第六十八話 王都とハンマー通り
王都の城門は、ミヤンの北門の十倍はあった。
見上げるほど高い石の門。
その前には馬車と旅人の行列が長く伸びている。
「これが、王都……」
ユウが首が痛くなりそうなほど顔を上げた。
「門だけで、もう街みたいですね」
順番が来ると鎧姿の衛兵がじろりと俺たちを見た。
「王都には何の用だ?」
「商談です。それと、これを」
俺はネリアさんから預かった封筒を差し出した。
封蝋の紋章を見た衛兵の顔つきがわずかに変わる。
「商業ギルドの紹介か。通れ」
あっさりと門が開いた。
手紙一通でこれほど違うのか。
ネリアさんには帰ったらきちんと礼をしなければならない。
門をくぐった先は人の海だった。
石畳の大通りを馬車と人が絶え間なく行き交っている。
両側には四階建てや五階建ての建物がずらりと並び、窓という窓から洗濯物や旗がはためいていた。
「うわあ……!」
ミソラが目をまん丸にしてきょろきょろしている。
「ひとが、いっぱい!おみせも、いっぱい!」
「ミソラちゃん。はぐれないでね。手を離しちゃだめだよ」
シオがミソラの手をしっかり握った。
シオの銀色の耳がせわしなく動いている。
「音が多すぎます……。馬車の音も呼び込みの声も鍛冶屋さんの鎚の音も全部いっぺんに聞こえて」
「無理しなくていいぞ。疲れたらすぐ言ってくれ」
そう言いながらも俺の視界の端ではラーメンマップが大騒ぎしていた。
星。星。星。
通りの両側に並ぶ屋台や店のあちこちで見たこともない食材が星を灯している。
燻製肉の店。香辛料を山積みにした店。見たことのない果物。
「……あそこの赤い実の山。星がいくつあるんだ」
「ラメルさん?」
シオがじとっとした目で俺の袖を引いた。
「用件が先です!」
「……分かってる」
「今にも走り出しそうな顔をしています!」
「分かってるって」
図星だった。
用事が済んでからゆっくり見て回ろう。
「今日の歩数は、ここまでで一万二千歩だ」
「……意外と歩いてますね」
ユウが足をさすりながら苦笑した。
馬車の旅では歩数が増えないはずだったが、王都の広さは別格らしい。
商業ギルドの本部は大通りの突き当たりにあった。
白い石造りの三階建ての大きな建物。
ミヤンのギルドとは規模がまるで違う。
受付でネリアさんの手紙を見せるとしばらくして一人の女性が奥から駆けてきた。
短い黒髪を後ろで結んだきびきびとした雰囲気の人だ。
「ラメルさん。審問のとき以来ね」
女性は握手を求めるように手を差し出した。
「改めて名乗らせてもらうわ。セナよ。ネリアとは同期で監察部に勤めているの」
「ラメルです。あのときはお世話になりました」
「こちらこそ。男爵の件ではあの子が随分と頑張ってくれたもの」
セナさんはふっと表情をやわらげた。
「あれからいろいろあったのよ。座って少し話しましょう」
通された部屋は窓の大きな明るい応接室だった。
「まずはボッタ・クルード男爵のことね。爵位の剥奪が正式に確定したわ。屋敷も財産もすべて没収」
「ミヤンでも噂は聞きました」
「金ピカの噴水はミヤンの広場に払い下げられたでしょう? あれ、王都でもちょっとした笑い話になっているの」
セナさんは肩をすくめた。
「それからミヤンのギルドの審査手続きも本部で見直すことになったわ。今回のように誰か一人の判断で不当な再審査が進められないように」
「それは、よかったです」
俺は心からそう思った。
同じことが二度と起きないならあの夜に動いた意味もあったというものだ。
そのとき扉が静かに開いた。
入ってきたのは白髪まじりの初老の男性。
審問の日に会議室の一番後ろからゆっくりと立ち上がったあの人だった。
「首席監察官殿」
セナさんがすっと姿勢を正す。
「久しぶりだな、ラメル殿」
首席監察官は落ち着いた低い声で言った。
「ご無沙汰しております。その節は本当にお世話になりました」
「いや、礼を言うのはこちらの方だ。あの件のおかげで本部も膿を出すことができた」
首席監察官は向かいの椅子に腰を下ろした。
「ミヤンのギルドマスターの娘さんだが容体は落ち着いているそうだ。本部が支援の基金を作ったおかげで薬の心配もなくなった」
「そうですか……!それを聞いて安心しました」
「あの人は副ギルドマスターになったネリア君に支えられて職務に復帰している。君の店も変わらず続けているのだろう?」
「はい。おかげさまで」
「それは何よりだ」
短い言葉だった。
だが、その声には確かなねぎらいがこもっていた。
「それで、王都へはどのような用件で?」
「製麺機を作ってくれる職人を探しに来ました」
俺は製麺機の図面を机の上に広げた。
シオが描き直してくれたあの図面だ。
首席監察官とセナさんが顔を寄せてじっと見つめる。
「……麺を機械で作るのか」
「はい。人の手で打つ麺には限界があります。もっと安定してたくさんの人に届けたいんです」
「なるほど。鉄を扱う職人が必要になるな。となると、ハンマー通りか」
「ドワーフの親方たちにお願いしたいと思っています。ただ、紹介状がなければ門前払いだと聞きました」
「事実だな」
首席監察官は苦笑した。
「あそこは王都の中でも独特の流儀で動いている」
そう言うと彼は懐から一枚の紙を取り出しさらさらと筆を走らせた。
商業ギルド本部の印がぽんと押される。
「これを持っていくといい。ギルド本部の紹介状だ」
「ありがとうございます」
「ただし、一つだけ言っておこう」
首席監察官は真面目な顔で俺を見た。
「紹介状は門を開けるための鍵にすぎない。中身が本物かどうかはあの親方たちが自分の目で決める。それを忘れないでほしい」
「……肝に銘じます」
本物かどうか。
馬車の中でケイさんが言っていたことと同じだった。
俺は紹介状を大切に懐へしまった。
その夜の宿はセナさんが紹介してくれた小さな宿だった。
名前は『銀の鍋亭』。
古い建物だが台所つきの部屋があり、宿代も手頃だ。
「台所つきで本当によかったです」
シオが部屋を見回して満足そうに頷いた。
夕食は王都の市場で買ってきた食材で簡単なものを作った。
燻製肉と野菜の入ったウルフ出汁の醤油ラーメン。
王都の市場の食材を使うのが楽しくてつい味見が止まらなくなってしまった。
「ラメルさん。さっきからつまみ食いばかりしてます」
「味見だ!」
「どう見てもつまみ食いです」
ユウが容赦なく突っ込んだ。
食後、シオは図面をもう一度広げて細かいところを確認していた。
「切刃の間隔はこのくらいでいいですか?ラメルさんが言っていた麺の幅に合わせて」
「ああ。そのくらいで頼む」
「では明日、親方さんに説明するとき私が補足しますね」
「助かるよ。俺の説明だけだとたぶん途中で伝わらなくなるからな」
「それは、もう分かってます」
シオがふふっと笑った。
ミソラはそんな会話を聞きながらいつの間にか寝息を立てていた。
翌朝。
俺たちは王都北側にあるハンマー通りへ向かった。
通りの入口に立った瞬間から音が違った。
カン、カン、カン、カン。
鎚が鉄を打つ音。ふいごが空気を吹き込む音。
通り全体が一つの巨大な楽器のように鳴り響いている。
熱気が道の向こうから流れてきた。
冬だというのに積もった雪は通りの中ほどでもう溶けている。
「すごい……」
「あつい!けど、なんだかわくわくする!」
ミソラが目を輝かせた。
両側には石造りの工房がぎっしりと並んでいる。
店先では背の低いがっしりとした体つきの職人たちが真っ赤に焼けた鉄を打っていた。
長い髭を編み込んだ者。腕が丸太のように太い者。
どの顔も真剣そのものだ。
「ドワーフ……本当にいるんですね」
ユウが小声で言った。
「そりゃ、いるだろ。ここは鍛冶街だぞ?」
「でも、実際に見ると迫力が違います」
俺たちは通りを歩きながら一軒目の工房の前で足を止めた。
鍋や包丁が店先にずらりと並んでいる。
中を覗き込むと年配のドワーフが鉄の塊を叩いていた。
「あの、すみません。製麺機という機械を作っていただきたいのですが」
声をかけるとドワーフは鎚を止めてこちらをじろりと見た。
「……せいめんき?何だ、それは」
「麺を伸ばして切る機械です。図面もあります。商業ギルド本部の紹介状も」
俺は紹介状を差し出した。
ドワーフは紙をちらりと見ただけで鼻を鳴らした。
「ギルドの紙切れか。うちは今忙しいんでな。他を当たってくれ」
それだけ言うと再び鎚を握った。
カン、カン、カン。
取りつく島もない。
二軒目も三軒目も似たようなものだった。
「麺を作る機械だと?聞いたこともないな」
「紹介状があっても仕事の内容が分からんと引き受けられん」
「うちは剣と鎧の専門だ」
紹介状は確かに門を開ける鍵にはなった。
だが、その先の扉は開かなかった。
「……ラメルさん。もう六軒目です」
シオが心配そうに俺を見上げた。
「ああ。さすがに簡単にはいかないな」
「どうしましょう。やっぱり、あの親方さんのところへ行くしかないんでしょうか」
そのとき通りの角にいた一人の老ドワーフが声をかけてきた。
「おい、若いの。さっきから何軒も回っているようだが」
白い髭を胸元まで伸ばした小柄な老人だった。
煙管をくゆらせながら目だけが鋭く俺を見ている。
「はい。製麺機という機械を作ってくれる職人を探しているんです」
「ほう。変なものを頼みに来たな」
老ドワーフは煙管の灰を落とした。
「で、どこの工房にも断られたってわけか」
「はい。紹介状を見せても駄目でした」
「だろうな。この通りでギルドの紙切れをありがたがる奴はほとんどおらん」
老人はくつくつと笑った。
「どれ。その図面をちょっと見せてみろ」
俺は図面を差し出した。
老人は紙をじっくりと眺めた。
煙管を咥えたまましばらく黙っている。
「……ローラーを二本向かい合わせにして歯車で連動させる。その間に生地を通して薄く伸ばしたり切ったり、か」
「はい」
「面白い。理屈は通っとる」
老人は図面を俺に返した。
「だがな、これを作れる腕のある奴はこの通りでもそう多くはない」
「どなたか心当たりが?」
「あるにはある」
老人は通りの奥を煙管で指した。
「一番奥の煙突が一番太い工房だ。あそこの親方はギルドの紙も王様の勅書も読まん」
「読まない、ですか」
「ああ。物を見て人を見て気に入ったときだけ鎚を握る。そういう男だ」
「菜種油の工房にあった圧搾機を作ったのも、その方ですか?」
「ほう。よく知っとるな」
老人は少しだけ目を見開いた。
「あれはあいつの仕事だ。十年以上前になるがいまだに壊れずに動いとるじゃろう」
「はい。とても精巧な造りでした」
「当然だ。あいつは頑固だが腕は確かじゃ」
老人は煙管を咥え直した。
「ただな、気難しい。気に入らん客は金を積まれても追い返す。覚悟して行け」
「ありがとうございます」
「礼は要らん。だが、ひとつ忠告しておこう」
老人は俺の目をまっすぐに見た。
「あいつには小細工が通じん。本物を持っていけ。それだけだ」
本物。
また、同じ言葉だ。
俺は深く頭を下げた。
「肝に銘じます」
通りの一番奥にその工房はあった。
他の工房より一回り大きな石造りの建物。屋根からは太い煙突が天を突くようにそびえている。
煙突からは黒い煙が絶え間なく上がっていた。建物全体が低く唸っているようだった
看板は出ていない。
ただ重そうな鉄の扉が閉ざされている。
「……ここ、ですか」
ユウがごくりと唾を飲んだ。
「たぶんな」
俺は扉を叩いた。
しばらくして小さな覗き窓が開く。
中から現れたのは髭の短い若いドワーフだった。
「……何の用だ」
「製麺機という機械を作っていただきたくて参りました。商業ギルド本部の紹介状もあります」
「親方は人に会わん。帰れ」
覗き窓がぴしゃりと閉まりかけた。
「待ってください」
俺は慌てて声を上げた。
「紹介状ではなくこれを親方に見ていただきたいんです」
俺はラーメンボックスからラメル酒の壺を一本取り出した。
覗き窓がもう一度開いた。
「……酒?」
「はい。米と麹と水だけで作った酒です。俺が自分で作りました」
「米の、酒だと?」
若いドワーフの目がわずかに揺れた。
親方が米の酒を好むという話は本当らしい。
「ほんの一口だけで構いません。飲んでみてもらえませんか。この酒を気に入ってもらえなければおとなしく帰ります」
「…………」
若いドワーフは迷ったような顔で壺と俺の顔を見比べた。
それから覗き窓越しに手を伸ばしてきた。
「……開けてみせろ」
「はい」
俺は壺の蝋を割って栓を抜いた。
ふわり。
米の甘い香りが冬の冷たい空気の中に広がった。
そのときだった。
工房の奥から響いていた鎚の音がぴたりと止まった。
「…………」
通りの喧騒だけが遠くから聞こえてくる。
重い足音が近づいてきた。
どすん。どすん。
鉄の扉が内側からゆっくりと開かれた。
現れたのは小柄な、しかし岩のようにがっしりとしたドワーフだった。
白髪まじりの茶色の髭を三つ編みにして垂らしている。
太い眉の下に鋭い目。丸太のような腕には無数の火傷の跡が刻まれていた。
一目で分かった。
この人があの圧搾機を作った親方だ。
「…………」
親方は何も言わずに俺の手の中の壺を見下ろしていた。
鼻がひくりと動く。
「……その酒、誰が作った」
低くよく響く声だった。
「俺が作りました」
「お前が、か?」
「はい。米と麹と水だけです。ラメル酒といいます」
「ラメル酒……」
親方は壺に手を伸ばし乱暴なほどの手つきで俺の手から取り上げた。
そのまま口をつけてぐいと一口あおる。
「…………」
長い、長い沈黙。
工房の中の火がぱちりと爆ぜた。
親方の肩がわずかに震えた。
やがて親方はゆっくりと壺から口を離した。
「……どこで、この酒の造り方を知った」
「遠い故郷の技です」
嘘ではない。
前世のことも故郷には違いない。
親方はしばらく俺の顔を睨むように見ていた。
それからふんと鼻を鳴らした。
「……ドルガンだ」
「え」
「俺の名だ。ドルガン。この工房の親方をやっておる」
ドルガンさんは壺をぶら下げたままくるりと背を向けた。
「入れ。話くらいは聞いてやる」
鉄の扉がゆっくりとさらに大きく開かれ、熱気が俺たちの頬を撫でた。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
第六十八話は王都到着とドワーフの親方ドルガンとの出会いでした。
紹介状を手にハンマー通りを訪れたものの門前払い。最後はラメル酒をきっかけに親方と話す機会を得ました。
次回はいよいよ製麺機の依頼です。ドルガンは図面を気に入ってくれるのでしょうか?
よろしければブックマークや評価、感想などで応援していただけるとうれしいです!




