第2話「足りないのではない、届いていないだけだ」
「その月光草ってのは、どこで採れるんだ?」
薬屋の店主は、怪訝そうに俺を見た。
そりゃそうだ。いきなり店先に立っていた見知らぬ男が、品切れの札を見てそんなことを聞いてきたのだから。
だが店主は、追い返す代わりに奥を指さした。
「……まあ、立ち話もなんだ。入りな」
店の中は、薬草と酒精の匂いがした。棚には小瓶が並んでいるが、熱冷ましの棚だけが、ぽっかりと空いている。
母親は「また明日来ます」と何度も頭を下げて帰っていった。背負われた子供の頬は、赤く熱を持っていた。
「わしはバルド。この町で四十年、薬屋をやっとる」
バルドは湯の入った杯を俺の前に置いた。
「月光草はな、ここから西の森の集落で採れる。歩いて半日ほどの場所だ」
「半日? それなら、なんで入ってこないんだ」
「集落の草は全部、仲買人が買い上げていく決まりなんだよ。週に一度、馬車でな」
「仲買人ってのは?」
「アウルム商会の下請けさ。集落と昔からの契約があって、採れた草は全部あちらへ行く。わしの店には、その一部が支店経由で回ってくる手はずだったんだが――」
バルドは空の棚を見た。
「今週の分は、王都へ回された。王都でも熱病が流行りだしてな。優先順位は、契約の量が大きい方からだ。文句は言えんよ。向こうは何千人分の薬を作る。わしの店は、何十人分だ」
悪意のある話ではなかった。
誰かが薬を隠しているわけでも、横取りしているわけでもない。王都にも熱で苦しむ人間がいて、そこへ先に回すこと自体は、理屈としては間違っていない。
(だが、結果としてこの町の子供には届いていない)
俺は杯を置いて、店の帳面の端を借りた。断ってから、炭筆で線を引く。
集落。町。王都。
「集落からこの町まで、歩いて半日」
「そうだ」
「集落から王都までは?」
「馬車で五日はかかる」
「つまり月光草は、半日先の町にないのに、五日先の王都にはある」
バルドは笑ったが、目が笑っていなかった。
「おかしな話だろ。でも、四十年ずっとそうだ。草は仲買人のもの、値段は仲買人が決める。わしらは『回してもらう』側なんだ」
「集落では、いくらで買われてるんだ」
「聞いた話では、一束銅貨一枚だとか」
「この店で薬にしたら、いくらになる?」
「月光草一束で、熱冷まし三包分になる。一包銀貨一枚で売っとる」
「買い取りが一束一枚。町では薬三包分――銀貨三枚、銅貨三十枚になる草か」
計算が、頭の中で並んだ。
生産地では銅貨一枚。王都では量が優先され、この町では在庫ゼロ。同じ草が、場所によって「ただ同然」にも「存在しない」にもなっている。
(在庫がないんじゃない。在庫の行き先が、最初から決まっているだけだ)
俺は前世で、こういう構造を何度も見た。品薄の限定品。転売価格の高騰。本当は倉庫に眠っているのに、市場に出てこない商品。
だが前世と違うのは――ここでは、買い占められたのが嗜好品ではなく、薬だということだ。
「バルドさん。集落と仲買人の契約って、なんで集落は受け入れてるんだ? 一束一枚は、どう考えても安い」
「安定、だよ」
バルドは即答した。
「草は天候で採れ高が変わる。採れすぎた年は、値がつかずに腐らせるしかなかったそうだ。そこへ『全部、毎週、買い取る』という契約が来た。安くても、腐らせるよりマシだ。集落の人間は臆病なんじゃない。昔、痛い目を見たんだ」
俺は炭筆を止めた。
(――安く買い叩かれている、だけの話じゃない)
契約は集落を守ってもいる。その代金が、値段の安さだ。なるほど、筋は通っている。通っているからこそ、厄介だ。
「その契約ってのは、誰が保証してるんだ。破られたら、泣き寝入りか」
「商人ギルドさ」
バルドは、当然知っているだろうという顔で言った。
「市場の北にある建物だ。商人の登録、契約の保管、信用の管理は、あそこがやっとる。集落と仲買人の契約書も、原本はギルドに預けられとるはずだ」
「金を貸したりもするのか」
「信用のある商人には、な。……あんたは、まだ登録すらしてないだろう」
俺は首を縦に振った。
「なら今のあんたは、ギルドから見れば『どこの誰かも分からん男』だ。商売をやるなら、いつかは通る道だよ」
(信用を預かる場所が、この世界にもあるのか)
知らない仕組みは、まだ山ほどあるらしい。
その時、表通りを重い車輪の音が通った。
見ると、立派な馬車が三台、隊列を組んで町の西門へ向かっている。荷台の木箱には天秤ではなく、黄金の羽根の刻印。アウルム商会の馬車だった。
バルドが呟いた。
「あれが今週の分だ。王都行きさ」
木箱の隙間から、青白い葉がのぞいていた。月光草だ。大量の月光草が、薬のない薬屋の目の前を、素通りしていく。
俺は思わず店を飛び出し、隊列の最後尾の男に声をかけた。
「その月光草、少しでいい。分けてくれないか。この町の薬屋に――」
「無理だな」
男の答えは冷たくはなかった。むしろ丁寧だった。
「全部、王都の契約分だ。一束でも欠ければ、わしの首が飛ぶ。あんた、商売の契約ってものを知らんのか?」
言い返せなかった。契約は、守るものだ。それは前世でも、この世界でも同じだった。
馬車は西門を出て、王都への街道へ消えた。
俺はその場に立ったまま、しばらく馬車の轍を見ていた。
(足りないのではない。届いていないだけだ)
草はある。採る人間もいる。薬を作る人間も、待っている患者もいる。足りないのは、その間を繋ぐ道だけだ。
だったら――繋げばいい。
前世の俺なら、ここで王都との価格差を計算しただろう。だが今、俺の頭に浮かんだのは価格差より先に、あの空の棚と、母親の背中の方だった。
……いや、正直に言おう。価格差も浮かんでいた。だが、それだけじゃなかった。
俺は店に戻り、バルドに言った。
「俺が集落へ行く。直接、話を聞いてくる」
「集落と仲買人の契約があると言ったろ。個人が買える量なんて――」
「分かってる。だからまず、話を聞く。契約の内容も、集落が何に困ってるのかも、現場を見ないと何も始まらない」
バルドはしばらく俺を眺め、それからため息をついた。
「……やめておけとは言わん。だがな、兄ちゃん」
店主は俺の懐――銅貨の入った皮袋を、目で示した。
「集落までは歩いて半日。だが森の道は魔物も出る。案内人なしじゃ、まず着かん。そして帰り道、草を背負って歩ける量なんて、たかが知れてる。商売になる量を運ぶなら馬車が要る。その馬車を借りるのに、いくらかかるか知ってるか?」
「……いくらだ」
「一日、銅貨三十枚」
俺は皮袋の中身を思い浮かべた。四十四枚。パンで一枚減った、今の全財産だ。
馬車を一日借りれば、残り十四枚。仕入れに使える金は、ほぼ消える。
仮に歩いて行けば、今度は運べる量が消える。
(金が足りないのか? 違う。金はある。だが、全部は買えない)
仕入れか、輸送か。どちらかを選べば、どちらかが死ぬ。
前世の転売に、輸送費という概念はほとんどなかった。クリック一つで、物はどこへでも届いた。送料無料の札の裏で、誰かが運んでいたことすら、考えたことがなかった。
この世界では、「運ぶ」ことが一番高い。
俺は皮袋を握りしめ、言った。
「……明日の朝、考えがまとまってなかったら、歩いて行く」
その夜、俺は宿を取らず、市場の外れの軒下で夜を明かした。軍資金を減らしたくなかった、というのが半分。もう半分は、単に考えが止まらなかったからだ。
空には、月が二つ出ていた。
(運ぶ手段と、仕入れる金。両方を持つ方法が――)
夜通し考えた答えは、出なかった。
だが一つだけ、確かなことがあった。
集落へ行かなければ、この先の計算は全部、机の上の空論だということだ。
(第3話へ続く)
読んでいただきありがとうございます。次は第3話です。明日20時ごろに投稿します。




