亡き想い 其ノ参
兄弟、兄妹、姉弟、そして姉妹とは、普通はどのような存在なのだろうか。
“きょうだい”という存在がいない篠は、そう考えた。
篠にとって、一番身近にいる姉弟は、勿論明月と柚月だ。柚月の、針鼠の如くツンツンとした性格と、もう良い大人である明月(実年齢は柚月も十分に大人だが)は、べたべたと仲が良いだとか、見るからに肉親であるかのような親しさは見受けられない。
しかし、根元の何処か深いところで、自分では築けない信頼関係というか、そんな“何か”が確実に存在するような気がする。
(――礎のような)
篠は明月と柚月を見ていてそう思った。
そして同時に、それが“きょうだい”なんだと思う。
血のつながり。親と子のそれよりも近い、血のつながり。
言わば、分身のような。違う“自分”のような。
彼らを見ていて、篠はそんなことが理解できた。
――故に、理解できなかった。
自らの、溺愛していた筈の妹で、殺人を犯す兄を。
「おや、探してましたよ。お久しぶりです」
兄、霧苑 庵は笑った。さも、何でもないことのように。
篠は気持ち悪いと思った。美形の笑顔に目がない筈の篠が、その笑顔を気持ち悪いと思った。
人間は不可解なものを嫌う。そんな心理故に、自分のような妖怪は生まれた。その心理を今、篠は身を以て理解したのだ。
―――ワカラナイ。気持ち悪い。
◇◇◇◇◇
この兄妹に出会ったのは、炎角の護衛を始めたその日のことだ。
自ら望み店番を買って出た柚月を事務所に置いて、明月と篠は炎角と共に悪人の魂を探した。
バイクには乗れてあと一人であるため、炎角、明月、篠は徒歩で仕事をすることにしたせいで、炎角は「大丈夫っス。」と言いながらも不便そうだったが、他にどうしようもない。そのまま仕事をすることになったが、これじゃ火車じゃないなぁ、と篠は思った。きょろきょろと、迷子になったか遭難したみたいにして歩く三人の様子は、自分たちから見ても何だか滑稽だった。
――そんな中、すぐに見付けた。
見付けてしまった。
首が不思議な曲がり方をした死体の側に立つ、小さな少女と、以前見た時と違い、真っ白い髪の青年。
少女、霧苑 燐と、青年、霧苑 庵を。
「えっ、あれっ!? 燐ちゃん……!? 何で生きてるの……!?」
「――反魂、だと……!?」
明月はまるで化け物を目の当たりにしたかのように、驚愕を露わにする。
反魂の術。亡骸に魂を呼び戻す術。つまり、死者を蘇らせる術。神をも冒涜する術。
明月はその術の存在を知ってはいたが、できるものだとも思わなかったし、やろうとも思わなかった。
「えぇ。燐が戻って来たんです。“片目”なんて安いものですよね」
庵は、今は絆創膏が貼ってある、自らの片目があった場所に手を添えながら笑う。
燐を取り戻した時の代償だ。
「お前……、何かを代償に何かを得るっつぅのは術じゃねぇ……。“呪い”だぞ……!?」
「それが何だと言うんです?」
庵は、当然のように言った。
きょとん、と。
「僕は燐が戻ってきて欲しいから片目を犠牲に蘇らせました。そして燐が死んでしまった原因を潰したいから、燐を使って悪人の死体を量産しようとしてます」
それが何か、と、首を傾げる。
「そんな……っ、それなら自分で殺せば良いじゃない! 燐ちゃんにそんなこと……!」
「燐の魂は今、眠っていますよ。というか、眠らせています。つまり今は、」
――精巧なロボットと同じです。
そんな庵の言葉に、明月はどうしようもない憤りを覚えた。その顔には驚愕ではなく、確かな怒りが浮かぶ。
「……貴方には関係無いことですよ。関係有るのは――」
そんな明月から炎角に視線を移し、庵は笑った。白い肌と、白い髪の中の、唯一黒い瞳。暗い、全ての光を飲み込んだ闇のような瞳で。
炎角はぞくりと背筋が凍るような感覚に陥った。
「待てよ庵! 燐が死んだのはそいつのせいじゃーー」
「うるさいですね。」
一瞬。
一瞬のことだった。目にも留まらぬ速さで、庵の声に呼応するように、燐が炎角との距離を詰めたのだ。
危機一髪のところで、明月が燐のその細く白い脚での攻撃を腕で防いだ。
―――!?
みしり、と、骨が軋む。
少女の細い脚で、大の大人の骨が軋んだ。明月は目を見開き、即座に少し距離をとる。篠は何が起きているのか分からず、防いだ方の腕をおさえる明月に駆け寄った。
「明ちゃん……!?」
「大丈夫、だが――」
「おや、折れなかったんです?すごい」
笑う。庵は笑う。愉快そうに笑う。
「『何でこんなに小さな子がこれだけのパワーを持っているのか。』って、そんな顔してますね」
庵は三人を見回してから言った。
「この子を蘇らせるには、魂と動力が要りました。だから強力なものにしたんです」
故に、と、庵は言葉を切り、燐を後ろから抱き締める。壊れ物のように、優しく。愛おしくて堪らないもののように、優しく優しく。
「つまり燐は、“成長”を失って強力なパワーを得て戻って来たんですよ。小さい方が可愛いですし、一石二鳥ですよね」
燐の真っ白い、もはや中身が透けてしまいそうな程に真っ白い頬をつついて見せる庵。笑顔の庵とは反対に、燐は人形のように表情が無かった。
あの時の庵みたいだ、と、明月は思った。
燐を失った時の庵の顔だ。喜怒哀楽を全て落としてきたかのような、“無”の表情。
「止めろよ……!」
明月は叫んだ。
「それ以上テメェの妹にそんな顔させとくんじゃねぇ……!」
「おや、燐の為にそんな顔するなんて、ロリコンなんですか?」
「……そのネタはもう良い。」
庵まで場の空気を壊す発言をしたことに明月は溜息をつく。
そして仕切り直すーーつもりだったのだろうが、明月はあろうことか、背中に担いでいた錫杖取り出した。
「……明ちゃん。何か棒を持ってるなぁとは思ったけど、錫杖って。錫杖ってさ。いくら祓い師っぽくないからって、それはさ、陰陽師というか僧侶さんだよね……」
「明月さん、それ何処にあったんスか……。返してきましょう、ねっ?」
「お前らほんとに空気読まねぇな……!」
篠と炎につっこまれ、仕切り直すことを見事に失敗した明月は不満を叫びにする。しかし明月と燐を除いた三人は、自分も大概だろ、と思わざるを得なかった。
「兎に角! お前が炎角を殺す気でいるんなら、俺は容赦しねぇぞ!」
「どう容赦しねぇんです? 逆に僕たちを殺しますか?」
庵はにこやかに首を傾げた。どこまでも、“何でもない”ような顔。普通が故に、不気味な笑顔。
「貴方には燐を一度助けて貰った恩が有るので、願わくば戦ったりしたくないのですが……」
邪魔するならば仕方ありませんね、と、庵の言葉が合図であるかのように、燐は動いた。今度は炎角ではなく、明月に向かって行く。
と、そこで、まるで明月の周りが、バリアのように炎で包まれる。
「明月さん、庵さん。止めてくだせぇ」
そしてその炎の中を、炎角が燐と庵に向かって歩く。
「全部あっしの所為っスよ。それならあっしの命、貰ってくだせぇ」
炎角はそのあどけない顔に似合わない大きなサングラスを外すと、決意を決めたように、無抵抗を表すように目を瞑る。
しかし庵は、違う、と、小さく呟やいた。
「……違う。僕は最初から燐がいなくなった時、既に死んでたことを知ってる。燐から聞いてる」
「え…!?」
反応したのは篠だが、炎角と明月も目を丸くしている。何を言っているのか、と。
「最初から敵討ちなんて名目上ですよ。僕は燐の未来を奪ったのを、病気じゃなくて貴方のせいにしたんです」
庵は、冷静だった。しかし、笑顔のような気持ち悪さは無かった。
「貴方如きの命では僕の鬱憤ははらされません。でも、犯罪者を殺してもはらされませんでした。結局、どうやっても無理なんです。分かってましたよ。とっくに」
「じゃあ――」
明月は言った。
笑っていた。挑発的に。
「鬱憤はれるまで殴り合ってやるよ…!」
そして、錫杖を構える。
庵は笑った。酷く自傷的でーー酷く、人間らしい笑顔。
「依頼です! 明月くん! 僕等を倒してみせてください!」
「望むところだ!」
そんな叫びとほぼ同時に、明月と、庵と燐による激しい攻防が開始する。
「んだよ、妹にやらせといて自分も動けるんじゃねぇか変態シスコン眼鏡!」
「燐は躱して僕ばかり狙うとは、明月くんはやっぱりロリコンなんですね……!」
―――攻防、攻防、攻防。
しかし驚くべきは、二対一にも関わらず、明月は互角に戦っている。武器――というか、錫杖は持っているが。
「見てられないよぅ……。結局何で戦ってるの、あの三人……」
篠は泣きっ面で炎角の手をぎゅっと握った。どうしたら良いのか分からないといった様子である。
「もう、止まらないんスよ……」
事の発端は自分がおかしくなったせいだという事実に、炎角は自らを叱責せずにはいられなかった。今の明月の役目は本来ならば自分が担わなくてはならないこと、そして自分にはそれだけの力が無い事。
自分はただ、二人の戦いを眺めることしか出来ないのだ。
「左腕を庇ってますね明月くん! 最初のでヒビでも入りましたか?」
「あぁ、良い妹を持ったな! そりゃあ使いたくもなる!」
明月が、しゃらん、と音を立てて錫杖を降り下ろす。
庵は、燐を庇い、肩に思い切りその攻撃を受けた。
「えぇ、僕は合理主義でね。でも燐の体が傷付かないようには、配慮してます」
庵の右腕が力を失ったように、重力に従ってぶら下がる。右肩に受けた錫杖のせいで、鎖骨が折れたのだろう。
「……良い事教えてやろうか……。」
明月は錫杖の先を地面に付けた。戦意という名の剣を下ろすように。
「魂ってのはな、眠ったりしねぇんだよ」
その言葉に、庵は燐を見る。燐の瞳が微かに揺れた。
庵が燐を“眠らせた”という時の状態は、燐の魂が体を操作出来なくなったというだけの状態であったのだ。
「え……、燐、じゃあ……」
「お前の為に眠ってる振りしてたんだよ。」
つまり、燐は自分の体が殺人を犯したことを知っていた。しかし庵は燐が知っているとは思っていなかった為、知らないふりをしていたのだ。
庵が燐の体の主導権を燐の魂に返した瞬間に、その瞳から涙が零れた。
「兄さん……、ごめんなさい。私もっと……早く、止めるべきだったのに……」
燐がまるで、零れる涙のように、ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
唖然としていた庵だったが、その言葉が途切れた瞬間、力が抜けた右腕のように、かくんと地面に膝をつく。
「じゃあ僕は、お前に無理矢理殺人を……?」
「そんなのは良いの……!」
燐は声を荒げた。
それは建前ではなかった。幽霊になり世の理から外れた燐は、そのような常識という観念が薄くなってしまったからである。
「兄さん、私兄さんが苦しんでるとこ見たくない」
燐は、膝を付いて自分より背が小さくなった庵を抱き締めた。
「一緒に、普通に暮らそう。私が死ぬ前みたいに、一緒に」
「燐……。」
篠が遠目に見たそんな二人は、
お互いに深いところで思いやり合うのような、普通の兄妹だった。




