第七話 本の虫となった少年
永獄1645年10月9日。
イグレットは朝食の時間を過ぎた頃、キリートから与えられたいつもの自室で目を覚ます。
「……ん」
彼は少しボーッとしながらも窓の外を見て、ハッと自身が今に至るまで何を味わったのか思い出す。
(エパは……?)
体の痛みはない。キリートが魔法で治してくれたのだろう。ただ、それよりもエパが無事なのかが気になる。
コンコンッ──
「イグレット少年、入るぞ」
すると、キリートがイグレットの部屋に、扉を開けて入って来た。
「キリート師匠、エパは大丈夫なんですか?」
「無事だ」
「犯人は……?」
「君が気にすることじゃない」
「はい……」
キリートは腕を組みながら歩み寄って来て、イグレットが座っているベッドに腰を下ろしてくる。
「その……キリート師匠。僕、敵を倒せませんでした」
イグレットは気まずかった。キリートに叱られるのだろうと思った。なぜなら彼は剣士になるために毎日鍛錬してきた──
(全然敵わなかった……)
だというのに、イグレットは相手を倒すどころか、大きなダメージを与えることすら出来なかった。
こんな醜態を、キリートが許すはずもないだろう。
「イグレット少年」
「はい、キリート師匠……」
けれども、キリートはイグレットを叱らない。
「はっきり言って、私は君が死ぬと思っていた。貴族でもない君は、雑に扱われるはずだからな」
イグレットは無言のまま話を聞き続ける。
「ただ、実際には二人とも生きていた。エパお嬢様に関しては無傷。君が彼女を庇ったと聞いた」
キリートの方へ顔を向けるイグレット。
「君は確かに敵を倒せなかった。それでも──」
師匠であるキリートは、口角を上げていた。
「守り切ったじゃないか。エパお嬢様を」
イグレットは唇を少し噛む。
「君は戦った。その行動自体を、私は評価したい」
キリートは立ち上がり、部屋の扉に向かって歩いていく。
「“イグレット”……飯は出来ている。早く来い」
そう言って彼女はこの場から去っていく。
「! ……はいっ、キリート師匠」
彼女は、イグレットの名に、“少年”と付けなかった。
それに気がついた時、彼の肩から重荷が下りる。
そうして、イグレットはニコニコとしながら、部屋の床に足を着け、朝食を食べに向かう。
昨日は激動の日であった。
しかし、今日も一日が始まるのだ。
戻ろう、いつもの日常に。
ーーー
いつもの日常はたった二日で終わった。
悲劇、というよりは喜劇が訪れたのである。
永獄1645年10月11日。
イグレットはエパの家を訪れた。もっとも、家というよりは城である。そんな、生涯入れなさそうなところへとやって来ていた。
「エパ……様、僕、ど、どうなっちゃうの」
「緊張しすぎよ! お父様がイグレットに会いたいってだけ。酷いことなんかされないんだから大丈夫よ!」
ここは大きな城とは言えないが、そこそこ立派だ。エパを先頭に、イグレットはキリートと横に並んで歩く。
「ルドラ様から直々に会いたいと言われるのは、珍しいな……イグレット、良かったな」
キリートは相変わらず無表情のまま言ってくるが、イグレットからすれば気が気じゃない。
(礼儀作法なんて知らないよ……!)
なにせまだ七歳。父からも母からも、ちゃんとした礼儀作法は習っていない。故に不安だらけだ。
そして、しばらく廊下を歩いた三人。一つの扉の前に立つと、エパが扉を開けて中に入る。
「お父様! 連れて来たわ! あたしの友達!」
エパに続き、キリートが礼をして入室したので、イグレットも同じように礼をして、部屋の中に進む。
「初めましてだなッ。君がイグレット君かなッ?」
部屋の奥、窓の外を眺める一人の男。砂漠を退屈そうに見ていた彼は、パッとこちらに振り返った。
「は、は、はじ、はじめまして! イグレット・アルトリエと申しましゅ! あっ、ます! ます!」
エパの父親。彼の見た目はかなり厳ついものであった。イグレットの父、ルカットよりも厳ついだろう。
「ぶっはははははは! 慌てるな慌てるな! 面白い奴だッ! エパ、良い友を持ったなッ!」
「そうでしょ! イグレットは面白いのよ!」
どうやらイグレットは、ルドラから気に入られたようだ。彼は少しホッとするが、依然緊張は解けない。
「我は、ルドラ・ミルティア・ダッドアード。エパがよく君の話をするんでなッ! 前々から気になってはいたが、今回の件ッ、見事だなッ!」
ルドラ。エパの父である彼は、銀髪をオールバックで整え、橙色の瞳を有している。
「あ、ありがとうございます」
(ずっと気になってたけど……町の人はみんな肌が黒めなのに、エパとかルドラ様はなんで白いんだろ?)
そう考えていると、突如ルドラは声を低くし、抑えきれぬ怒りを込めながら話し始める。
「……我の娘を攫う下郎共を始末できたのは、君のおかげでもある。それに娘も無傷と聞く──」
イグレットが怒らせたわけではないようだ。
ルドラは邪族に対する怒りの感情を呑み込み、明るさを取り戻して大きな声で話しかけてきた。
「それでだッ。君には色々と感謝がしたいッ! 何か我に願いがあれば言ってみよッ!」
なんてことを言われるイグレット。当然の報酬ではあるが、七歳からすれば困惑も混じる幸福である。
(願い……願い? な、ないよ。お金が欲しい? でもそんなの失礼だし……お金は自分で稼ぐものって父さんが言ってたし……)
イグレットはしばらく黙って考えた。
「なんでも良いぞッ!」
ルドラはニコニコとそう言う。
「じゃ、じゃあ、本を……本を借りてもいいですか!」
イグレットは本を読んだことがない。母のユラコアがよく、本は貴族たちが持っているから、あまり手に入らないと言っていた。
それが正しいのならば、本がここにあるはずである。
「ぶっははは! 良いぞ良いぞッ! 金貨を求めぬとは出来た子供だッ! 君は親まで素晴らしいのだなッ!」
ルドラは非常に元気溢れる貴族のおじさんである。イグレットはそんな彼の雰囲気を好ましく思っていた。
そのせいか、自然と彼の表情は笑みに変わる。
ーーー
「ねー、イグレットー、本ばっか読んで飽きないの?」
「わけわかんないくらい面白いよ……!!」
エパの父から本を五冊借りて、三日経った頃──
──イグレットは本の虫になっていた。
「エパお嬢様、そろそろ魔法の授業を」
「むー……休憩中全然遊んでくれないじゃない……」
「ご、ごめん……でも面白くって」
キリートの道場にて、イグレットは稽古の時以外本を読み続けている。なので、前までは休憩時間はエパと遊んでいたが、ここ三日間は全然遊んでいない。
「もうっ……いいわ! キリート! 魔法の授業よ!」
そう言って道場からキリートとイグレットが住まう方へ、足音をわざと大きく立てて歩くエパ。キリートは無言で彼女について行った。
(……エパには悪いけど、これ面白すぎるんだもん)
面白い、読む度にそう思うイグレット。自分で選んで借りた本だ。そのため、選りすぐりの五冊である。
・魔法学基礎。
魔法学については知っておいて損がない。
それもあって、イグレットはこの本を選んだ。
・四大言語学。
人族語、魔族語、獣族語、霊族語が知れる本。
文字を読む上で度々お世話になる。
・世界地図。
世界中の国や地名が書かれている本。
イグレットはこの本を眺めるのが好きだ。
・西黎大陸魔物生態学書。
イグレットが住まう大陸、西黎大陸の魔物を知れる。
彼は五冊の中でこの本が一番好きである。
・西黎大陸地学書。
魔物ではなく、地形や地名などを深く書いた本。
これも絵を見て文字を読むのが楽しい。
「……? なんだろうこれ」
今、イグレットが読む本は、魔物生態学書である。
彼はあるページで読む手を止めた。
(魔物って……人型はいないんじゃないの?)
世喰、チラテラ・ベゼドルブ。
その名が書かれているページには、大きく邪族と書かれていた。どうやら魔物以外も載っているようである。
「……邪族も載ってるんだ」
イグレットはその人物の詳細を読む。
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チラテラ・ベゼドルブ。
君級邪族、全八体のうちの一体。
そして、彼女は罪誓と呼ばれる総称に属している。
チラテラはその中で序列三位に位置する怪物だ。
容姿は、ガリガリに痩せ細った少女であり、赤紫の長い髪の毛を持っている。霊族と吸血族の混合種。真っ青な瞳がよく光っているのが特徴──
また、彼女の近くには必ず、“巨食”と呼ばれる使役体がいる。どちらもずば抜けた戦闘能力を有している。
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「……こんなのがいるんだ」
イグレットはチラテラという邪族に、少し興味を持ちながらも、次のページへと進む。
ーーー
「お腹空きましたかぁ?」
一方、ドミテオ王国から遠く離れた砂漠地帯。一人の痩せ細った少女と身長四メートルほどの巨人が居た。
「ふふ、空いてるんですねぇ。じゃあ、移動しましょうかぁ。もう、食い尽くしちゃいましたからねぇ」
少女は笑いながら前を進む。
血塗られた砂を避けていきながら──




