第五十七話 豚の街ポルコと白濁の香り
ポルコの街に着いたのは、日が沈む少し前だった。
今回の旅の軍資金は、金貨五百枚。
レオさんからもらった大金貨は工房と家で使ってしまったが、ラーメン屋の売り上げが順調なので、これだけ用意することができた。
街の手前には、柵に囲まれた広い牧場が広がっていた。
「ぶひ。ぶひぶひ」
丸々と太ったピンク色の動物たちが、のんびりと草をはんでいる。
「……あ」
視界の端に、見慣れた表示が灯った。
『ラーメン適性:豚(骨・肉・脂)★★★★★』
足がぴたりと止まった。
「……星が、五つ」
「五つですか?」
ショーが首をかしげる。
「今まで一番多かったのはタスクボアの四つだったが、豚はその上だ」
俺は柵に手をつき、ふるふると震えた。
「豚だ……本物の、豚だ……!!!」
「ラメルさん、また泣いてる」
シオがくすくす笑った。
「泣いてない。目から汗が出てるだけだ」
「ぶた、かわいいー!」
ミソラは柵の隙間から子豚をじっと見つめている。
「ぶひぃ」
子豚がミソラに向かって鼻をひくひくさせた。
街に入ると、風に乗って香ばしい匂いが流れてきた。
「うわあ、いい匂い!」
シオの耳がぴんと立っている。
「お肉を焼く音も、たくさん聞こえます!」
赤い瓦の屋根が夕日に染まっている。通りの両側には、串焼きや燻製を売る屋台がずらりと並んでいた。
「豚の丸焼きの店は、あれだな」
通りの中ほどに、豚の絵が描かれた大きな看板があった。
『ぶひぶひ亭』
扉を開けると、威勢のいい声が飛んできた。
「いらっしゃい! 旅の人かい!」
丸い腹に赤ら顔。ちょび髭を生やした陽気そうな親父だった。
「俺はポルドだ!この街で豚を育てて三十年、ついでに丸焼きもやっとるぞ!」
「ラメルといいます。豚の丸焼きをお願いしたいんですが」
「おう! 丸ごと一頭、金貨五枚だぞ!」
「き、金貨五枚!?」
シオが思わず声を上げた。
「丸ごとだからな! 皮がパリッパリの絶品だ!」
ポルドさんは胸を張って笑った。
「お願いします。豚のことを知るには、まず食べるのが一番ですから」
俺は金貨を五枚、カウンターに並べた。
ショーとユウがごくりと唾を飲み込む。
運ばれてきた丸焼きは見事だった。
大きな板の上で黄金色に焼き上がった豚が湯気を上げている。こんがりと色づいた皮には細かなひびが入り、表面に浮いた脂が照明を受けてきらきらと輝いていた。
香ばしい匂いがテーブルいっぱいに広がる。
炭火でじっくり焼いたのだろう。皮の端は飴色に焦げていて、肉汁が染み出した部分からは、甘く濃厚な香りが立ち上っていた。
「切り分けるぞ!」
ポルドさんが大きな包丁を振り下ろした。
ぱりっ、と小気味いい音が響く。
分厚い皮が割れ、その下から白い脂と柔らかな肉が顔を出した。包丁を入れるたびに肉汁がじわりとにじみ、切り分けられた肉が大皿へと移されていく。
「うわあ……」
ショーが身を乗り出した。
「すごいですね。皮がこんなにパリパリなんて!」
「早く食べましょうよ!」
ユウも待ちきれない様子で皿を見つめている。
「ほら、遠慮せず食え! 冷める前が一番うまいぞ!」
ポルドさんに勧められ、俺たちはさっそく肉に手を伸ばした。
「いただきます!」
まずは皮のついた部分を一口。
ぱりっ!
歯を立てた瞬間、香ばしい皮が小気味よく砕けた。
その下にある肉は驚くほど柔らかい。噛むたびに肉汁があふれ、豚肉特有の濃厚な旨味と脂の甘みが口いっぱいに広がった。
「うまい!」
思わず声が出た。
塩と香草で味付けされているのだろうか。余計な味付けはないのに、肉そのものの旨味がしっかりと引き出されている。炭火の香ばしさも加わり、いくらでも食べられそうだった。
「脂が、甘いです!」
シオも目を輝かせている。
脂身は口の中でとろりと溶けるのに、しつこさはない。皮のぱりぱりした食感と、脂のなめらかさ。その対比がたまらなかった。
「この皮、すごくおいしいですね! 噛むと音がするんですよ!」
ショーは皮のついた肉を両手で持ち、夢中になってかじっている。
「僕はこっちが好きです。お肉がふわっとしていて、噛むと汁が出てきます!」
ユウは脂身の少ない部分を選んで頬張った。口元に肉汁をつけながら、次の一切れにも手を伸ばしている。
「おいしい……おいしいよう……」
ミソラは頬いっぱいに肉を詰め込んで目を丸くしていた。
「ミソラ、慌てなくてもお肉は逃げませんよ」
シオにたしなめられても、ミソラはこくこくとうなずくだけ。口の中の肉を飲み込むと、すぐに次の一切れを手に取った。
「だって、おいしいんだもん!」
その言葉に、みんなの笑い声が弾けた。
店内を見渡すと、他の客たちも笑顔で丸焼きを囲んでいた。
大皿を回し、好きな部位を選んで切り分ける。皮を楽しむ者もいれば、脂の多い部分を好む者もいる。骨の周りに残った肉まで、器用にナイフでこそげ取っていた。
これが、この街の食べ方らしい。
料理を一人分ずつ皿に盛るのではなく、大きな丸焼きをみんなで囲んで食べる。誰かがうまい部位を見つければ、隣の人にも勧める。そんなやり取りがあちこちで交わされていた。
「ラメルさん、こっちの肉も食べてみてください!」
シオが差し出したのは、皮と脂身がほどよくついた一切れだった。
「ありがとう。じゃあ、いただきます」
口に運ぶと、先ほどとはまた違う味わいが広がった。
脂身の甘さに加えて、皮の香ばしさが強い。焼き目のついた部分には旨味が凝縮されていて、噛むほどに肉の味が濃くなっていく。
これはたまらない。
ラーメンに使うなら、どんなスープが合うだろう。
醤油もいい。味噌も捨てがたい。だが、今考えているのは九州豚骨ラーメンだ。
濃厚な豚骨スープに、この豚の旨味が加わったらどうなるだろう。
想像しただけで腹が鳴りそうになった。
「どうだ、ポルコの豚は!」
ポルドさんが豪快に笑った。
「最高です!」
俺は即答した。
「肉の旨味も脂の甘みも素晴らしい。こんな豚が育つ街なら、さぞかし骨も立派なんでしょうね」
そう言いながら、俺は大皿に残った骨付きの部分を見つめた。
白くて太く、しっかりしている。
肉を食べるだけでも十分にうまい。だが、俺が本当に欲しいのは、その骨だった。
あの骨を大量に煮込めば、きっと濃厚な豚骨スープが作れるはずだ。
頭の中で、白く濁ったスープがゆっくりと湯気を上げ始めた。
「ポルドさん。豚の骨ってどうされているんですか?」
「骨?」
ポルドさんはきょとんとした。
「肉は食うが、骨は捨てるな。解体場の裏に山積みになっとるよ」
「その骨を、いただきたいんです」
「骨を欲しがる?」
ポルドさんは目を丸くしたあと、腹を抱えて笑い出した。
「がはは!変わった兄ちゃんだ!」
「それと、もう一つお願いがあって、この街で庭のある広い宿か家を借りられる場所っていうのはありませんか?五泊ほどしたいんです。外でスープを炊きたいので庭が広いと助かるんですが……」
「庭のある宿か家……」
ポルドさんは顎に手を当てて少し考えたあと、ぽんと手を打った。
「だったら、うちの牧場の隣に使ってねえ家があるぞ。どうだ、そこを貸してやろうか?大した家じゃねえが庭は広いし、外で火を使うのにも困らんはずだ」
「本当ですか?」
「おう!五泊六日で金貨二十枚ってところでどうだ?」
「ぜひお願いします!!」
「がはは!話が早い兄ちゃんだ!」
シオがこっそり俺の袖を引いた。
「ラメルさん、いいんですか?そんなに簡単に決めて」
「大丈夫だ。今回は全部必要な出費だからな」
翌朝。
借りた一軒家は牧場のすぐそばにあった。庭は広く、石で組んだ竈まで備えつけてある。
「ここなら、思う存分に炊けそうだ」
朝食のあと、ポルドさんの案内で街の外れにある解体場へ向かった。
建物の裏手に回ったところで、俺は息を呑んだ。
「…………」
真っ白な骨が小山のように積まれている。
日差しを浴びて、骨の山が輝いて見えた。
「どうだ、この骨の山は!今朝解体した豚の骨が、ちょうどここに集まっとるんだ」
「この骨、いただいてもいいですか」
「骨を?ゴミだぞ?欲しけりゃタダで持っていけ」
「ありがとうございます。ありがたくいただきます」
解体場の親方がきょとんとした。
「それと、もう一つ。豚も買わせてください」
「豚?」
「はい。豚を買いたいんですが、何頭くらい用意できますか?」
「何頭だ?」
「百頭ほど骨付きのままでお願いしたいです」
「ひゃ、百頭!? そんなにか!?」
親方は目を白黒させた。
「百頭となると、今ある在庫だけでも十分足りるな。一頭あたり金貨三枚が相場だから、全部で金貨三百枚になるぞ」
「では、金貨三百枚でお願いします」
「ほ、本当に買うのか!?」
親方は目を丸くした。
「はい。豚は骨も肉も脂も、大切な材料ですから」
親方は震える手で金貨の袋を受け取った。
「……あんた、本当に変わっとるな。ゴミの骨を山ほど持っていく上に、豚まで百頭も買う奴は初めてだ」
俺は骨の山と百頭分の豚に手を向けた。
『豚(骨・肉・脂)と豚骨を収納しますか?』
「はい」
骨の山が光の粒になり、次々とラーメンボックスに吸い込まれていく。
「消えた!」
親方とポルドさんが同時に叫んだ。
「魔法か、これは!」
「まあ、そんなところです」
軍資金は、これで残り百七十五枚ほど。
だが、これでスープの材料は整った。
昼からはポルドさんの牧場周辺を歩いた。
豚の観察ついでに、ラーメンマップを広げる。
牧場のまわりには、柵の外の野原に星が点々と灯っていた。
「……あれ」
俺は足を止めた。
『ミミ茸(★★★)具向き』
『ショッカの根(★★★)薬味向き』
『タカの葉(★★★)漬物向き』
『白ゴ草の種(★★)香味向き』
「全部、三つ星前後か」
木の幹から、黒くて薄い耳のようなキノコが生えている。
指でつまむと、こりこりとした弾力があった。
「キクラゲだ!」
「きくらげ?」
「ラーメンの具に入れると、食感がいいんだ」
次に、地面から細くて黄色い根がのぞいている。
削って鼻に近づけると、ぴりりとした辛みと爽やかな香りがした。
「ショウガだ。紅しょうがにできるぞ」
「紅しょうが?」
「豚骨ラーメンに欠かせない、赤い漬物だ」
さらに、大きな緑の葉。
かじると、独特のほろ苦さとほんのりとした辛みが広がる。
「これは、高菜だ!」
「たかな?」
「漬けて炒めれば、辛子高菜になる。豚骨とは最高の相性なんだ」
そして、雑草の中に混ざっていた白い小さな種。
「白ごまだ……!」
黒ゴ草の種によく似ていた。
「ラメルさん、またいつものですか?」
シオが苦笑した。
「宝探しだ。みんなで集めよう」
「はーい!」
ミソラが元気に手を挙げた。
五人でひとつずつ丁寧に摘んでいく。
ポルドさんが腕を組んで首をかしげた。
「兄ちゃん?そんな草ばっかり集めてどうすんだ?」
「ラーメンの具にします」
「らーめん?」
「明日には、お見せできると思います」
その夜はポルドさんの家に招かれた。
大きな鍋が食卓の真ん中に置かれる。
「うちの女房の自慢料理だ。ポルコの名物、鶏の塩煮込みだぞ!」
鍋の中では骨付きの鶏肉が、白っぽいスープの中でことこと煮えていた。
塩と薬味。そしてユーズの葉に似た柑橘の香り。
「いただきます」
鶏肉はほろりと骨から外れた。
スープは透き通っていて、鶏の旨味がしっかり出ている。
「……うまい」
俺はスープの最後の一滴まで飲み干した。
「水炊き……?」
思わず声が漏れた。
「みずたき?」
「いえ、こっちの話です」
塩味の鶏の煮込み。鶏の旨味がたっぷりの白いスープ。
……やっぱり、博多なのか。
博多といえば、豚骨と水炊きだ。
「水炊きのシメは、やっぱりラーメンだな!」
「ラメルさん?」
「いや、何でもない。次の機会に、この鶏でも試したいなと思ってな」
シオがくすりと笑った。
「ラメルさんは、いつもラーメンのことばかりですね」
「当たり前だ!」
三日目。
朝から庭に大きな寸胴鍋を三つ並べた。
「まずは骨を洗って、血を抜く」
大量の豚骨を鍋に入れ、水を注ぐ。
沸騰させて、茹でこぼす。
灰汁と血が茶色い泡になって浮かんでくる。
「ショー、ユウ、これを割ってくれ」
「割る?」
「骨の中の髄を出さないと、白くならないんだ」
俺が渡したのは鉈と木槌だった。
「任せてください!」
ショーとユウが並んで骨を割っていく。
がつん、がつん、と気持ちのいい音が庭に響いた。
「シオは灰汁取りを頼む」
「はい!」
シオがお玉で丁寧に灰汁をすくう。
ミソラは竈のそばで、小さな団扇をぱたぱたとあおいでいる。
「ひのばん、がんばる!」
「ありがとう、ミソラ」
水を足して、強火にかける。
ここからが本番だ。
豚骨ラーメンは、とにかく長く、強く炊く。
ぐつぐつ。
ぐらぐら。
骨から少しずつ旨味と脂が溶け出していく。
昼を過ぎるころ、庭いっぱいに独特の匂いが広がり始めた。
「ラメルさん……この匂い……」
「ああ。来たな」
獣臭くて、濃厚で、強烈な匂いだった。
宿屋の台所でウルフの骨を炊いたときのことを思い出した。
「苦情が来ないといいんですが……」
そこへポルドさんが、ひょっこり顔を出した。
「おう、やっとるな!」
「ポルドさん、匂いは大丈夫ですか」
「はっは! 豚の街に住んで三十年だ! 豚の匂いなんざ、慣れっこよ!」
ポルドさんは鼻をひくつかせながら、鍋を覗き込んだ。
「しかし、いい匂いだな。腹が減ってくる」
「……ですよね」
夕方。
スープの色が少しずつ変わってきた。
最初は透き通った茶色だったものが、薄いクリーム色に。
さらに、白く、白く濁っていく。
「……白い」
俺はお玉でスープをすくった。
とろりとした白濁のスープ。
口に運ぶ。
「…………」
舌の上に濃厚な旨味が広がった。
脂の甘み。骨の深い味。そして、あの独特の獣の香り。
まだ塩気が足りない。キレも足りない。
だが、これは確かに。
「……豚骨だ」
声が震えた。
「できた。試作だが、間違いなく、あの味の入り口だ」
「やったー!」
「すごい! 真っ白です!」
ショーとユウが拳を突き上げた。
シオも嬉しそうに微笑んでいる。
庭中に濃厚な匂いが漂っていた。
くさうまの原点だ。
そのとき、ミソラがスープの湯気をくんくんと嗅いだ。
「…………」
「どうした、ミソラ」
「くさい」
「そうだな」
「……いいにおい」
「だよな」
「でも、くさい」
「……ああ」
「でも、いいにおい!」
ミソラが鼻を押さえながら、きゃあきゃあと笑った。
同じ頃、神界の神殿では。
水鏡の前で、女神ファリーナがうっとりと頬に手を当てていた。
「……臭いですわね」
鼻をつまみながらも、目は水鏡から離れない。
「でも、食べるのがワクワクするいい香りでもありますね」
「臭いのか、いい香りなのか、どちらなのですか?」
背後から侍女が冷静に尋ねた。
「……でも、やっぱり臭いわね」
「同じことを仰いましたね」
「だって、臭いんですもの!」
ファリーナは頬を膨らませた。
「でも、あの白濁したスープ、絶対においしいですわ。ミソラ、ちゃんと味見をしなさいませ!」
「女神様。感覚の共有は、ほどほどになさるようにと」
「分かっていますわ!」
水鏡の向こうで、白濁したスープがぐつぐつと煮えていた。
夜、遠くの空には星が瞬いていた。
「明日は、いよいよ仕上げだな」
俺は白く濁った寸胴鍋を見つめた。
あと少し。
あと少しで、あの一杯がこの世界で完成する。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
第五十七話は、豚の街ポルコでの滞在回でした。
ついに出会った本物の豚。ラーメン適性は、なんと★五つ! タスクボアを超える最高評価です。
豚の丸焼きは金貨五枚、豚百頭分は金貨三百枚。解体場の骨の山はタダでいただきました。
そして、庭付きの一軒家で豚骨スープの試作に成功しました。ミソラの「くさい、いいにおい、でもくさい」は、まさに豚骨あるあるですね。
次回、ラメルが博多豚骨風ラーメンを完成させます。
よろしければブックマークや評価、感想などで応援していただけるとうれしいです!




