第1話「この世界、価格設定が甘すぎる。」
転売ヤーは、嫌われる。
それは分かっていた。分かっていて、やめられなかった。
発売日の朝、家電量販店の前にできた列の先頭付近で、俺はスマートフォンの画面を何度も更新していた。在庫数、相場、転売サイトの売れ行き。数字は全部、俺に味方していた。
「転売ヤーは、許せないよな」
後ろに並んだ父親らしき男の声だった。
「この前も発売十分で売り切れてな。ネット見たら、三倍の値段で売ってた。子供に買ってやりたいだけなのに」
「本当、やめてほしいよね」
誰も、俺を見て言っているわけではなかった。俺が何者かも、知らないはずだった。
だが、言葉はまっすぐ刺さった。
後ろの男が憎んでいるのは、要するに――俺みたいな人間のことだった。
(欲しい人の分まで買うな? 違う。早く起きて、並んで、情報を集めた奴が手に入れる。それが市場だ)
心の中で言い返し、整理券を受け取った俺は列を離れた。近くのコンビニに限定グッズが入荷するはずだった。時間は九時四十七分。入荷は十時。走れば間に合う。
横断歩道で信号が点滅した。
間に合う、と思った。
次に聞こえたのは、ブレーキの音だった。
目を開けると、知らない天井――ではなく、青空があった。
石畳に寝転がっていたらしい。背中が痛い。周囲から肉を焼く匂いと、革と、嗅いだことのない香辛料の匂いがする。
「おい、兄ちゃん。そこで寝てると踏まれるぞ」
見上げると、剣を腰に下げた男が俺を見下ろしていた。剣。作り物ではない、本物の剣。
そして――俺は、その言葉の「意味」が分かることに気づいた。
男の発した音は、俺の知っているどの言語でもなかった。なのに、意味だけが先に頭へ届く。外国語の映画を、完璧な字幕つきで観ているような感覚だった。
(なんで分かる。……いや、今は置いておく)
理由を考え始めると、足が止まる。理由はいつか考える。今は情報が先だ。
俺はゆっくり起き上がり、周囲を見た。
市場だった。
ただし、俺の知っている市場ではない。木の露店、荷車を引く見たことのない獣。布を頭から被った女、耳の長い――本当に長い耳の青年。空には何か大きな鳥のような影が横切った。
頭の中に、事故の瞬間が蘇る。ブレーキの音。点滅する信号。
(……死んだのか、俺)
不思議と取り乱しはしなかった。
取り乱したところで相場は変わらない。まず状況を把握する。転売でも人生でも、順番は同じだ。
俺は市場の中央に立って、しばらく露店を眺めていた。
真っ先に目についたのは、広場の真ん中に立つ巨大な石像だった。天秤の石像。左右の皿は、わずかに傾いたまま止まっている。
次に目についたのは――値札だった。
値札の文字は、読めなかった。だが、数字の並びだけは形で拾えた。前世で何万回と見た「値段の顔」だ。
それに、この世界の店は看板に絵を描く。肉屋には獣の絵、布屋には反物、パン屋にはパンの絵。文字の読めない人間にも分かるよう、絵でものを言うらしい。
分かるのは、店の種類と値段と時刻みたいな情報までだ。文章となると、さっぱりだった。
「……は?」
思わず声が出た。
右の露店では、赤い実が一盛り銅貨三枚。
左の露店では、同じ実が一盛り銅貨六枚。
通りの向こうでは銅貨四枚。
値段が店ごとに違うのは市場では普通だ。
だが、差がありすぎる。品質の差でも、立地の差でも説明がつかない。
干し肉、布、安物の剣。俺は歩きながら値段を拾っていった。
(情報が、共有されていない)
現代なら、誰かがスマホで調べれば一秒で分かる。だがここにはスマホがない。相場表も、価格サイトも、レビューもない。値段は店主の記憶と勘と、「昨日はこれで売れた」だけで決まっている。
その時、ある露店の前で足が止まった。
「魔石、一個銅貨三枚! 安いよ、買ってきな!」
薄汚れた石が、木箱に山積みになっていた。ゴブリンの魔石、と店主の爺さんが言った。冒険者が魔物から取り出し、魔道具の材料になるらしい。
俺はその木箱を、三秒ほど眺めた。
(大きさも色もバラバラだ。これを一律三枚で売る?)
「爺さん、その石、どこで一番高く売れる?」
「決まってらぁ。王都だ。王都の魔道具屋は魔石がいくらあっても足りねえってよ」
「じゃあ、なんで王都に持っていかないんだ」
「馬車代の方が高くつくわい。ここで三枚で売る方がマシだ」
なるほど。物の値段は、物の価値だけでは決まらない。場所が値段を決めるのだ。
そして俺は、市場の入口に立てられた掲示板を見た。文字は追えない。だが、馬車の絵と、時刻らしき数字の並びと、人の流れが教えてくれる。王都行きの隊商の出発は夕刻――多分、そういうことだ。
ついさっき、荷馬車の上で隊商の男が叫んでいたのを思い出した。
「魔石、買い取り一個八枚! 本日限り、昼までだ!」
一個三枚の石が、市場の入口では一個八枚で買われている。歩いて五分の距離で、値段が二倍以上違う。
(――甘すぎる)
心臓が跳ねた。前世で、画面の中の相場の歪みを見つけた時と、同じ跳ね方だった。
問題は一つだけだった。俺の所持金は、ゼロだ。ポケットにあるのは動かなくなったスマホと、腕時計だけ。
俺は露店に戻り、爺さんに言った。
「その魔石、十個預からせてくれ。昼までに売って、一個三枚、必ず払う。売れなかったら全部返す。担保に、これを預ける」
腕時計を外し、差し出した。爺さんは怪訝な顔で時計を受け取り、針が動くのを見て目を丸くした。
「なんだこの細工……魔道具か?」
「担保だ。俺が逃げたら、それを売ればいい」
「……ふん。面白え兄ちゃんだ。いいだろう、持ってけ」
俺は魔石十個を布に包み、走った。
市場の入口では、隊商の買い付け担当が荷の最終確認をしていた。
「魔石だ。十個ある。一個八枚で買い取りと聞いた」
「おう、本当だ。……どれ、見せてみな」
担当は一個ずつ石を光にかざし、頷いた。
「いいだろう。十個で銅貨八十枚」
布包みと、皮袋が交換された。銅貨の重みが、手のひらにずしりと乗った。
(八十枚。仕入れは三十枚。差額、五十枚)
ただし、これはまだ俺の金じゃない。
俺は露店に戻り、爺さんに銅貨三十枚を払い、礼に五枚を足した。
「本当に売ってきやがった……」
「ああ。それを返してくれ」
「おう。……兄ちゃん、あんた、商人か?」
俺は少し考えて、答えた。
「前は、似たようなことをしていた」
爺さんは大笑いして、腕時計を返してくれた。
手元に残ったのは銅貨四十五枚。前世の感覚で言えば四千五百円ほど。笑ってしまうくらい小さい。
だが、これは「この世界の値段は信用できない」という仮説が、現金に変わった瞬間だった。
(いける。この世界、価格設定が甘すぎる)
浮かれた気分で市場の端のパン屋に寄り、銅貨一枚でパンを買った。素朴で、うまい。ついでに宿の値段を聞くと、一泊銀貨一枚から――銅貨十枚だそうだ。
泊まれば軍資金が四分の一消える。泊まらなければ、明日の仕入れに全部回せる。
(……前世とやってることが同じだな)
俺は笑って、宿は後回しにした。
日の傾きかけた頃、俺はふと足を止めた。
店先の看板には、すり鉢と薬草を描いた印がついていた。おそらく薬屋だろう。
店の前では若い母親が、店主らしい老人に頭を下げ続けていた。腕の中の子供は、ぐったりと目を閉じている。
「お願いします。熱が三日、下がらないんです。お金は、後で必ず……」
「すまん、本当に在庫がないんだ。月光草が入ってこないことには、薬が作れなくてね……」
月光草。熱冷ましの原料。それが「入ってこない」。
俺は市場のあちこちで見た光景を思い出していた。余っている場所と、足りない場所。銅貨三枚と銅貨八枚の距離は、歩いて五分だった。
では、この薬との距離は――どれくらいだ?
俺は薬屋の店主に、声をかけていた。
「その月光草ってのは、どこで採れるんだ?」
(第2話へ続く)
はじめまして、蒼凪と申します。
小説を書くのも、投稿するのも、これが初めてです。
転売ヤーだった男が異世界に転生して、剣ではなく「値段と信用」で市場そのものを作っていく話を書きました。
感想やブックマークをいただけたら、続きを書く何よりの励みになります。
どうぞよろしくお願いいたします。




