悪霊と妖怪 其ノ弐
鞘のお願いというのは、こうだ。『自分は自分が死んだ理由がわからない。突き止めてほしい』と。
幽霊というのは、死亡時のショックで記憶を失うことが有る。そういった霊は浮遊霊や地縛霊になりやすい。
そして自分の死の理由が分からないが故に、この世に残った未練を晴らすことも出来ない。つまり、成仏も出来ない。
子供の霊が多いのもここに理由が有る。彼等、或いは彼女等は、“死”というショックがあまりにも大きい。少なくとも、小さな体の、容量の範囲を軽く超える程度には。
まさに、迷子。
自分の残す未練さえも分からない霊は、先の見えない道を、ただただ彷徨い、途方に暮れることしかできないのである。
「他人の尻拭いまでできねぇ。」
「え……?」
明月の呟くようにそう言った。
今までの明月らしからぬその発言に、浅香はきょとんと目を丸くする。
「……って、姉貴なら言うだろうなーってな」
「ああ……」
びっくりしました、と浅香。
その、柚月ならいかにもだというような反応に、明月は口角を上げて見せる。
「確かに、全員の相手はしてらんねぇんだよな。幽霊皆気にかけて、依頼の無い問題も全部解決してやることなんて、できねぇんだよなぁ。俺も一応社会人だし……」
「そうです、よね……」
「あぁ。……でも」
明月は包帯で巻かれてバズーカのようになった腕を動かし、しょぼんとしてしまった浅香の頭にぽんと置いた。
「俺は今、どうしようもなく暇だ」
だろ?と笑う明月。
浅香は、はいっ、と微笑んだ。
「しかし、浅香」
「はい?」
「ショックで記憶を無くす程の死に方、って、どんなんなんだろうなぁ……」
記憶喪失。
明月はその言葉を口に出してから、自分のことを考えた。思い出したように。
明月には、八歳より前の記憶が無いのだ。
彼の世界が始まったのは、優しい祖父と、もう亡くなってしまっている姉の霊との生活から始まる。小さな神社の神主である祖父にも、柚月が見えていた。
彼等は明月の、そして柚月の父の死因は病だったと言った。癌だったと。そして母と、柚月は二人で交通事故にあったと。
しかし、明月はそれを悲しくは思わなかった。彼に両親の記憶が一切無いからだ。故に両親と言われてもピンと来なかったし、亡くなっていると言われてもピンと来なかった。だって、明月の世界には最初から存在していないのだから。
しかし。
しかし、両親が亡くなったことで幼少期から時が止められたかのように。両親の温もりを何処かで求めて止まないことに、明月自身、嫌という程に気が付いていた。自分はどうにも、子供であると。
「ーー明月、さん……?」
「ぁー……すまん。浅香」
明月は小さくそう言うと、浅香の頭に置いた手を背中に回した。
「……俺で良ければ、頼ってください。貴方は、恩人ですから」
浅香は一瞬、目を見開いたが、彼に促さられるがままにーーいや、浅香の方から、明月の頭を包み込むように抱き締めた。
出会って日の浅い浅香だからこそ見せることができた、明月の、唯一の弱いところである。
◇◇◇◇◇
明月さんが泣いてる。俺はそう思った。
実際は泣いてなかったけど、その位辛そうな声だった。
この辛さはきっと、同じだから分かることだ。
分かってしまった。年齢よりも幼く見える顔を最初に見た時には、もう既に。
でも彼は、俺が思ったよりも、よっぽど大人……いや、よっぽど“お兄さん”だった。彼は俺とは比べものにならない位の強さも併せ持っている。
しかし今、そんな彼が泣いていた。いや、涙は出てないけど。それでもやっぱり、どうしようもなく、泣いてた。
彼はすぐ、そんなの嘘みたいに、けろりと表情を変えたけど。
やっぱり強いなぁと思った。
明月さんはいつも、自分に構ってる暇は無いという様子だ。入院してかれこれ一週間が経ったが、彼はあまり自分の体を大事にしない。勿論、早く治るように無理こそしていないが、何と無く、そう思う。
片腕にヒビが入ってるのに、俺に向かってきた時にも、そう思った。だって、撤退という術もあったのだから。
あれは、負傷していても俺に勝てるという傲りではない。
自分の体よりも、ポチに乗っ取られている俺や、これから起こる被害の方を重要視したのだ。
そんな彼が弱っている姿というのは中々にレアだと思う。少なくとも、姉の柚月さんや、篠さんがいたら絶対に見せないだろう。
俺は、明月さんには悪いけど、嬉しかった。
今の彼には、今傍にいる俺しか頼れないんだ、って。
昔から周りに、両親にさえ忌み嫌われた俺には、どうしようもなく嬉しかったんだ。
ーー……い、おい。浅香。
なんだろう、五月蝿いなぁ。人が喜びに浸ってる時に。
ーー五月蝿いなぁ、じゃねェんだよ、お前。
……あぁ、ポチか。そりゃそうだよね。俺の中にはポチしかいないもんね。
ーーポチってェの止めろって、何万回言わせるんだよてめェは。それよりよォ。浅香。てめェがこのクソ弟にその気があったとは思わなかったぜ。
何言ってるのポチ。俺はさ。
そんな感情、持ったら駄目なんだから。
◇◇◇◇◇
「お前アレに似てるな。すけきよ……じゃねぇし、よしお?」
「よしおってだぁれ?」
「あのホラー映画の。」
「……明月さん、それはきっと、としおですよね。俊雄。」
鞘は蒼白い顔をにこにこと崩して笑っている。正直言ってその顔は不気味であった。普通ならば、子供らしく薔薇色な筈の頬や唇が真っ青で、それこそホラー映画にでも出てきそうだ。
最初こそ怖がっていた浅香だが、あんまり怯えると鞘が可哀想だからと、必死に平静を装っている。しかしやはり表情が強張っていた。
昨晩鞘から依頼を受けた二人は、朝になると紫に朱義鞘という子が亡くなっていないかと聞いたところ、確かに三年前、この病院で亡くなっていた。理由は喘息による呼吸困難。ナースコールを押す前に息耐えてしまったらしい。
それを夜になって現れた鞘に伝えたところ、「成る程、だからこんなに顔が蒼いんだね」だなんて呑気に言うものの、何故か鞘は、自分の生前の記憶を思い出すことが出来なかった。
理由を知っても、思い出せない。どういうことかと悩んだ二人は、他の情報を探すことにした。
故に今、病院内の霊から聞き込みをすることにした。もしかしたら鞘の入院生活を、見ていた人がいるかもしれないからだ。
「で、鞘。此処に他の霊っているのか?」
「いるよー。結構。人目の付かないとこに隠れてるかも」
鞘はきょろきょろしながら廊下を歩く。その小さな歩幅に、浅香は何とも言えない、やり切れない気持ちに苛まれた。こんなに小さな子供が、命を落としたのだと痛感したのだ。
しかしそんな浅香を気にもせず、鞘はどんどん進んで行く。
「あー、やっぱり霊安室かなー」
鞘がそう言って踵を返して歩きだし、迷いなく進んである扉の前に立った。
「場所、詳しいな」
「そりゃ、三年目だもん」
そっか、という声と同時に、明月は鞘に促されてその扉を開けた。勢い良く。
途端。
まるで身を潜めるように集まっていた五人の幽霊全員が、此方に恨めそうな顔を向ける。
「ひっ」と、小さく悲鳴を上げて浅香が倒れた音と、霊安室の扉が閉まる音が同時に、無機質な廊下に響いた。




