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魍魎アフリクターズ  作者: 機場 環
第肆章
18/36

悪霊と妖怪 其ノ参

「待って、ちょっと待って」


 明月はそう言った。焦っている。かなり焦っている。いつも(成るべく、いや、出来るだけ)冷静を、掴み所の無い風を装っている明月だが、今回は本当に焦っている。冷や汗が額を伝った。


「それは流石にねぇよな、でも、これじゃ……」


 唯一隣にいる浅香…というか歩治は答えない。というか答えられない。

 明月はまさかのピンチに、ただ立ち尽くすしか無かった。


「除霊なんてできねぇよ」



 ◇◇◇◇◇



「あらー、悪いねー、ねーちゃん! ここにいると、驚かすくらいしかやること無いもんでなぁ!」

「いや、気絶してるから……」


 がはは、と豪快に笑ったしわくちゃの老人が、青ざめた顔で気を失っている浅香の顔を覗き込んだ。この状態で浅香が起きたら、もっと大変なことになるのではないかと明月は内心思ったが、そんな心配をしっかりと汲み取って、浅香はぱちりとその大きな目を開ける。


「……おいじじィ。オレに顔近付けンじゃねェ」


 しかし予想に反し、というか最悪なことに、浅香…ではなく歩治は勢い良く立ち上がると、老人の胸倉を掴み鋭い目付きで老人を威圧した。浅香が意識を失い、歩治がその身体を乗っ取ったのだ。

 老人はすっかり怯えきって、青い顔を更に青くする。


「ひぃ、勘弁してぇ。命だけはぁ〜!」


 歩治の前に手のひらを出し、必死に命乞いする老人。いや、あんた死んでるだろうと明月は一人心の中でツッコミを入れた。

 歩治は「ちっ」と舌打ちをしてから、胸倉を掴んでいた手を乱暴に離す。何故か頗る不機嫌である。

 尻餅を付いた老人を心配する幽霊の四人は、鞘のような小さな男の子が一人、若い女性が一人、あとは老婆が二人であった。彼等は皆、青い顔をしている。


 ーー病気で亡くなったから……。


 柚月の、赤みの差した唇を思い出しながら明月は思った。

 彼女は事故で亡くなったから、あんなに人間に近い状態で存在しているのか、と。


 ーーいや、存在は、していないのかも知れないけれど。


「おィ、ガキ。お前この中にいる奴らは全員知り合いか?」

「え?あ、うん、そうだね」


 明月がそんな思考をしていることに気付いたのか、歩治は呆れたように溜め息を付いて、鞘に問いかけた。歩治と浅香は、柚月が幽霊の振りをしていることを知っているのだ。知ってて、黙っている。歩治が何を思っているかは定かではないが、浅香は柚月が隠していることを言うつもりは無い。


「……あのよォ、だったらこいつらに聞いても分かり切った情報しか出ねェだろ」

「あっ。」


 ごもっともな指摘に、そっか、と呟く鞘。

 歩治は態度こそ悪いが、この依頼に協力してくれる気があるようだ……、と、明月が思ったら睨まれた。顔に出ていたらしい。


「鞘。お前が入院してた時の事は、この人達に聞いたことあるのか?」

「うん、あるよ。お母さんがいっつもお見舞いに来てくれてたんだって」

「……それを聞いても、何も思い出せないのか?」

「うん…。」

「おィ、ガキ。」


 明月の質問が終わると、歩治が腕組みをしながらふんぞり返って鞘に話しかけた。今更だが、浅香の人格を知ってから歩治の態度を見ると、違和感が物凄かった。

 気にせず、歩治は続ける。


「てめェの知り合いじゃねェ霊を探して来い。」

「え……、僕、三年間ここにいるんだよ?」

「五月蝿ェ、さっさと行け」


 顎で出て行くように促す歩治。鞘は腑に落ちないような顔をしながらも、言われた通りに、壁をすり抜けて出て行った。


「……さァ。」


 と、歩治は鋭い、肉食獣のような瞳をこの部屋にいる五人に向けた。“逃がさない”とでも言いたげに。


「知ってること全部吐けよ。」




 ◇◇◇◇◇



「あさ……じゃねぇ、歩治? 何を……」

「どうせ、隠してンだろ? まァ、それが得策だがなァ」


 歩治は明月を無視して五人に問いかけた。彼等は気まずそうに、互いに目を合わせたり、泳がせたりしている。


「……なァ、明月。事情を知っても記憶が戻らねェの、何でだと思う?」

「ん? 理由があんのか……?」


 口を噤んでしまった五人に歩治は溜め息を付くと、明月に問いかける。明月はきょとんと、首を傾げた。


「まだ発覚していない、一番大事なある一点の事実(・・・・・・・)があるからだよ」

「ある一点……?」


 明月が繰り返すと、歩治は、あァ、と頷く。五人は更に、目を泳がせた。


「普通の記憶喪失ならなァ、粗方は、死因とか、家族とか、キーワードで少しは思い出せンだろ。それが無理ってことは、あのガキ自身が、思い出したくねェ何らかの事実を忘れることで、自分の精神状態を保ったンだ」


 幽霊のくせになァ、と、歩治はどこか、自傷的に笑う。


「さァ、知ってンだろォ? 吐けよ。こちとらガキに依頼されてンだ」


 そして歩治は、再び五人に目を向ける。威圧するように、睨み付けるように。


「……あの子、鞘は……」


 すると、若い女性の霊が観念したらしく、重たそうに唇を開いた。


「母親に、殺されたんです」

「は……っ!?」


 明月は目を見開く。

 その信じ難い言葉はしっかりと聞こえていたが、受け入れることができなかった。


「あの子の家は、母子家庭だったらしいんですけど……。鞘が入院してしまって、彼のお母さん、気を病んでしまったんです……。それで……、」


 女性は、ぽつりぽつりと小さな声で言葉を紡ぎ、それで、と言ったきり黙った。そのまま俯いてしまう。


「……それで、鞘を枕で押さえ付けて窒息死させてから、自分も飛び降り自殺したんじゃ……」


 誰かが言わなければならないような気がしたのだろう。先程歩治に胸倉を掴まれていた老人が、小さな声で言った。

 明月は何と無く察してしまっていたその答えに、俯くことしかできなかった。


「で、明月よォ。それをあのガキに伝えンのか?」


 歩治は容赦ない態度で問いただす。

 明月は答えない。


「……オレも、言わねェ方が良いんじゃねェかと、思うけどな」

「何でだ……?」


 鞘を思い遣るような歩治の言葉を意外に思った明月が、思わず理由を聞く。失礼な思考であったが、歩治は気にした様子は無い。


「明月。“悪霊“ってよ。何だと思う?」

「何、って?」


 歩治は明月の質問には答えず、逆に質問を投げ掛けた。どうやら、何かを気付かせたいらしいが、明月は歩治の質問の真意が分からず、訝しげに眉間に皺を寄せる。


「じゃあ、“オレ”って何だと思う?」

「……そんな、中学生に有りがちな悩みを俺に言われてもな……」

「違ェ……。オレという存在は、一体何だと思うんだ、って聞いてンだよ」

「犬、神……」


 と、そこで明月は気付いた。

 犬の幽霊である、犬神。神と祀られた、犬の幽霊。

 そう。

 幽霊から妖怪と化した、犬神という存在のこと。


「おい、じゃあ歩治。もしかして……!」

「そうだよ。」


 "霊は悪霊になると、やがて妖怪になる。”

 そう、歩治ははっきりと言った。この残酷な真実を知った後、鞘が悪霊となってしまう可能性を指摘したかったのだ。そうなると、彼は成仏することはできない。妖怪の死と同じ。救いもなく、ただ消滅するだけになってしまう。


「つーか、何年やってるのか知らねェが、悪霊退治はしたことねェのかよ」

「俺に入る依頼は、妖怪関連ばっかりだったからな……」


「そうか、そうだったっけねぇ……」


 相槌を打ったあどけない声に、その場の全員が声の主に目を向け、そして目を見張る。

 そこにいた声の主は、苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。


「……鞘……っ。」

「僕、何で忘れてたんだろう」


 他の人の危惧を他所に、鞘は苦笑いのまま言う。


「僕、お母さんに甘え過ぎちゃったんだ。お母さんは仕事もしなきゃいけないのに。僕がお母さんを追い込んだんだ」


 鞘は涙をぐっと堪え、ぎこちない笑顔を浮かべて言葉を紡ぐ。

 彼は、十歳程にしか見えない彼は、大人が思うよりも、よっぽど強かった。


「ねぇ、お兄さん。僕、もう心残り無いから、成仏させて。お兄さんならできるんでしょう?」



 ーーそんなこと、させない。


「ーー!?」


 突然聞こえてきた、まるで地鳴りのように低く、静かながらもはっきりとした声に、全員びくりと肩を震わせる。

 声と同時に、重苦しい、まるで雨雲のような空気が部屋中を満たす。女性の霊を筆頭に、彼等はまるで防空壕に逃げ込むかのような速さでこの部屋を去る。そんな殺生な、と少し思った明月だが、子供や老人には、確かに毒が多い空気だ。

 残されたのは、明月と、歩治と、鞘のみ。


 ーー連れて行かせない。


 そんな、心に直接訴えるような声が、再び響き、それ(・・)は姿を表した。


「お、かあ、さん……?」


 その禍々しい姿を目の当たりにした鞘は、信じられないというような、半笑いで、悪霊となった母親を見上げた。

 明月は、鞘の母親の姿に、暴走した火車を思い出す。負の感情が凝縮されたような、その姿。


「ひでェな、こりゃァ。もう手遅れだ。こいつは、」


 ーー妖怪だよ。

 歩治の呟くような声。


 ーーあぁ、成る程ね。


 明月は妙に冷静に思考した。病院には、少なからず“変な噂”が流れる。この場所が、一番今際の際を見ているからだ。昨日の晩に紫に聞いたように、それはこの病院も同じ。

 きっと、噂が、噂で伝わった恐怖が、この女性をこんな姿にしてしまった。力を持たせてしまったのだ。それは力を持たない幽霊だからこその、抗えない、自然現象のようなもの。火車のように意図的に暴走させられていた場合とは異なり、自然に、まるで汚れが蓄積していくかのように募った負の感情は、明月の術ではどうしようもなかった。


「明月。お前がお人好しなのは身を以て知ってっけど、今回はどうにもならねェぞ。妖怪になっちまった幽霊は……もう、元には戻れねェ」

「……わかってる。」


 それだけ返事をした明月だが、重要なことに気付く。

 包帯でぐるぐる巻かれた自分の両腕を見ながら、この場の雰囲気をぶち壊すような、あれ?という間抜けな声を出した。


「この手で、どうやって九字切るんだ……?」


 歩治に聞いても、分かるはずが無かった。





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