第十一話 西から東へ
イグレットは茶色い草地にて、なぜこんなところにいるのかと、キリートと別れた後のことを思い出そうとする。
(……迷宮、迷宮に入ったら……どうなったんだっけ)
記憶には霞がかかったようであり、鮮明には思い出せない。ただ、ここが西黎大陸──言わば自身が住んでいた大陸じゃないことはわかる。
(父さん……母さん、それにキリート師匠も、みんな、みんな無事なのかな……)
イグレットは生まれて初めて触れる草の上で、気を失っているエパを見ながら、強く拳を握りしめた。
(……僕は……もう、みんなには会えないの?)
残ったのは唯一の友であるエパと、父が誕生日にくれた綺麗な剣のみ。
「うぅ……」
彼はエパの隣で膝をついて座り込み、ボロボロと涙を流し始めた。涙が乾くことはなく、しばらくその状態のままで、動くことなどできなかった。
やがて、エパが目を覚ます。
ゆっくりと目を開けた彼女を見て、イグレットはどうにか泣き止むように息を止める。
「……イグレット」
エパはいつもとは違う、静かな声でこちらの名前を呼んできた。
「目が覚めたんだね……」
涙を拭ったイグレットは、エパの顔を見ながらそう声を掛ける。
「…………お父様と、お母様……キリートは?」
彼女のその問いに、イグレットは答えられない。
「……そうよね。わかんないわよね」
エパは脱力してため息を吐くと、生まれて初めて草に包まれる感覚を味わいながら、青空を見続ける。
「あたしたち……どうなるの」
彼女はこの清々しい晴天を視界に映しながら、涙声でそんなことを言い、次第に泣き始めた。
イグレットはただ無言で、彼女のそばにいてあげることしかできない。何も解決策など思い浮かばない。絶望のみが、残酷なほどこの美しい風景を濁す。
(……どうすれば。いや……決めなきゃ)
『その腰の剣に聞いてみろ』
師匠であるキリートの言葉が、頭の中でこだまする。そして、イグレットは彼女が泣く中、鼻をすすって息を呑み、ゆっくりと口を開く。
「エパ」
「っなによ……」
イグレットは空を見上げながら言った。
「僕たちで、みんなを探そう」
「探す……?」
エパは流れる涙を止め、イグレットの方に顔を向けながら、少し上体を起こす。
「探すってどうやって……!」
彼女はそんなのどうやるんだと、こちらの無謀に聞こえる提案に言葉を返した。
「わからない」
「わからないって……なんでそんな適当なのよ!」
エパは怒った。イグレットは息を深く吸う。
「でも、生きなきゃいけない。前を向かなきゃいけない。もし……みんながもういないんだとしたら、僕たちは生き残ったんだ。だったら──」
イグレットは空から視線を外して彼女の目を見る。
「歩き続けなきゃ……僕らは、これからを」
その言葉には、彼なりの決意が込められている。
生きる。その行為が、どうしようもなく難しい。
それでも生きる。何もわからないまま死ぬのは、嫌だとイグレットは思った。故に進み続ける道を選ぶ。
「歩き続ける……?」
エパはあまり理解は出来ていない。だが、イグレットが何を言いたいかは仄かに感じ取っていた。
「……イグレットは、いなくならないわよね」
不意にそんな言葉を漏らすエパ。イグレットはそれを聞き、彼女の右手を両手で優しく包み込む。
「いなくならないよ。さびしいもん」
その返しに、エパは顔を俯かせて肩を震わす。
「なら……ならあたしも歩く。一人じゃ嫌だけど……そう言うなら歩いてあげるわ……」
彼女は安堵したのか肩の力を抜き、再びイグレットに目を合わせてそう言い切る。
「……とりあえず、歩こっか」
そうして、二人の子供は生きる道に進む。
たとえ絶望に呑まれ、辺りが果てしない闇に包まれても、きっと歩き続ければ、光があるはずだから。
イグレットとエパは前を向く──
二人は立ち上がり、同じ方向を向いて歩き始めると、互いの髪の毛が、木々を抜けてきた風によって靡いた。
ーーー
東勢大陸。
大陸全土に茶色い植物が生えている巨大な大陸。
イグレットは本で得た知識を基に、ここがその大陸だと断定した。気温は西黎大陸よりも涼しい。
「近くに村とか……町とかないかな」
自分たちが先ほどまでいた草地を囲む木々を抜けると、すぐに平原に出ることができた。
「道とかあればいいわね」
ただ、道が見えない。というよりは、ない。
(飲み物はエパの魔法でどうにかなるけど……食べ物とか泊まるところ……お金もないし……)
イグレットは少し焦っている。生きるためには一刻も早く、食べ物などを見つけなければいけない。
「とりあえず……進もう」
「そうね、止まってちゃ意味ないわ……!」
現状はエパも理解している。
(日の位置……まだ夜までは時間がある……)
イグレットは度々、空を見上げて太陽の位置を確認する。そして、今の時刻は昼頃だと推測した。
「ねえ」
エパがイグレットの服を掴む。
「ん、なに?」
横並びに歩いているので、イグレットは彼女を見た。
「……ずっと思ってたんだけど、イグレットってあたしより年上みたいよね。頭良いし……」
「急にだね……そんなことないと思うけど」
彼女は前を向きながら続けて話す。
「こういう時って、普通はあたしがイグレットを支えなきゃいけないのに……」
「……年上とか関係ないと──」
「関係あるの! あたしだって気にするのよ?」
プライドの話だ。しかし、よくよく考えてみると、イグレットは彼女に対して共感する。
「……まあ、確かに」
「そう、だから……その、なんて言えばいいのかしら」
エパは顎に手を当てて考え込む。
「あっ、頼りなさい! そうよ! あたしを頼っていいんだから! イグレットは一人じゃないのよ!」
彼女は強くそう言う。一人じゃないと。
それに対し、イグレットは無言で微笑み、頷く。
「な、なによ」
そんな彼に対し、エパは少し眉を下げる。
「いや、嬉しいんだ。エパがちょっと元気そうで」
「は、はぁ!? べつに元気なんかじゃないわ! 全然まだ悲しいんだから!」
「あははは、じゃあ僕と同じだね」
「もう何よそれ……違わないけど」
二人はなんとか気を保っている。未知の地、身近な人たちとの別れ、これからに対する不安。押し潰されそうだ。けれども、孤独ではない。
「……僕はエパに頼ってるよ」
「そ、そうなの?」
「うん。一人じゃないって思えるから」
「……あたしもそれは……同じよ」
二人がそんな会話を交わしてから、どちらかが再び口を開くのは、数十分も後のことであった。
道を見つけた。ここだけ草が禿げている。
イグレットは地面から前へと視線を向け、それがどこまで続いているのかを、目を細めて確認した。
「……もしかしたら村があるかも?」
「絶対あるわ! じゃなきゃおかしいんだから!」
彼女は嬉しそうに言って、一足先に前へスキップして進み、イグレットもそれを追いかける。
ーーー
「あの……さ。ここって……」
イグレットとエパは村に辿り着いた。
しかし──
「“廃村”じゃないの!!」
建物は崩れており、人も見当たらない。加えて、まだ道が禿げているということは、最近まで人がいたということ。運が悪い。
「もう日も暮れるし……今日はここに泊まろう」
「えぇ? あたしたち、こんなところで寝るの?」
エパがドン引きしたように言った。
「うん。野宿よりはマシだろうし……まだ壊れてない建物も見えるから、そこに泊まろうよ」
イグレットはまだ壊れきってない建物を指さし、エパに提案してみる。
「……わ、わかったわよ」
すると、彼女は渋々その提案を呑み込んだ。
そして、廃村の中に入り、二人は辺りを見渡す。
「……食べ物とかないかな?」
「どうせ、あっても腐ってるわよ」
そのことを考慮すると、果実の成っている木などがあれば、非常に幸運と言えよう。
(最悪、エパを家に残して僕が探しに行けばいっか)
そんなことを思いながら、イグレットは今日泊まる家の前にやってきた。二階建てのなんの変哲もない家、エパはそれを見て腕を組む。
「ふん、小さい家ね」
「お城と比べてる……?」
「……比べなかったら、そこそこね」
彼女の評価はそこそこだ。
(元々他人の家だけど……今はいいよね?)
イグレットは家を見ながらそう考え、エパよりも先に家の中へと入る。
「……ベッドとかあるかしら?」
背後から彼女が話しかけてきた。
「ありそうじゃない……? 綺麗だし」
そう、家の中は綺麗であった。
この廃村で唯一壊れていない建物なだけはある。
(……というか、人が住んでそうな感じする……)
「……綺麗すぎるわね」
「ここ、人住んでるんじゃないかな」
家の中は妖しく光る液体が入った瓶や、木の枝などが一箇所に集められている。加えて、天井からは光る木の実がぶら下がっていた。
「……あれ食べられるのかな」
「食べてみましょ!」
二人が前に進む、そしてその時──
「ハァ? あれ食ったら死ぬよーん」
咄嗟に振り返った。そしてそこには、二人と同じ身長ほどの女性が、大きな水晶玉を抱えて立っていた。
「……そんな驚いてどうしたのーん」
彼女は、犬の耳と尻尾を持ち、人の容姿をしている。
「あ……その」
「ど、泥棒なんかじゃないわ!!」
エパがそう叫ぶと、犬耳の女性は笑って言う。
「どっちでもいいのーん」
この家は、彼女の物なのだろうか。
そして自分たちはこれから、どうなるのだろうか。




