第六十七話 雪の街道と濃厚担々麺
一月六日。
ミヤンの北門の前に乗り合い馬車が止まっていた。
幌をかぶせた大きな馬車。屋根には薄く雪が積もっている。
「王都行き。二日分で五名なら銀貨八枚だ」
御者のゴードさんが手をこすり合わせながら言った。
「お願いします。荷物も少しだけです」
と言っても、重い荷物はすべてラーメンボックスの中だ。
ラメル酒の壺が十本。製麺機の図面。味噌、醤油、ごま油に担々麺の材料。
手に持っているのは着替えと寝袋くらいだ。
「気をつけてな、兄ちゃん」
ダルクが分厚い手で俺の肩を叩いた。
「王都は人も多いし、したたかな奴も多い。へこへこしすぎるなよ」
「気をつけます。ダルクさんたちも店をよろしくお願いします」
「任せろ。毎日通って経営の手伝いをしてやる」
「経営は、しないでください」
ロミさんが笑いながら突っ込んだ。
リウムさんは無言で一つだけ頷いた。
「……麺は、守る」
「頑張ってきます。製麺機を必ず持ち帰ります」
そう約束したとき、ネリアさんが小走りに駆けてきた。
「ラメルさん!よかった、間に合いました」
手に封筒を二通持っている。
「王都の商業ギルド本部にいる私の友人と、監察部の首席監察官さんへの手紙です。王都で困ったときはきっと力になってくれます」
「助かります。ありがとうございます」
手紙を受け取ってしっかりとしまう。
「いってらっしゃい!」
みんなの声を背に馬車に乗り込んだ。
馬車の中は思ったより狭かった。
先に乗っていたのは三人。
ふっくらとした商人のバルトさんと息子のトム。
そして羊毛の束を抱えた行商人の女性。ケイさんだ。
「お子さん連れかい。賑やかでいいね」
バルトさんが人懐っこく笑った。
「この子はミソラです。社会見学です」
シオがミソラの肩を抱き寄せた。
「しゃかいけんがく!」
ミソラは窓に顔を貼り付けている。
その目の前で馬車がゆっくりと動き始めた。
「うわあ。もう、街がちいさくなった!」
ミヤンの街があっという間に雪の向こうへ消えていく。
「今日の歩数は馬車に座ってるだけだから、ほとんど増えない。三千歩ぐらいだ」
俺が視界の端の数字を見て言うとユウがこっそり拳を握りしめた。
「やった……」
「ユウ、うれしそうだな。」
ショーが肩を揺らして笑った。
しばらく進むと街道は真っ白な原っぱになっていた。
馬車の車輪がきゅっ、きゅっ、と雪を踏む。
「お前さんたち、王都は初めてかい?」
バルトさんがお茶をすすりながら尋ねた。
「はい。製麺機という麺を作る機械を作ってもらいに行くんです」
「麺を作る機械?」
「麺を伸ばして細く切る機械です」
「面白いことを考えるね。じゃあ鉄を扱う職人に頼むんだな?」
バルトさんは腕を組んでうんうんと頷いた。
「だとするとドワーフの鍛冶街だな」
「鍛冶街ですか?」
「王都の北側に『ハンマー通り』っていう街がある。腕のいいドワーフの工房がずらりと並んでいる」
バルトさんは声を落とした。
「だがな。あいつらは頑固だ」
「頑固ですか……」
「気に入らない客には一切物を作らない。金をいくら積んでも追い返される。紹介状もないやつは門前払いさ」
「紹介状……」
俺は懐の手紙をそっと押さえた。
ネリアさんの手紙。首席監察官さんへの手紙。
これが紹介状の代わりになるかもしれない。
「それにな」
ケイさんが羊毛を撫でながら口を開いた。
「あそこの親方たちは物を見る目がすごくてね。にせものやうわべだけのやつは一目で見抜かれる。逆に本物を持ってきたやつには意外と優しいって話だよ」
「本物……」
ラメル酒のことを思い出す。
それから図面。丸と四角と線ばかりの原案ではなくシオが描き直した方だ。
「ありがとうございます。参考になります」
「いいよ。こちらこそ面白い話を聞かせてもらった」
ケイさんは窓の外へ目をやった。
雪がさらさらと降っている。
夕方には雪が強くなっていた。
馬車の速度が落ちて予定よりだいぶ遅れている。
「すまねえ。この雪じゃ今日はここまでだ」
ゴードさんが暮れかけた空の下で馬車を止めた。
長い道のりを走ってようやく小さな宿場町に着いた。
『ユキミ宿場』
看板の名前を見てユウが首を傾げる。
「名前だけはすごくいいですね」
「雪見で熱いラーメンをすすりたくなる名前だな」
ショーが言った。
確かにそれは悪くない。
宿の主人はがっちりとした中年の男だった。
「いらっしゃい。この雪ですか。大変でしたな」
「厨房を少しだけ借りられませんか。料理を作りたいんです」
「厨房?」
宿の主人は一瞬だけ怖い顔をした。
「変な料理を作って厨房を汚されるのは勘弁してほしいんだが」
「絶対に綺麗に使います。それに宿の皆さんにも振る舞いますから」
「……振る舞う?」
宿の主人の目がわずかに動いた。
「それなら好きに使ってくれ。この寒さだ。客も体が冷えている。温かいものがあるなら大歓迎だ」
厨房に入って俺はラーメンボックスを開いた。
「今日は、これを作る」
取り出したのはごま油の壺。
そしてもう一つ。
黒と白のゴ草の種の搾りかすだ。
「それ、菜種油の工房でもらった搾りかすですか……?」
シオが思い出したように言った。
「何に使うんですか?」
「ゴマダレにする」
「ごまだれ……以前の担々麺ではゴマをすり潰して作っていましたよね」
「そうだ。だが、ごま油を搾ったあとのかすにも香りと旨味が残っている。これをしっかりとペースト状にする」
まず搾りかすをフライパンで軽く炒る。
ぱちぱちと音を立てながら香ばしい香りが立ち上った。
それをすり鉢へ移す。
「ショー、ユウ。ここは腕の見せどころだ。すりこ木でひたすらすり潰すんだ」
「腕というか完全に力仕事ですね、これ」
「腕と根性だ」
ゴリゴリ、ゴリゴリ。
最初は粗かった搾りかすが少しずつ細かくなり、しっとりとしてくる。
ごま油をちょろりと足す。
さらにすり潰す。
やがて黒茶色のとろりとしたペーストができた。
「……すごい香りです」
シオが鼻をひくひくさせた。
「これに味噌とウルフ肉のそぼろ。すりおろしたニンニの根。それから黒砂糖を少し。これで濃厚なゴマダレになる」
ラーメンボックスから味噌とニンニの根を取り出す。
ニンニの根はミヤンの市場で山ほど買い込んできたものだ。
俺は器の中でニンニの根のすりおろしと味噌、黒砂糖、ごまのペーストをゆっくりと混ぜ合わせた。
色が深い。
香りも濃い。
小さなスプーンですくって舐める。
「…………」
ゴマのどっしりとしたコク。
味噌の甘さ。舌を包み込むような重厚な旨味。
手を加える間もなくこれだけで完成している気がする。
だがゴマダレだけでは終わらない。
さらに豚骨の白濁スープを少しだけ加えてコクを重ねる。
そこへごま油で作ったラー油を加える。
座って待つ宿の客たちの鼻がひくひくと動いている。
「……なんだ。いい匂いだ」
「辛い匂いと香ばしい匂いがする」
「腹が鳴るな……」
できあがったどんぶりに細めの麺を入れてスープを注ぐ。
豚骨の白いスープに茶色いゴマダレが溶けて濃厚なクリーム色のスープになる。
その上に肉味噌、メンマ、刻みネギ、真っ赤なラー油。
とどめにすりごまをひとつまみ。
「できた。濃厚担々麺だ」
宿の食堂に十人ほどの客が集まっていた。
バルトさんとトム。ケイさん。ゴードさん。宿の主人。
そして一人旅の老商人と雪に足止めされた職人たち。
全員の前にどんぶりが並んだ。
「「「「「いただきます」」」」」
皆がおそるおそる麺をすすった。
……静か。
「……うまい」
最初に声をもらしたのは職人の一人だった。
「これはうまい。こんなに濃くてどっしりしているのに、しつこくない」
「辛さとゴマのコクと豚の旨味がどれもはっきり主張しているのに、ちゃんと一つにまとまっている」
バルトさんが鋭い目でどんぶりを見つめた。
「……王都でも、こんな料理は食べたことがないぞ?」
「父さん、これ、おかわりできないかな?」
「やめなさい。でも、あとで聞いてみよう」
ふわりと客たちの体が橙色に光った。
『食事効果:宿の客たち 全能力+10%(数時間)』
「……あれ?体が軽い」
「冷えていた手足があたたかい」
ゴードさんが手のひらを開いて目を見張った。
「……今朝から手の感覚がなくなるほど冷えていたんだ。なのに今は熱いくらいだ」
「今日は大変でしたよね。ゆっくり休んでください」
その言葉に御者は照れ臭そうに顔をそむけた。
「……恐れ入ります」
銀の耳の食卓のメンバーの体も同じように光った。
『食事効果:銀の耳の食卓 全能力アップ』
ごま油もゴマダレも自分たちの手で作った。
俺は今日も+1だけだった。
「……ラメルさん、また悲しい顔してますね」
ユウが小声で言った。
「気のせいだ」
食後、宿の主人がしみじみと言った。
「あんた何者だい。こんな料理をこんな宿場町で、どうしてタダで振る舞うんだ?」
「たいしたことじゃありません。今日は厨房を貸していただいたお礼です」
「……やれやれ。変わった客だ」
宿の主人は苦笑いをした。
「そうだ。お礼にとっておきの酒を飲ませてやろう」
「とっておきですか?」
「王都の酒蔵で今年だけ作られた、なんとかという高い酒だ。客には出さないが……」
窓の外を見て主人は言った。
「こんな雪の日は強い酒でも飲まないと、やってられない」
ことりとグラスが並べられる。
「ありがたいですが俺はまだ十五なので、酒は遠慮しておきます」
「そうか。では大人の呑み仲間たちと飲むか」
バルトさんと主人。それに職人たちが子供のように目を輝かせた。
そのときふと思いついた。
「……主人さん、俺もとっておきの酒を持っています。一杯だけ飲んでみてもらえませんか?」
ラーメンボックスからラメル酒の壺を一本取り出した。
蝋を割って栓を抜く。
香りがふわりと広がった。
「……おや。これはきれいな香りだ」
とっておきの酒を持っていた主人が手を止めた。
グラスに注いで一口。
「…………」
長い沈黙。
「……これは、どこで。誰が?」
「俺が作りました。米の酒です」
「……米。この甘さは米なのか。穀物とは違う。なんというか……澄んでいる」
主人はもう一口飲んでゆっくりとグラスを置いた。
「……王都の酒蔵も、ここまでのものは作れんでしょうな」
「そうですか。これは王都の頑固な鍛冶屋さんへの手土産にしたいんですよ」
「鍛冶屋。ドワーフか?」
主人はゆっくりと頷いた。
「だったらこれはきっと歓迎される。あいつらは米の酒をすごく好むと聞く」
「米の酒を……」
この世界にも米の酒があるのだろうか。ふくら米も麹も見つけたが酒までは聞いたことがない。
ドワーフが好むという米の酒は一体どんなものなのだろう。
考えるのは王都に着いてからにしよう。
翌日。
宿場を出発して半日。
ガクンと馬車が止まった。
「……こりゃあ、だめだ」
御者のゴードさんが苦い声でつぶやいた。
窓の外が真っ白だ。
吹雪だ。
うなるような風が馬車を揺さぶっている。
馬たちも脚を止めてしまった。
「峰の真ん中で吹雪とは。このままじゃ馬も人も凍えちまう」
バルトさんの顔がこわばった。
トムが父親にしがみついている。
ミソラもシオにぐっと抱きついた。
「……さむい。でも、こわくない」
「うん。大丈夫だよ、ミソラちゃん」
シオの優しい声が吹雪の音に消されそうになる。
俺は馬車の中を見回した。
このままじゃ本当に危ない。
だが手はある。
「ゴードさん。馬車を岩陰に寄せられますか?」
「岩陰か。あっちの崖の下なら多少は風を避けられるが」
「そこであたたかいものを作ります。ショー、ユウ。手伝ってくれ」
「はい!」
馬車を崖の下へ寄せて風を避ける。
馬車と岩の間に荷台を立て掛けて雪を取り除く。
小さな空間の真ん中に石を積んで簡単な竈を作る。
俺はラーメンボックスから大きな寸胴を取り出した。
「味噌ラーメンだ。体の芯からあたたまるやつを作る」
ウルフの骨とあらかじめ作っておいた味噌ダレ。
バターはあと少しだけ残っていた。
すべて手順を省いた手早い作り方だ。
野菜を強火で炒めて味噌ダレを溶かし、スープを注いでひと煮立ちさせる。
凝ったトッピングは今日は省いた。
とにかく熱い一杯を今すぐ。
「できた!馬車の中に運ぶぞ!」
「はい!」
ショーとユウが器を持って馬車へ駆ける。
「……あ。あたたかい」
トムがどんぶりを両手で抱きしめた。
「味噌っていうんです」
俺が説明するとバルトさんは噛みしめるように頷いた。
「濃厚で甘くて力がある。吹雪の中でこんなものを食べられるなんて」
バルトさんは目を潤ませて麺をすすっていた。
ケイさんは羊毛の束を抱きしめながら静かに湯気に顔を寄せた。
「……この味、忘れないよ」
御者のゴードさんは特別に大盛りをとった。
手綱を握っていた手をゆっくりと開いて麺を口に運ぶ。
「……うめえ。この味は一生忘れねえ」
今日は風の音と麺をすする音だけが馬車の中に響いていた。
吹雪が止んだのは太陽が傾きかけた頃だった。
重い雲が割れて橙色の光が真っ白な大地に差し込んでくる。
「……走れる。馬も元気を取り戻した」
ゴードさんが手綱を振るう。
馬車はゆっくりと雪道を進んだ。
峰を越えて緩やかな坂を登り切ったとき、ケイさんが窓の外を指さした。
「見てごらん。王都だよ」
「……あ」
ミソラが息をのんだ。
丘の下に巨大な街が広がっていた。
どこまでも続く高い城壁。
その内側を埋める無数の屋根。
黄金色に輝く大きな宮殿。
あちこちの煙突から白い煙がゆらゆらと空へ昇っている。
ミヤンの街はこの国の中でも大きな方だと思っていた。
だが、この街と比べるとまるで豆粒のようだ。
「おっきい……」
ミソラが言葉を失っている。
ショーもユウも口を開けたままだ。
シオは無意識に耳をぴんと立てていた。
王都の街の音を聞こうとしているのだろう。
俺は赤い夕焼けに染まった王都をじっと見つめた。
ここに製麺機を作ってくれる職人がいる。
頑固で酒好きのドワーフの親方が。
「……行こう」
気づけば口からこぼれていた。
馬車はゆっくりと王都へ向かっていく。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
第六十七話は馬車で王都へ向かう道中の回でした。
馬車の中で王都のドワーフの鍛冶街の噂を聞きました。紹介状なしでは門前払いになるという頑固な職人たちです。
宿場町ではごま油の搾りかすをペースト状にして濃厚担々麺を作りました。
ゴマのコクと豚骨のコクが重なる冬の旅にぴったりの一杯です。
そして吹雪の中では味噌ラーメンが馬車の中の人々を温めてくれました。
次回はいよいよ王都入りです。首席監察官との再会。そしてハンマー通りへ。
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