第五話 黒き躍動
「起きて、起きてイグレット!」
「ん……んぅ、ねむい……」
眠気が強い。耳に聞き馴染みのある声が入ってくる。
「起きなさいよ!!」
「うぎゃぁ!?」
イグレットは腹を殴られて飛び起きた。ズキズキと腹部が痛む中で、視線を向ける先にはエパがいた。
「エパ……? あれ? ここどこ? 夢?」
「もう一発殴らないとダメかしら……!」
「ごめんなさいごめんなさい!」
ジャラッ──
(? ……あれ、なにこれ)
エパを見ながら頭がだんだんとスッキリし始める頃、イグレットは自身が今、どんな状況かを情報として頭に入れ始める。
手足には鎖。
薄暗い空間。
冷たい石の床。
息が詰まるような緊張感。
外とは違うひんやりとした空気。
珍しく、肩を震わせて怯えるエパの姿──
それらの情報を踏まえ、この場所は危険だと察した。
「……イグレット、人が来ても変に突っかかるんじゃないわよ! 下手したら……殺されるんだから」
「殺され……? どういうこと、僕たち……何かに捕まったの?」
エパは頷き、何も知らないイグレットへと親切にも、今の状況がどういうものか教えてくれる。
ただ──言葉より前に、イグレットは目で理解した。
「どっちも目覚めてんじゃねえか」
振り返るイグレット。すると、目が暗闇に慣れて見え始めた鉄格子越しに、巨漢が見えた。
「ひっ……」
エパが声をこぼす。彼女が怯えている。
(……これって……これってもしかして)
「兄貴にまた貰ってこねえと……めんどくせえ」
(……僕たち“奴隷商人”に捕まった?)
奴隷商人。全大陸に蔓延る邪族。
種族問わず弱者を攫い、奴隷として売り飛ばす者たちだ。当然、この屑どもに良心などは残っていない。
「あ、あなたは……何者なのよ」
すると、エパが自身で注意していたことを堂々とやってのける。彼女は巨漢に口で突っかかった。
「んなのどうでもいいだろ。知ってどうする?」
巨漢の男は、今まで見てきたどの大人よりも怖かった。ただ、種族がイグレットと同じ“人族”ではないことも関係している。
「知ったら……知ったら、あたしが嬉しいわ!」
それに対して大笑いする巨漢。暗くて見えにくいが、鉄格子越しに見える彼の姿は、熊のように体を毛で覆っていた。
「ギャハハハハッ! じゃあ教えなくていいかァ!」
「な、なんで教えてくれないのよ!」
マズい。エパの悪い癖が出た。イグレットはそう思った瞬間、熊のような巨漢は鉄格子の扉を開け、中に入ってくる。
「テメェクソガキ! 誰に口答えしやがったァ!!」
この荒くれ者は、とても短気だ。かなり怒った様子で中に入ってきたので、エパは酷く怯え始めた。
「ご、ごめんなさい……」
素直に謝るエパだが、ここまで彼を怒らせた以上、その火を消火するには時間がたくさん必要である。
「殺さなきゃいい……っても傷もつけられねぇ……クッソ、あぁいいわ。女のガキはいいわ。男のガキは死ななきゃどうしたって良いって、言われてるしなァ!」
(え?)
巨漢はイグレットの方へと向かってきた。
(え? エパが何もされなくて良いけど……僕?)
エパがこちらを見て、懇願するように叫ぶ。
「やめて!! イグレットは何も悪くないじゃない!」
目の前に、巨漢が。体臭のキツい巨漢が──
「おぼぉえっ!」
その丸太のような足でイグレットの体を蹴り、勢い凄まじく壁に叩きつけられた。
「うっぐぁ……っあ」
息が出来ない。体の中がかき混ぜられたような衝撃、苦しみに悶えてジャラジャラと鎖の音を響かせると、巨漢は嬉しそうに笑う。
「やめてって言ってるでしょ!!」
「ダメだなァ! お前が俺をイラつかせたからな!」
壁に叩きつけられてなんとか姿勢を持ち直した頃、再び巨漢がイグレットの前に足を置く。
そして、間髪入れずにその足は──
「っぐぁあ!」
イグレットの腹部を蹴りつけた。
「たまんねぇェエッ!! こんなクソな地域にいるから、何しても良いってのは最っ高だァ!」
この巨漢は狂ったように笑い、瞳孔を開き切った目でイグレットを蹴り続ける。
蹴られては意識が何度も飛びそうになる中で、イグレットはこの巨漢に対して思った。
(なんで……なんでみんな、誰かを下にしたがるんだっ……僕もこの人も……生まれた年が違うだけなのに)
巨漢は元々こうであったのか。
彼はこの地域、言わば紛争地帯にいることで、狂ってしまったのではないか。
ただ、それだけを思うイグレット。
そして、そう思った時にはすでに、巨漢からの強烈な蹴りは止んでいた。
「な、なんだお前……」
イグレットはほとんど意識を失っていた。それでも、彼の体は生きるために、この理不尽に対抗するために──抗う。
「っ!? っぐぁあ!?」
巨漢が叫んだ。彼の腕から鮮血が飛び散った。
「っあ……?」
イグレットはなんとか意識を保ち、巨漢の声で脳みそを再度動かし始める。
(血……何が起きたの?)
「テメェっ! 何しやがったァ!!」
激昂する巨漢。しかし、イグレットはそんなことを言われても、自身が何をしたのかわからない。
「イグレット……! イグレットやっちゃいなさい!」
すると、エパがなぜか、こちらに対してあの巨漢を倒してしまえと言ってきた。
──無理である。
「え? っぐ……無理だよっ!」
体の傷は痛む。それもあって戦える気がしない。
そもそも、武器もないのでどうすれば良いのだ。
(……鎖をどうにかして外せれば)
と、思っていたイグレット。
しかし、鎖などすでに破壊されている。
(……な、なんで鎖壊れてるの?)
よく見ると、エパの鎖も壊されていた。
何が起きているかはわからない。
けれども、わからなくてもいい。
今は理解できなくてもいい。
「テメェなんてもうどうでもいい! また捕まえてくれりゃぁいいんだ! ぶっ殺すッ!!」
巨漢がこちらに走ってくる。
『単純な動きをする奴は、龍刃流には敵わない』
師匠であるキリートの言葉が脳内に浮かび上がった。
(ど真ん中、一直線……いける、今しかない!)
イグレットは横に跳ぶ。
「なっ!」
巨漢はその動きを予測していなかった。
なぜならば、あまりにも素早かったからである。
『子供の動きは予測不可能、それに相手もナメてくる。そう言った奴ほど、君の相手としては好都合だ』
イグレットはエパに駆け寄り、彼女の手を掴んで走り出すと、開けっぱなしの鉄格子の扉を抜け、外へと駆け始めた。
「アァァア!! 待ちやがれクソガキィ!!」
巨漢は焦ったように声を上げて追ってくる。直線上の速度では圧倒的にこちらが不利である。
「イグレットすごいわ!」
「っ……でも追いつかれる!」
「ならあたしに任せなさい!」
薄暗い廊下を全力で走る中、エパは後ろに顔を向け、右手を向ける。
「……水球!」
魔法。エパは剣士志望ではない。魔法使いを目指している女の子だ。故に、下級魔法を扱えるのだ。
そんな彼女の手からは、頭ほどのサイズである水の球体が放たれ、追ってくる巨漢の顔に直撃した。
「ブフォッ!」
「やったわ!! 当たったわよ!!」
「すごいよエパっ!!」
「そうよ!! あたしはすごいのよ!!」
はしゃぎながら二人は走り続けると、外に繋がるであろう階段を見つける。それを駆け上がり、扉を開けると路地裏に飛び出す。
ーーー
辺りは真っ暗だった。月明かりのみが道を照らしていた。
「……キリート師匠のところに行かなきゃ」
「キリートがいれば、あいつらなんか終わりね!」
エパの言う通り、奴らは終わりである。
そうして、再び走り出す二人。
その中でエパからイグレットは言われる。
「それより……イグレットってすごい魔法使うのね」
「すごい魔法……?」
「ほら、あの黒い魔法よ!」
黒い魔法。おそらく、エパが言うのはイグレットが宿す、黒い風の魔力のことだ。
「どんなだったの? ……覚えてなくて」
「すごかったわよ!? 黒い風みたいなのがイグレットから出て、鎖を壊してあの男に傷をつけたの!」
無意識のうちに、この黒い風の魔力は反撃したようだった。しかし、それを聞いてしまうとイグレットは、自分が宿す力の強さに恐怖を覚える。
(もしかしたら……エパを傷つけてた可能性も……)
そんな不安に近い恐怖を感じながら、路地裏を突き進む二人。
だが、子供だけの逃亡劇が長く続くことはない。
「待てや。どこ行くねん」
イグレットとエパの前に現れる飄々とした態度の男。先の巨漢とは違う者だが、間違いなく仲間だ。
「……エパ、元来た道を戻って逃げて」
「イグレットは? ……だ、大丈夫なの?」
「大丈夫……多分……」
「大丈夫じゃないでしょ……!」
エパだけでも逃したかった。しかし相手は待ってくれない。
「うるさいなぁどうでもええやろ。終わりなんやから」
飄々とした態度の男は短剣を抜き、こちらに向かって走ってくる。
絶体絶命。もう退くことは出来ない。
イグレット・アルトリエ──
──この状況にて彼はどうするのだろうか。




