第4話「正しい値段では、商売にならない」
集落から町へ戻ったのは、日が落ちてすぐだった。往復五枚の案内料は、正解だったと思う。
翌朝、俺はバルドの店の開店と同時に乗り込んだ。
「発注書をくれないか。月光草五十束、納入価格は一束銅貨七枚。ただし前金で二百枚、今日欲しい」
「……朝から景気のいい話だな」
バルドは驚きもせず、帳面を開いた。
「七枚で買えば、わしの取り分は減る。だが背に腹は代えられん。いいだろう。ただし条件がある」
「なんだ」
「傷みは、お前の負担だ。届いた分だけ、金を払う。前金との差額は、借りとして残る」
「わかった」
「それと、納期は三日だ。あの子の熱は『戻り熱』でな。引いても、ぶり返す。薬なしで置ける猶予は、長くない」
戻り熱。なるほど、だから母親は三日も通い続けていたのだ。
バルドが書いた発注書は、彼が声に出して読み上げ、俺は指で文字を追いながら聞いた。数字の形は追える。だが契約の文章は、読み上げてもらわなければ意味まで届かない。内容に間違いがないことを確かめてから、見様見真似の署名をした。
発注書にサインし、前金の皮袋を受け取る。ずしりと重い。
(他人の金で商売をする、というのは、こういう重さか)
前世では、自分の金が減るだけだった。今は違う。失敗すれば、バルドの金と、あの子の薬と、集落の信用が一緒に消える。
俺はその足で馬車を手配し、昼には集落へ戻った。
ユナは蔵の前で待っていた。約束の五十束は、すでに表に並べられている。
「金は」
「用意した。……ただし、支払いは納品後の精算にさせてくれ。集落長にも話を通してほしい」
「商人が一番信用できないセリフ」
「分かってる。だから発注書を見せる。この町の薬屋の正式な発注だ。俺が逃げたら、請求は薬屋とギルドに――」
集落長との話は、ユナが間に入ってくれた。老いた長は発注書をしげしげと眺め、やがて頷いた。
「ユナが付いていくなら、よかろう」
五十束の月光草は馬車に積まれた。馬車代三十枚。護衛の猟師に二十枚。門税と諸経費で十枚。出発前から六十枚が消えていく。
「……ねえ」
馬車が出る時、ユナが荷台の束を見て言った。
「生の月光草は、昼の暑さに弱い。日が落ちてから運ぶのが普通よ」
「日が落ちたら、今日中に町へ着かない。納期が――」
「ふうん」
ユナはそれ以上言わなかった。俺も聞かなかった。
最初の成功が、頭のどこかに残っていたのだ。価格差を見つけ、速く動けば勝てる。前世の転売も、速さが命だった。
馬車は昼の盛りに森を抜け、街道へ出た。
日差しが強かった。馬の足取りが重くなり、御者が何度も水をやった。荷台の布が熱を持っているのに、手で触れて気づいた。
「……少し、休むか」
御者が言った。だが俺は首を横に振った。
「納期がある。町まで一気に行く」
前世の俺は、発売日に一分遅れることが、どれだけの損失になるかを知っていた。速さは正義だった。在庫は鮮度だった。その感覚のまま、俺は判断した。
ユナは荷台の端に座り、黙って前を見ていた。森を出る前に、彼女が言った言葉が蘇る。
――生の月光草は、昼の暑さに弱い。
(分かっている。だが、半日止まれば納期が危うい。多少の傷みは、量でカバーできる)
その「多少」が、どれほどになるか。俺は計算に入れていなかった。いや、入れないことにしていた、という方が正しい。
異変に気づいたのは、町が見えてきた頃だった。荷台から、青臭い匂いとは違う、鈍い匂いがする。
布をめくった。
月光草の葉が、黒ずんでいた。
暑さで蒸れたのだ。下段の束から順に、葉が変色し、ぬめりが出ている。使えるのは、上段の半分だけだった。
「止めてくれ」
俺は街道の途中で馬車を止めさせ、束を全部下ろして選別した。ユナも無言で手を動かした。黒ずんだ束が、道端に山になっていく。
二十五束。それが、残った全部だった。
バルドの店に着いたのは、日が沈む頃だった。
老薬師は納入された二十五束を検品し、帳面に記し、それから前金の皮袋と付き合わせた。
「五十束の発注で、届いたのは二十五束分。代金は百七十五枚。前金が二百枚。……二十五枚、お前の借りだ」
「……ああ」
「ただ、この二十五束で、当面の薬は作れる。だが戻り熱は、途中で切らすとぶり返す。残りの分を、必ず届けてくれ」
「ああ。今度は、腐らせない方法でな」
「それと、お前の帳簿の方も見せてみろ」
俺は自分の計算を出した。
仕入れ、二百枚。輸送と諸経費、六十枚。売上、百七十五枚。
赤字、八十五枚。
数字は、誰の目にも明らかだった。
沈黙の中で、ユナが口を開いた。
「四倍の値段は、正しかったのかもしれない。でもね」
彼女は、道端に捨ててきた黒ずんだ束のことを言った。
「いい人ぶって高く買っても、続けられなきゃ意味がない。腐らせた分は、誰の薬にもならなかった」
刺さった。言い返せる言葉が、一つもなかった。
正しい値段をつけることと、商売が続くことは、別の話だったのだ。
前世の俺は、利益をこう計算していた。売値引く仕入れ値。それだけだ。物はクリックで届き、腐りもせず、運ぶ人間の顔も見えなかった。
この世界では違う。
利益は、売値から全部を引いた残りだ。仕入れ、輸送、人件費、そして――傷みと失敗の分まで。
「……一つ、聞いていいか」
俺はバルドに言った。
「あんたの棚にある薬草は、全部乾いている。あれは、最初から乾いた状態で仕入れてるのか」
「当たり前だ。生で運ぶ商人なんざ、素人か、よほどの――」
バルドは言いかけて、俺の顔を見て止めた。
店の奥の棚に、乾燥した薬草の束が並んでいた。軽く、場所を取らず、長く保つ姿で。
俺はその束を、しばらく見つめていた。
(腐らせたくないなら、腐る姿のまま運ぶな)
集落には、草を乾かせる人間がいる。俺はその技術を、「集落の仕事」としてしか見ていなかった。
ユナの方を見ると、彼女も同じことに気づいた顔をしていた。
(第5話へ続く)
読んでいただきありがとうございます。4日連続で続けられています。この調子でコツコツ続けていければと思います。明日も20時に投稿できるよう頑張ります。




