第6話「信用で借りる」
バルドに教わった通り、商人ギルドは市場の北外れにあった。実際に足を運ぶのは、初めてだ。
想像していた冒険者ギルドのような喧騒はない。代わりに、契約書の束と、秤と、静かな計算の音がある建物だった。
「新規登録ですね。商会名は」
「……まだ、ない。個人で頼む」
「では天瀬衡、個人商人として。信用ランクは最低のFからです」
受付の女性は淡々と進めた。
俺は用意した書類を全部、机に並べた。バルドの発注書。集落との買い取り契約書。そして、俺の帳簿――最初の魔石の取引から、この間の八十五枚の赤字まで全部が書いてある帳簿だ。
「融資の相談です。四百枚。担保は、この発注と契約」
「……赤字の帳簿も、出すんですか」
受付の声の調子が変わった。
「損を隠す商人は、次も隠す。俺は隠さない。それが担保の半分だと思ってる」
「残り半分は」
「保証人だ。バルド薬舗のバルドが、署名している」
実際、バルドは二つ返事で署名してくれた。「損を正直に届けた男は、逃げない」というのが、老薬師の言い分だった。
審査は昼までかかった。その間、俺は待合の長椅子で、ギルドの掲示を眺めていた。数字と地名の並んだ、近隣の町の相場表だ。週に一度更新されるらしい。それでも、集落にはその表すら届いていない。
待合には、俺の他にも数人の商人がいた。その一人が、俺の登録書の「F」の文字を見て鼻で笑った。
「Fランクが四百枚の融資? 最近のギルドは甘いな」
「甘いかどうかは、返済してから決まることです」
言い返してから、少し後悔した。だが、その商人は面白そうに笑っただけだった。
俺は相場表を指さして、受付に戻る途中の職員に聞いた。
「この表は、集落にも届けられないのか」
「届ける仕組みがありません。ギルド員が自分の商圏で使うためのものです」
「じゃあ、表を持たない側は、永遠に値段を知らないままか」
「……そういう仕組みです」
職員に悪気はない。仕組みがそうなっているだけだ。だが、その「仕組みです」が、この世界のあらゆる場所で、誰かを一束銅貨一枚のままにしている。
(仕組みがないなら、作るしかない)
その考えは、まだあまりにも大きかった。俺はまず、四百枚の審査結果を待つことにした。
思い返せば、保証人の署名をもらいに行った時、バルドは書類の内容も見ずに筆を取った。
「あんたは、損をしたら損をしたと言う男だ。薬屋はな、そういう男としか長く付き合えん」
四十年商売をしてきた老人の言葉は、ギルドのどんな審査項目より重かった。
やがて受付に呼ばれた。
「承認されました。信用手形、四百枚分。返済期限は納品の売上から、手数料十枚を加えて四百十枚。ただし、一つ報告があります」
契約書の控えは、受付が要点を読み上げてくれた。数字は追える。だが商用の言い回しは、まだ耳で聞いてやっと意味が取れる程度だ。俺は頷きながら、指で金額と期限の箇所だけを二重に確かめた。
受付は声を落とした。
「審査の過程で、アウルム商会リブラ支店から照会がありました。集落の月光草は仲買人との契約対象であり、貴方の買い取りは契約違反ではないか、と」
「……で、結論は」
「ギルドの判断は、違反に当たらない。契約は仲買人が『買い取る分』についてのもの。積載できず買い取りが済んでいない余剰分と、その加工品は対象外です。先例もあります」
俺は息を吐いた。集落でユナが言った理屈が、正式に通ったことになる。
「ただし」
受付は続けた。
「支店の方が、貴方のお名前を控えていかれました。それだけの話ですが」
(名前を控えた)
それだけの話――では、ないのだろう。巨大な商会にとって、無名の個人商人の名前を控えるという行為そのものが、評価であり、警告だ。
だが今の俺に、アウルムを相手取る力はない。あるのは、四百枚の信用手形と、二日で仕上がる乾燥品の約束だけだ。
「ありがとう。……それと、一つ聞いていいか」
「なんでしょう」
「信用ランクってのは、どうすれば上がる」
「契約を守ること。納期を守ること。損を隠さないこと。単純ですよ。その代わり、一度失えば、戻すのに十倍かかります」
単純で、重い仕組みだった。
前世の俺の信用は、数字でしかなかった。売上、利益率、回転率。誰に感謝されたかは、指標になかった。
この世界では、信用そのものが金に換わる。
手形を懐に入れてギルドを出ると、市場の天秤の石像が見えた。左の皿と右の皿。わずかに傾いたままの、あの石像だ。
(信用四百枚。現金じゃない。だが四百枚分の仕事が動く)
俺は西門へ向かった。
集落では、ユナたちの乾燥品が仕上がっているはずだ。
(第7話へ続く)




