悪霊と妖怪 其ノ参
「待って、ちょっと待って」
明月はそう言った。焦っている。かなり焦っている。いつも(成るべく、いや、出来るだけ)冷静を、掴み所の無い風を装っている明月だが、今回は本当に焦っている。冷や汗が額を伝った。
「それは流石にねぇよな、でも、これじゃ……」
唯一隣にいる浅香…というか歩治は答えない。というか答えられない。
明月はまさかのピンチに、ただ立ち尽くすしか無かった。
「除霊なんてできねぇよ」
◇◇◇◇◇
「あらー、悪いねー、ねーちゃん! ここにいると、驚かすくらいしかやること無いもんでなぁ!」
「いや、気絶してるから……」
がはは、と豪快に笑ったしわくちゃの老人が、青ざめた顔で気を失っている浅香の顔を覗き込んだ。この状態で浅香が起きたら、もっと大変なことになるのではないかと明月は内心思ったが、そんな心配をしっかりと汲み取って、浅香はぱちりとその大きな目を開ける。
「……おいじじィ。オレに顔近付けンじゃねェ」
しかし予想に反し、というか最悪なことに、浅香…ではなく歩治は勢い良く立ち上がると、老人の胸倉を掴み鋭い目付きで老人を威圧した。浅香が意識を失い、歩治がその身体を乗っ取ったのだ。
老人はすっかり怯えきって、青い顔を更に青くする。
「ひぃ、勘弁してぇ。命だけはぁ〜!」
歩治の前に手のひらを出し、必死に命乞いする老人。いや、あんた死んでるだろうと明月は一人心の中でツッコミを入れた。
歩治は「ちっ」と舌打ちをしてから、胸倉を掴んでいた手を乱暴に離す。何故か頗る不機嫌である。
尻餅を付いた老人を心配する幽霊の四人は、鞘のような小さな男の子が一人、若い女性が一人、あとは老婆が二人であった。彼等は皆、青い顔をしている。
ーー病気で亡くなったから……。
柚月の、赤みの差した唇を思い出しながら明月は思った。
彼女は事故で亡くなったから、あんなに人間に近い状態で存在しているのか、と。
ーーいや、存在は、していないのかも知れないけれど。
「おィ、ガキ。お前この中にいる奴らは全員知り合いか?」
「え?あ、うん、そうだね」
明月がそんな思考をしていることに気付いたのか、歩治は呆れたように溜め息を付いて、鞘に問いかけた。歩治と浅香は、柚月が幽霊の振りをしていることを知っているのだ。知ってて、黙っている。歩治が何を思っているかは定かではないが、浅香は柚月が隠していることを言うつもりは無い。
「……あのよォ、だったらこいつらに聞いても分かり切った情報しか出ねェだろ」
「あっ。」
ごもっともな指摘に、そっか、と呟く鞘。
歩治は態度こそ悪いが、この依頼に協力してくれる気があるようだ……、と、明月が思ったら睨まれた。顔に出ていたらしい。
「鞘。お前が入院してた時の事は、この人達に聞いたことあるのか?」
「うん、あるよ。お母さんがいっつもお見舞いに来てくれてたんだって」
「……それを聞いても、何も思い出せないのか?」
「うん…。」
「おィ、ガキ。」
明月の質問が終わると、歩治が腕組みをしながらふんぞり返って鞘に話しかけた。今更だが、浅香の人格を知ってから歩治の態度を見ると、違和感が物凄かった。
気にせず、歩治は続ける。
「てめェの知り合いじゃねェ霊を探して来い。」
「え……、僕、三年間ここにいるんだよ?」
「五月蝿ェ、さっさと行け」
顎で出て行くように促す歩治。鞘は腑に落ちないような顔をしながらも、言われた通りに、壁をすり抜けて出て行った。
「……さァ。」
と、歩治は鋭い、肉食獣のような瞳をこの部屋にいる五人に向けた。“逃がさない”とでも言いたげに。
「知ってること全部吐けよ。」
◇◇◇◇◇
「あさ……じゃねぇ、歩治? 何を……」
「どうせ、隠してンだろ? まァ、それが得策だがなァ」
歩治は明月を無視して五人に問いかけた。彼等は気まずそうに、互いに目を合わせたり、泳がせたりしている。
「……なァ、明月。事情を知っても記憶が戻らねェの、何でだと思う?」
「ん? 理由があんのか……?」
口を噤んでしまった五人に歩治は溜め息を付くと、明月に問いかける。明月はきょとんと、首を傾げた。
「まだ発覚していない、一番大事なある一点の事実があるからだよ」
「ある一点……?」
明月が繰り返すと、歩治は、あァ、と頷く。五人は更に、目を泳がせた。
「普通の記憶喪失ならなァ、粗方は、死因とか、家族とか、キーワードで少しは思い出せンだろ。それが無理ってことは、あのガキ自身が、思い出したくねェ何らかの事実を忘れることで、自分の精神状態を保ったンだ」
幽霊のくせになァ、と、歩治はどこか、自傷的に笑う。
「さァ、知ってンだろォ? 吐けよ。こちとらガキに依頼されてンだ」
そして歩治は、再び五人に目を向ける。威圧するように、睨み付けるように。
「……あの子、鞘は……」
すると、若い女性の霊が観念したらしく、重たそうに唇を開いた。
「母親に、殺されたんです」
「は……っ!?」
明月は目を見開く。
その信じ難い言葉はしっかりと聞こえていたが、受け入れることができなかった。
「あの子の家は、母子家庭だったらしいんですけど……。鞘が入院してしまって、彼のお母さん、気を病んでしまったんです……。それで……、」
女性は、ぽつりぽつりと小さな声で言葉を紡ぎ、それで、と言ったきり黙った。そのまま俯いてしまう。
「……それで、鞘を枕で押さえ付けて窒息死させてから、自分も飛び降り自殺したんじゃ……」
誰かが言わなければならないような気がしたのだろう。先程歩治に胸倉を掴まれていた老人が、小さな声で言った。
明月は何と無く察してしまっていたその答えに、俯くことしかできなかった。
「で、明月よォ。それをあのガキに伝えンのか?」
歩治は容赦ない態度で問いただす。
明月は答えない。
「……オレも、言わねェ方が良いんじゃねェかと、思うけどな」
「何でだ……?」
鞘を思い遣るような歩治の言葉を意外に思った明月が、思わず理由を聞く。失礼な思考であったが、歩治は気にした様子は無い。
「明月。“悪霊“ってよ。何だと思う?」
「何、って?」
歩治は明月の質問には答えず、逆に質問を投げ掛けた。どうやら、何かを気付かせたいらしいが、明月は歩治の質問の真意が分からず、訝しげに眉間に皺を寄せる。
「じゃあ、“オレ”って何だと思う?」
「……そんな、中学生に有りがちな悩みを俺に言われてもな……」
「違ェ……。オレという存在は、一体何だと思うんだ、って聞いてンだよ」
「犬、神……」
と、そこで明月は気付いた。
犬の幽霊である、犬神。神と祀られた、犬の幽霊。
そう。
幽霊から妖怪と化した、犬神という存在のこと。
「おい、じゃあ歩治。もしかして……!」
「そうだよ。」
"霊は悪霊になると、やがて妖怪になる。”
そう、歩治ははっきりと言った。この残酷な真実を知った後、鞘が悪霊となってしまう可能性を指摘したかったのだ。そうなると、彼は成仏することはできない。妖怪の死と同じ。救いもなく、ただ消滅するだけになってしまう。
「つーか、何年やってるのか知らねェが、悪霊退治はしたことねェのかよ」
「俺に入る依頼は、妖怪関連ばっかりだったからな……」
「そうか、そうだったっけねぇ……」
相槌を打ったあどけない声に、その場の全員が声の主に目を向け、そして目を見張る。
そこにいた声の主は、苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。
「……鞘……っ。」
「僕、何で忘れてたんだろう」
他の人の危惧を他所に、鞘は苦笑いのまま言う。
「僕、お母さんに甘え過ぎちゃったんだ。お母さんは仕事もしなきゃいけないのに。僕がお母さんを追い込んだんだ」
鞘は涙をぐっと堪え、ぎこちない笑顔を浮かべて言葉を紡ぐ。
彼は、十歳程にしか見えない彼は、大人が思うよりも、よっぽど強かった。
「ねぇ、お兄さん。僕、もう心残り無いから、成仏させて。お兄さんならできるんでしょう?」
ーーそんなこと、させない。
「ーー!?」
突然聞こえてきた、まるで地鳴りのように低く、静かながらもはっきりとした声に、全員びくりと肩を震わせる。
声と同時に、重苦しい、まるで雨雲のような空気が部屋中を満たす。女性の霊を筆頭に、彼等はまるで防空壕に逃げ込むかのような速さでこの部屋を去る。そんな殺生な、と少し思った明月だが、子供や老人には、確かに毒が多い空気だ。
残されたのは、明月と、歩治と、鞘のみ。
ーー連れて行かせない。
そんな、心に直接訴えるような声が、再び響き、それは姿を表した。
「お、かあ、さん……?」
その禍々しい姿を目の当たりにした鞘は、信じられないというような、半笑いで、悪霊となった母親を見上げた。
明月は、鞘の母親の姿に、暴走した火車を思い出す。負の感情が凝縮されたような、その姿。
「ひでェな、こりゃァ。もう手遅れだ。こいつは、」
ーー妖怪だよ。
歩治の呟くような声。
ーーあぁ、成る程ね。
明月は妙に冷静に思考した。病院には、少なからず“変な噂”が流れる。この場所が、一番今際の際を見ているからだ。昨日の晩に紫に聞いたように、それはこの病院も同じ。
きっと、噂が、噂で伝わった恐怖が、この女性をこんな姿にしてしまった。力を持たせてしまったのだ。それは力を持たない幽霊だからこその、抗えない、自然現象のようなもの。火車のように意図的に暴走させられていた場合とは異なり、自然に、まるで汚れが蓄積していくかのように募った負の感情は、明月の術ではどうしようもなかった。
「明月。お前がお人好しなのは身を以て知ってっけど、今回はどうにもならねェぞ。妖怪になっちまった幽霊は……もう、元には戻れねェ」
「……わかってる。」
それだけ返事をした明月だが、重要なことに気付く。
包帯でぐるぐる巻かれた自分の両腕を見ながら、この場の雰囲気をぶち壊すような、あれ?という間抜けな声を出した。
「この手で、どうやって九字切るんだ……?」
歩治に聞いても、分かるはずが無かった。




