第7話「銅貨10枚の誘惑」
乾燥品八十束は、二日で仕上がった。
集落の蔵の前に積まれた束は、生の時とは別物だった。軽く、香りが強く、ユナの赤い紐で束ねられている。俺はギルドの信用手形を示し、集落長と精算の約束を交わした。四百枚分は、納品の売上からすぐに支払う。
馬車も、今度は違った。
乾燥品は軽い。一台の馬車に八十束全部が乗り、代金は二十枚。しかも腐る心配がないから、涼しい朝のうちに出発し、昼前に町へ着く余裕があった。
ユナも同行した。「最後まで見る」という約束のためだ。
「顔、緩んでる」
「緩むだろう。今回は計算が合う」
納入価格七枚×八十束で、売上は五百六十枚。信用の返済四百十枚を引いても百五十枚残る。バルドへの借り二十五枚と集落への支払いの残りを済ませれば、あの時の赤字分を取り返して、まだ少し残る計算だった。
町が見えてきた頃、街道沿いの宿場で馬車を止めた。水と餌の休憩のためだ。
そこで、声をかけられた。
「そちらの月光草、乾燥品だな。全部、売ってくれないか」
立派な身なりの男だった。護衛の剣士を一人、連れている。
「王都から来た買い付けだ。今、王都は熱病で薬草が払底している。一束――銅貨十枚で買おう。現金で、今この場で払う」
十枚。
バルドへの納入価格は、七枚。差額は三枚。八十束で、二百四十枚の差になる。
八百枚の現金が、今ここで手に入る。ギルドへの返済も、バルドへの借りも、その場で全部消える。俺の手元には、最初の軍資金の何倍もの金が残る。
馬車の横で、ユナが俺を見ていた。何も言わない。だが、その目が言っていた。
(見るって、約束したから)
俺は数字を見た。王都にも、熱で苦しむ人間がいる。この男に売れば、草は薬になり、誰かを救う。理屈の上では、町のバルドに納めるのと変わらない。値段は、むしろ向こうが高い。市場は高い方へ流れる。それが市場の理屈だったはずだ。
だが――。
「断る」
声は、自分で思ったより早く出た。
「……理由を聞いても」
「この草は、バルド薬舗への納品で契約済みだ。あっちの棚にも、待ってる患者がいる。契約を破って高く売る商人は、次の契約をもらえない」
「次の契約より、二百四十枚の現金だぞ」
「二百四十枚は大きい。だが俺は今回、信用で四百枚を借りてこの草を運んでる。信用は、今回限りの金じゃない」
男はしばらく俺を見て、それから小さく笑った。
「商人は値段で選ぶ生き物だと思っていたが……。変わった男だな。名は」
「天瀬衡」
「覚えておこう。……契約が終わった後なら、話は別だ。その時は市場で会おう」
「一つ、聞いていいか。王都では今、乾燥した月光草は一束いくらで取引されてる」
男は少し驚き、それから正直に答えた。
「小売りの材料としては、十二枚から十四枚だな。私が十枚で買っても、王都で転売すれば儲けが出る」
「情報、ありがとう。次に余剰が出たら、正規の発注として話を持っていく」
「……断った相手に、そこまで言うか」
男は苦笑して、懐から自分の商会の木札を差し出した。木札は受け取った。断ったのは今回の取引で、情報と次回の縁は、別の話だ。
「楽しみにしているよ、天瀬衡。市場で会おう」
男は潔く去っていった。
馬車が再び動き出すと、ユナがぽつりと言った。
「二百四十枚、だよ」
「知ってる」
「惜しくないの」
「惜しいに決まってるだろう。胃が痛い」
ユナは吹き出した。
「あんた、やっぱり普通の商人と違うね。普通は、断る理由を格好よく言うのに」
「格好つける金がないんだ」
町の門が見えた。
バルドの店では、老薬師が待ち構えていた。乾燥品八十束を一束ずつ検品し、棚に積み上げていく。赤い紐の束が、空だった棚を埋めていく光景は、なかなかのものだった。
「――上物だ。乾燥の具合が均一だな。誰の仕事だ」
「集落の、ユナ・リンデンの仕事です」
俺が答えると、ユナは少し驚いた顔をした。自分の名前が、町の薬屋の口に乗る。それが彼女にとって、どれだけ遠い世界の話だったか。
精算はその日のうちに済んだ。
売上五百六十枚。ギルドへの返済、四百十枚。集落への支払いの残りと、バルドへの借り二十五枚の返済。全部を終えた時、俺の手元に残ったのは――始まりの頃と大して変わらない額だった。
金は、残らなかった。
だが、バルドが最後に言った。
「衡。あんたの納めた薬草で、今夜から薬を切らさずに作れる。……戻り熱の子供たちに、最後まで飲ませてやれる」
その夜、薬屋の工房の明かりは、遅くまで消えなかった。
(第8話へ続く)




