第九話 瓦解
イグレットは両親が住まう家に帰ってきた。
「イグレット……!」
母のユラコアが慌てたように走り、こちらに抱きついてきた。部屋の奥にいる父、ルカットも驚いた様子である。
「ただいま、母さん。父さん」
長い間、イグレットは家に帰っていなかった。加えて、父と母の二人には顔すら合わせていない。
それら全て、彼自身が決めた自分ルールによるもの。両親もそのことは聞かずとも理解していた。
「イグレット……オマエ、いいのか?」
ユラコアの肩越しに、ルカットが近づいてくるのが見える。
「十歳の誕生日くらい、顔を合わせなくちゃ……」
ルカットは疲れ切っている顔をしているが、イグレットのその言葉を聞いた瞬間、嬉しそうに笑う。
「よかった。この時期、俺はここにいれて……!」
彼はそう言ってユラコアとイグレットごと抱きしめた。
再会を喜び合ってしばらくして、家族三人で机を囲み椅子に座る。ユラコアいわく夕食は豪華になるらしい。
「イグレット、元気そうでよかった。俺たちが会いにいくのは邪魔だと思ってたから、来てくれたのが……ほんっと嬉しいぞ」
イグレットはそれを聞き、微笑む。
「ずっと会いたかったけど……僕も強くなりたかったし、甘えてられないなって思ったんだ」
すると、ユラコアが軽く笑いながら言う。
「甘えなさすぎよ」
「あははは、確かにそうかもね」
ただ、彼女は笑った後に、静かに口にした。
「あの時……私がしたこと、恨んでいいのよ?」
「恨むなら俺も恨んでくれ。ユラコアだけじゃない」
両親は、幼いイグレットと別居する決断に対して、強い罪悪感を抱いていた。今のイグレットを見たとしても、それは拭い切れないのだろう。
「恨まないよ。むしろ……感謝してる」
だからこそ、イグレットは言った。
「キリート師匠はすごく良い人だし……僕なんかが関わっていいのかわからないけど、エパっていう、この王国のお嬢様とも友達になれたんだ」
ルカットはそのことを知っているが、ユラコアは知らなかったようで、とても驚く。
「嘘っ!? すごい友達ができたのね!!」
「一応……彼女のお父さんとも知り合いだよ」
「えぇ!? どうしようあなた、うちの子世渡り上手よ! 社会で生きていくのが上手すぎるわ!」
ルカットは苦笑いしながら「落ち着け」と言って、イグレットに話を続けさせる。
「それで、本を借りたりして色々読んで、いっぱい知識も頭に入れたんだ。剣術もゆっくりだけど成長してて、黒い風もちょっと操れるんだよ」
ユラコアはそれを聞きながらニコニコと頷き、ルカットは嬉しそうに黙ったまま聞いていた。
「それで、十月にキリート師匠が中級の審査をしてくれるんだ! 中級剣士になったら僕もう戦えるよ!」
イグレットはこうして、また両親に対してたくさん話ができるこの瞬間が、とても楽しかった。
「はははっ、急がなくていいぞ? 父さんはな、しょっちゅう戦ってるが手伝いなんていらない。オマエには、母さんを守ってやってほしい」
ルカットがこちらの目を見てそう言ってくる。
「オマエはもう十歳。俺の手伝いなんてするな。オマエの人生なんだ。好きに生きろ」
イグレットは黙って父の話を聞く。
「人族は他種族より短命、好きに生きろつっても、自分なりにしたいこととかは見つけろよ?」
その話が終わると、イグレットは嬉しい気持ち半分、悲しさも半分感じていた。
(……父さんは、僕を認めてくれてるのかな)
イグレットはルカットから実際に、剣士として褒められたことはない。そして、もしかしたらルカットにとって自分は、お邪魔虫なのかもしれない。
そんな黒い不安が頭の中に浮かび上がった時。
「だがまぁイグレット。オマエはもう“立派な剣士”だ」
初めて、父のルカットから剣士として見てもらえた。
「剣士……」
「そうだ。オマエは剣士だ。等級なんて関係ない、オマエは誰がなんと言おうと、“剣士”なんだ」
イグレットはそう強調されると、鼻をすすり、肩を震わせ始める。
「あら……」
ユラコアがこちらを見て眉を上げた。
「はははっ、まっ所詮、まだ子供だな!」
ルカットが茶化すように笑う。
「ちが、っ、ちがうもん!」
イグレットは泣いていた。
止まらなかった、涙が。認められるという一つの出来事。ただひたすらにそれが、心をどんどんと喜びで染め上げていく。
嬉しかった。
報われた。
大好きだ。
今があるのは、二人が信じ続けてくれていたからだ。
自分を、信じてくれた。
「イグレット」
「っぅ……っひ」
涙をこぼすイグレットに、ユラコアは立ち上がって彼の背後に行き、両肩を触って優しく言葉をかける。
「頑張ったわね」
「……っ! うぅぅっ」
返事すらできない。
せっかく、成長した自分を見せたかったのに、イグレットはぐずぐずと泣く姿を見せてしまっている。
しかし、それでいいと、両親は見守ってくれていた。
「ふふっ、泣き止んだらご飯の準備でもしましょ。久しぶりに、イグレットと一緒に作りたいのよね」
「おっ、そりゃ楽しみだな!」
部屋には一つの涙、二つの笑い声。
たった一日でも味わえるこの幸せ。
イグレットは噛み締めようと思った。
「……うんっ」
そして、遅れてユラコアに返事をするイグレット。
彼は今──幸せだ。
ーーー
同じ日、夕食時にて。
エパ・ミルティア・ダッドアード。
ドミテオ王国の王家に生まれた女の子。
彼女は今年の十二月で十一歳を迎える。
この国の国王はエパの父、ルドラではない。
では、国王は誰か──それは今も前線で戦い続ける老兵、ジャバネ・ミルティア・ダッドアードという者だ。
「お父様! 明日は本を読んでくれるかしら!」
「そうだなッ! 明日は読んでやれるぞッ!」
エパは現在、父のルドラと、母のエトラとで貴族らしい食事をしており、家族団欒中である。
「ねえそれよりエパ、魔法の授業は順調?」
すると、そう聞かれたエパ。
「順調よ! もう中級魔法だって使えるし……あたしの等級だって中級なんだから!」
十歳にしては平均的な成長だ。
それでも両親は大喜びする。
「やはり天才よッエパァ!」
「そうねぇ! 魔法の天才だわ!」
「そうよ! あたしは天才なの!」
この一家は基本的に騒がしい。
「そのうち、エパも強い魔法使いになって、異名とかも貰っちゃったりしちゃうんじゃない?」
「将級かッ! なったら素晴らしいなッ!」
エパは嬉しそうに声を大にして言う。
「なるわ! なってやるんだから!」
それにルドラとエトラは喜ぶ。
「それでこそッ! 我が娘だッ!」
「えぇ! ほんとその通り!」
将級になれば、剣士であろうと魔法使いであろうと、“異名”が付くようになる。それを持つ者は、圧倒的な強さを誇る戦士となる。
異名。エパはそれに憧れていた。
ーーー
永獄1648年10月1日。
この日は特に暑い日差しが外を照らしていた。
燃え尽きてしまうような陽光。
生暖かい風が町を通り抜けていく。
相変わらず、砂塵は建物を打ちつける。
そんな町で今日もイグレットは生きていた。
ただ少し今日は暑い日。
そう、ちょっと暑いだけの日。
そう思っていた。
けれども彼は忘れていたのである。
自身がこのドミテオ王国に来た際のことを。
あの日も、突如訪れた──
日常の崩壊する日が。
カンッカンッカンッ!!
「ん?」
イグレットとエパ、キリートの三人はいつも通り、道場で魔法の授業やら、剣術の稽古などをしていた。
「キリート、この音なにかしら?」
エパがそう聞いても、彼女は答えない。
「ねえキリート!」
それでも、キリートは答えず息を呑む。
そんな彼女に対し、エパは首を傾げた。
「イグレット、キリートどうしちゃったの?」
そう聞かれてもわからない。
「二人とも。私から離れるな」
キリートが喋った。そして、二人は同時に「え?」と言った。
(どうしたんだろう……? 何か来るの?)
三年住んで初めての出来事。
イグレットは少しだけ、悪寒を背筋に感じる。
重圧。
「っぐ!?」
体をとてつもない威圧感が包み込んだ。
「な、なによっ……!」
エパもそれは感じているようで、キリートはその中でも微動だにせずに立ち尽くしている。
「ヴォヴァアアアアアア!!」
そんな、低く大きな声が聞こえてきた。その瞬間、イグレットとエパはキリートに抱えられ、かなりのスピードで道場から離れていく。
「ねぇ! ねぇキリート! 何が起きてるのよ!」
エパがキリートに対してそう言う。
「終わりです。この国の何もかも」
イグレットはそれを聞いても、理解できない。
「どういうことなんで──」
その言葉を遮るように、後方で大爆発が起きる。
イグレットはその方に視線を向けると、真っ青な炎が青空と一体化するように燃え上がっていた。
「は……?」
そして、キリートが言う。
「君級邪族、罪誓の一体──
世喰、チラテラ・ベゼドルブが出たんだ」
イグレットはそれを聞いて全てを理解する。
本に載っていた君級邪族。
それがここに来たということは、つまり──
ドミテオ王国は今日、滅びるのだ。
ーーー
永獄1648年10月1日。
チラテラ・ベゼドルブ──ドミテオ王国に襲来。
「さぁいっぱい食べましょうねぇ」
痩せ細った少女がそう妖しく言う。
彼女の背後には、巨人が立っていた。




