第二話 今日から友達!
昼を迎えた。
イグレットは、仄かに肌が覚える母の温もりを感じながら、小さな体に大きな思いを抱き、木の剣を右手に持ってキリートの前に立っていた。
「イグレット少年、君のお母さんからは剣術の他に、一般的な教養も教えるよう言われている」
「学校みたいな……授業ってやつですか?」
それを聞いたキリートは、右手に木の棒を持ちながら頷く。
「そうだ」
キリート。彼女はイグレットを引き取ってくれた剣術の先生。これから日々お世話になる。
「それと、君の他にもう一人いる」
「も、もう一人……?」
イグレットは母親と離れ、その身に不安を多く抱えているというのに、まだ不安が増えるのかと辟易した。
「そろそろ来るはずなんだが……まぁいい。よくあることだ。先に剣術を教えよう」
キリートは慣れた様子で、特に表情を変えることはなかった。
(よくあることで良いの……?)
時間に遅れるのが悪いということくらいわかっている。なのでイグレットは推測ではあるが、ここで言うもう一人とは、かなり素行が悪いのだと思う。
「イグレット少年、剣を振るう前に聞きたい。君は、剣を振るい続けて何になりたい? 聞かせてくれ」
キリートは相変わらず無表情に近い顔で、イグレットに対して何者になりたいのかと問うてくる。
「……誰にも負けないくらい強い剣士になりたいです」
そう言うと、彼女の眉が少し上がった。
「そうか……話は終わりだ。構えろ」
「? は、はい!」
すると、キリートは右手に持つ木の棒を握りしめ、じわじわとすり足で後退していく。
「イグレット少年」
「はい……?」
道場のような大きな部屋の中で、二人は目を合わせ、互いに武器を向け合っている。
「君を今から叩き潰す」
「へ? それってどういう意味──」
イグレットは気がつけば足が床から離れていた。
そして、彼は鈍痛を腹部に感じて後方に吹き飛ぶ。
「かはっ……」
キリートはあの距離から一瞬で間合いを詰めてきた。それが全く予測出来なかった。加えて、木の棒が剣じゃなくて良かったと痛感する。
「君は、弱い。だから私の攻撃を一度、その木の剣で受けられるまで叩き続ける。腹を括れイグレット少年」
「げほっ……う、嘘……」
絶望した。今のような動きをするキリートの攻撃を、自身が受け止められる未来が見えない。
「いくぞ」
「ま、まってくだ──」
それから何十回吹き飛んだであろうか。
イグレットは三時間ほど叩かれた末に、攻撃を受け止めるということを成し遂げ、猛攻に終止符を打つ。
ーーー
「癒強」
キリートは床に倒れる彼に左手を向け、そんな言葉を呼称すると、緑色の光がイグレットの全身を包み、青痣などの怪我を癒していく。
(し、しぬ……死ぬかと思った。キリートさん……全く感情見せないから壁に殴られてるみたいだったし、本当に殺されるかと思った)
イグレットは天井を見上げながら、そんなことを思って汗だくで脱力し切っていた。
「イグレット少年、私は治癒魔法を扱える。だからもっと気にせず、死ぬつもりでかかってくるといいぞ」
「はい……でも、本当に死んだりしませんよね」
キリートに顔を向けてそう言うと──
「死んだらそこまでの男ということだ」
(……この人、優しさとか……ないの?)
すごく厳しいことを言われた。
「それより、イグレット少年。君は黒い風の魔力を宿していると言っていたが、本当のようだな」
そのことを口にするキリートに対し、イグレットは少し不安を感じる。やはり、何か言われるのであろうか。
「そ、そうです……やっぱり、ダメダメですか?」
黒い風のせいで、多くの理不尽を受けてきた。
きっと今回も、同じ結果になるんだろう。
「悪くない。ただ、君の扱い方が悪い」
しかし、耳に入るのは拒絶や差別の声ではない。
初めて、黒い風ではなく、自身のせいだと言われた。
「……それって、どういうことですか」
深く聞いてみようとした。気になった。初めて違うことを言われた。だからこそ、キリートの話をもっと聞きたいと思う。
だが──それは何者かの大きな声により叶わない。
「キリート! 遅れて悪いわね! お昼寝してたわ!」
道場の扉が勢いよく開けられ、一人の髪の短い少女が姿を現した。
「……」
「……」
「……」
ここに集う三者、皆沈黙に陥る。
静寂の中でも現れた少女は無言のまま、キリートへと近づく。
「エパお嬢様、三時間の遅刻です」
「し、仕方ないでしょ。眠かったんだから」
(もしかして……もう一人ってこの子?)
エパ、とキリートが名を呼ぶ少女は、銀色で艶のある髪の毛を持っており、男と間違えるほどの髪の短さをしている。そして、金色の瞳が特徴的だ。
すると、彼女は小声でキリートに話し始める。
「ね……ねぇ、あの子誰よ。知らないわよ」
「今日から一緒に授業を受ける子です」
「それくらいわかるわよ……!」
小声のつもりだったのだろうが、彼女は自分の声が大きいことに気がついていない。
「あ、あの……」
こちらが話しかけると、ビクッと彼女は反応してキリートに体を寄りかからせた。
「! ……な、なによ!」
イグレットはすごく警戒されている。
「その……僕はイグレット・アルトリエと言います」
そう名乗ると、彼女も怯えながら口を開いた。
「……あたしは、エパ・ミルティア・ダッドアードよ」
名を聞けたので、イグレットはとりあえず緊張を解こうと、少しぎこちなく微笑んでみせる。
「な、なんで笑ってるのよ」
「あっ……すみません」
「なんで笑ったのよ!」
「なんか、良いかなって思って……」
「……ふ、ふーん。そう」
(うぅ……なにこれ、友達なれるかな)
イグレットは気まずさを感じながら、このエパという少女と友達になれるか不安になり始めた。
彼女は彼よりもキリートと長い付き合いなのだろう。つまり、エパに拒絶されると、ここでやっていく中で、かなりの支障をきたすことになる。
「エパお嬢様。イグレット少年はそこらの男どもよりは、些か賢い方だとは思います。歳もエパお嬢様の一個下ですので、仲良くしてくださいませ」
彼女は八歳らしい。年上のようだが、あまりそうは思えない。それよりもイグレットは、彼女が“貴族”であることに、大きな不安を抱いていた。
(名前が三つ……貴族の人だよね。多分、この王国の偉いお家の人だし、嫌われたら殺されちゃうかな……)
「……わかったわよ」
エパはそう言ってキリートから離れる。そして、イグレットは、彼女がこちらに近づいてきたので急いで立ち上がる。
「よろしく。あんまり、緊張とかしないでちょうだい」
貴族と聞くと、滅茶苦茶なことを言うイメージがあるが、どうやら彼女はそのタイプではないようだ。
「よろしくお願いします……!」
しかし、体が勝手にお辞儀してしまう。
「そういうのは良いから! どうせ一緒に授業を受けるなら……仲良くしたいわ。だから、今日から友達よ」
(早くない?)
それは流石に早いのではないだろうか。
イグレットはそう思いながらも、ぶんぶんと頷く。
「……挨拶は済みましたか」
そうして、キリートがこちらを見ながらそう言うと、エパは少し怒ったように彼女に言った。
「なんで女の子って言わなかったのよ! あたし、友達初めてだし、男の子と話すの初めてよ!」
イグレットは過去に友達がいたことがない。
それはどうやら、エパも同じようである。
「まあ……なんでも良いじゃないですか」
「良くないわよ!!」
「あは……あはは」
「なんで笑ってるのよ!!」
「あぁっごめんなさい」
イグレットはこの日、別れと出会いを経験した。
母との別れ、そして師匠と友達との出会い。
濃い一日だ。しかし、まだ終わったわけではない。
先の剣の修行によって、少し疲れが溜まっているイグレットは、これより教養を高めるための授業へと移る。




