01 水を頭からぶっ掛けられる文字通り下位互換のこの世界に生まれ落ちたのは倫理観が終わってる人間界
「きゃあっ」
転ばされた影響で膝を擦りむいた。普通に痛い。頭も打った。
それから数分、放置されたらしく気付いても廊下に俯いて気絶している体勢だった。
どうやら誰も、助け起こす事はしなかったよう。気絶している間に、重要なことを思い出していた。
「あの時、書類が落ちて拾おうとして足を滑らせた……!」
そのまま下へ真っ逆さま。文字通り下位互換のこの世界に生まれ落ちた。
はぁ、研修で安全糸を必ずつけるように言われていたのに、日々の気の緩みのせいで付けるのをド忘れしていたのだ。結果、つるりと滑った。
糸さえ付けていれば落ちても引き上げてもらえるなり、なんなりしたのに。上位の世界で魂の管理をする為に、日々働いていたことをきっちり覚えている。
この体も、ティファの意識も元から変わらなかった。今までこの記憶がなかったのはおそらく、落ちた衝撃のせいだ。
普通なら、どんな転生体でも上位世界の記憶は残っていると研修で習ったもん。ティファの今の立場は幼い愛人の子。民家だ。
ちょっと裕福な平民の男が手を出し、生まれたのが自分。その男には妻と娘が居て、ティファを引き取ったまま無視。もうすぐ、成人前の洗礼がある。
それをすると、大人として認めますよと言われているのだとか。上位世界のことを知る己の考えを述べるのなら、多分お上は関与していない。
基本、ことなかれというか放任主義なのだ。滅ぶ時は滅べ、滅ばないのなら放置。
そんなお役所仕事。あの時は、そんなことを思ったことはないが、ティファ的にこの世界は滅んだ方がいい。なぜなら、もう頭打ちに見えているのだ。何もかもが。倫理観、価値観、行き着くところまで行った。
こんこんと、素直に滅ぶべし。これは決して私怨なわけが……99はあるかな。はっはー。笑うしかない。
本妻と、その女達に日々いびられ元凶の父親は知らぬふり。嫁げる年齢になったら、必ず酷い相手に添い遂げさせられるのは察している。
そうなる前に、ティファは希望をかけてこの身で動いていかねばならないだろう。
勝手にいいように事態が動くなど御伽話。ティファはギュッと拳を握り、濁っている瞳をさらに色を濃くした。
*
「今より、洗礼を行う」
イベントを執り行うおじさんが、なにかやろうとしている。
「並びなさい」
言われて、この日のために集まった者達が並ぶ。
「一人一人、行います」
説明を受けながら列は進む。ティファは出来るだけ最後になるようにしていた。付き添いは居ない。一人で行けと言われたので。
ドアマットじゃん、と記憶を取り戻した後からずっと自分の中でツボとして笑っている。
「ティファ」
「はい」
「前へ」
言われて前へ出る。最後のせいで人はほとんど残ってない。この場で自分は口にする。かつての言葉を。
「システム権限。認証ID****」
パスワードを唱えれば、急激に明るくなる場。突然、何もない空間に立っていた。懐かしい。
「おい」
果てしなく不機嫌な声に振り返る。
「お久しぶりですね。先輩」
「ちっ!なにが久しぶりだっ。この、間抜け!」
会って早々、罵られた。罵られても、仕方ないやらかしをした自覚はあるので甘んじて受ける。
「すみません。ドジ踏みました。もう、絵に描いたような事故っぷりで」
「知ってる。映像を見た。結構心にキタ」
「そ、それは、すみませーん」
「罰としてこれをつけろ」
「あー、はい……っていやいや!いやいやいやいや!」
渡されたものを受け取ると赤い糸だった。ここに落ちる前、この先輩と共に仕事を行っていたのだが教育係でもあり、バディでもあった。
阿吽の呼吸で行動できはする。だって長年一緒に働いていたからね。さっきのID云々はなにかというと、上に直接連絡できる社員用の連絡方法。
ということは、まだティファは社員なのだろうか。それって変だ。何故なら、あの時自分は死んだ。
死因は多分、上から下になにも用意せずに、うけたことによるショックだろう。
「これ、赤い糸じゃないですか」
先輩はきっと悲しいんだろうね。だからといって、赤い糸を渡してくるとは。
「お前はあの日、安全糸をつけ忘れた。おれは出勤時に自動的につけられるようにすることを提案したんだが、なかなか認証が降りなくて、お前は落ちた」
慎重に語る男ーーロゼロ。
人間に堕ちた女ーーティファ。
二人が再会したのは、大人になるための儀式の時であった。
*
「では、下がりなさい」
儀式を進行する人がティファに声をかける。先ほどのロゼロとの時間は経過してないらしい。思っていた通りで、口元が上がる。後ろに下がるとそのまま帰る。帰るが、その前に歩きながら考えた。この世界の権限者について。
「ロゼロさんどう思いますか」
隣で同じく歩いている男に聞く。周りには見えないがずっと居た。誰にも見えないのは存在する次元が少し違うせい。
ティファから見えているのは単に彼が見えるようにしてくれているからだ。
ということは、その少し違う次元を見れるようになったらこの世界では好きに過ごせるようになるのではないか。
小指を見ると赤いリングがある。これは赤い糸による装飾品化だ。赤い糸は結婚指輪のように使われているものの一つ。
彼はこれをプロポーズ用につけたというより、迷子防止、事故防止用につけたのだと思う。赤くなる顔は、勘違いのせいなので気持ちを落ち着かせる。
これは告白されたんじゃない。だから、勘違いしてはいけないのだティファよ。
「先輩呼びって今でもいいんですね」
「まだ上位世界に属してるからな。生身ってだけであとは同じだ。おれはお前の永遠の上司だからな」
「出世したらどうしたんですか、それ」
「お前がおれより先に出世?落ちるやつは流石、言うことが違うな」
鼻で笑われてグヌヌとなる。
「で、家に帰ってどうする。出荷先が決まるのも時間の問題なんだろ」
ロゼロは自身の力を使って今までのティファの過去を覗き見たのだ。説明せずとも、なにもかも分かってもらえるのは大変便利。
「出荷先……相手が出荷されるようにすることもできるんですけどね?」
ティファはすでに彼から社員用IDの凍結されていた能力を元に戻されているので、この世界ではかなりの力を持つ存在にグレードアップされていた。
「流石上位世界のSE注目株」
「そのSEっていうのはどうなんだ。昔からそうだったが、その肩書きは単になんとなくかっこいいからで付けられている名称なんだぞ」
「かっこいいじゃないですか」
「つまり、かっこいいだけで、意味なんて考えてないってことだ。本来の意味とは違う仕事内容なのはそのせいだろ」
相変わらず細かいことを考える人だ。だから、出世しているのだろう。上位世界の者達の殆どは、強さだけはある、ズボラな性格をしている。




