動揺を引きずっているせいもあり、仕切り直すように真面目な顔をした。話題が話題というのもあるのだろうが、明月としてはこのタイミングで振って欲しくなかった話題である。

 気絶していた浅香は鞘の最期も、そして幽霊になってからの最期も知らない。明月は事の全てを浅香に説明した。鞘は母に殺されたこと。そのショックを受けて鞘が記憶を無くしたこと。そして鞘は最期、悪霊となった母と共に消滅したこと。

 それを聞き、浅香は悲しそうに眉を下げると、涙を一粒零した。


「そう、ですか……」

「子供、ってのは、強いもんだなぁ」


 明月は悲壮を隠すように空を見上げると、小さく呟く。

 鞘の最期の笑顔が鮮明に浮かんだ。彼は此方が危惧したよりも、よっぽど強く、大人だった。

 彼はきっとこの病院を彷徨っていた三年間、その姿と同じように停滞していた訳では無かったのだろう。彼なりに考え、その三年間それなりの覚悟をしてから、自分に依頼をしたのだろう。それ故に、あそこ迄落ち着いて、最期には笑顔を見せてくれたのだ。


「お母さんの方も、鞘くんを愛していたと思います……」


 浅香は呟く。明月からすると、それは意外な呟きだった。勝手に、浅香は親という存在に劣情を抱き、同時に怨恨の対象なのだろう思っていたことも関係するかもしれない。


「何で、そう思ったんだ?」

「だって……、鞘くんがこの病院にいた三年間、お母さんは鞘くんの前に姿を見せなかったんですよ? それはきっと、」


 鞘くんに、被害を及ぼしたくなかったんですよ。


 そう言って浅香は苦笑した。

 浅香自身、そうだと信じたいのだ。

 しかしそうすると確かに自然だった。今まで三年間彷徨った鞘だ。広いと言えど屋内で、彼等が遭遇しないというのは、意図的でないとあり得ないだろう。母親は醜く歪んでしまった自らの姿を見せたくなかった。そして鞘に会い、死して尚、傷付けたくなかった。しかし鞘が祓われてしまいそうになり、思わず姿を現した……。

 もしかすると、鞘のことを放っておいた方が幸せだったのかもしれない。残酷な事実を忘れ、幽霊の友と共に病院にいた方が、幸せだったのかもしれないーー


「……明月さん、きっと鞘くんは、満足だったと思いますよ」


 浅香は明月のそんな思考を読んだように言った。

 鞘の依頼が、何よりの証拠だろう。彼は現実を知る道を選んだのだ。それがどんな悲劇であろうと、醜悪であろうと。


「そう、だな……」


 明月は力無く微笑んだ。自分を説得するような、弱々しいものだった。


「おや、朝っぱらから仲良いね、お二人さん」


 扉をノックする音が響いてから返事も待たずに、看護師、紫が顔を出した。


「お姉さんはマイノリティ肯定派だから。邪魔だったら出て行くけど?」

「お姉さん、って、俺と年齢変わらないだろ……。つか、マイノリティってなんだよ」

「少数派だよ少数派。そんな愛の形も有りだと思う」

「ちげぇよ!」


 ホモ疑惑をかけられた。

 看護師である紫は、浅香の性別を当然のように知っていたのである。


「って、あれ。あれ?槌門さん。包帯は?」


 紫は明月の腕を見ると、巻かれていた包帯が無いことに気が付き、腕を掴んだ。


「……え? 治……った?」


 そして掴んでも痛がらない明月に目を丸くすると、腕をさすったり叩いたりして確認しだした。

 折れてたらどうするんだこの看護師。と、明月は思った。


「なんか、治りましたね。俺もまだ若いかも」

「いや若いは若いけど、そんな急に治る訳ないでしょ……」

「でもこの通り。」

「ふぅん……。じゃ、退院退院。一応看てもらって、さっさと退院しよう」

「そんな、さっさと出て行けと言わんばかりに……」

「だってこっちは、病室足りないくらいなんだから。元気なのに不味い病院食食べたくないでしょ」

「看護師が病院食不味いとか言って良いのかよ」

「だって不味いもん」


(ーーやっぱり、明月さんも……)

 唯一、柚月が人間では無いと知っている浅香は、紫と言い争いながら、何事も無かったかのように動かしている明月の腕を見つめながら思う。

 妖狐の柚月と、確かに血の繋がりを持つ明月が、幽霊に触れることの出来ない普通の人間であることが、浅香は不思議でならなかった。しかし軽い身のこなしや、その治癒力。やはり人間離れしているような気がしてならない。

 彼も、何か問題を抱えている。浅香は確証をもって、そう思った。


「……おい、浅香。ぼーっとしてどうした?」

「へっ? あ、いえ、何でも……」

「城陰さん具合良くないの? 君はもうちょっと入院する?」

「何だ、俺と浅香の扱いの違いは……」

「私は可愛い子の方が好みだから」

「思いっきり私情じゃねぇか」


「まぁ、あれだね。良かったね」


 と、唐突に紫がそう言って微笑んだ。


「何がだ……?」

「んー、ふつーに笑えて。」

「……えっ、あの、もしかして貴方……」

「じゃ、私は報告してくる。ばいばーい」


 浅香がおろおろとしている内に、紫はさっさと去って行ってしまった。

 意外過ぎる紫の言葉に、二人は鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をしながら、お互い顔を見合わせる。


 そんな滑稽な二人を笑うように、窓の外の木の葉がゆらゆらと揺れていた。




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