第五十三話 工房と家
翌朝、俺は店の客席にみんなを集めた。
シオ、ショー、ユウ、ミソラの四人に、ショーの母とユウの母。二人の母親は客席に腰を下ろし、子どもたちはそのそばに集まっている。
ユウの父は、厨房で朝の仕込みをしていたらしく、少し遅れて奥から姿を現した。
「皆さん、集まってくれてありがとうございます。今日は、これからの店のことについて相談したいんです」
俺はそう切り出し、机の上に大金貨を一枚だけ置いてみせた。
全員の視線が、そこへ吸い寄せられる。
「レオさんから受け取った金は、大金貨で五十枚ある。その使い道を、みんなに聞いてほしいんです」
「五十枚も!?」
ショーが目を丸くし、ユウも驚いたように金貨を見つめた。
「そのお金で、まずは麺を作るための専用の工房を用意したいと思っています」
「工房、ですか?」
ショーが首をかしげた。
「ああ。今は店の厨房の片隅で、ユウのお父さんが一人で麺を作ってくれているだろう?」
理由は単純だった。
今の麺作りは、店の厨房の片隅で、ユウの父が一人で回している。
麺の素は鍵付きの箱の中。厳重に管理してはいるが、人手にも場所にも限りがある。
店が繁盛するほど、麺が足りなくなる。
俺たちが旅に出れば、麺作りのすべてがユウの父にかかってしまう。
「麺を専用の工房で作る。店は、麺を受け取って調理に専念する。そうすれば、いつか二号店を出すときにも使える」
「二号店……」
ユウの母が、小さく息を呑んだ。
「そのうえで、工房には責任者が要る。麺の秘密を預けられる人だ」
俺は、ゆっくりとユウの父に目を向けた。
「お願いします。工房長を、引き受けてもらえませんか」
厨房の男は、しばらく黙っていた。
分厚い手のひらを、ぎゅっと握る。
「…………私で、いいのか」
「あなたがいい。あなたしかいません」
ユウの父は、深く頭を下げた。
「……承知した。命に代えても、守る」
「命は代えないでください」
思わず突っ込んだ。
「それにしても、改めて工房長となると、名前を書類に記載しないといけませんね」
俺は、ふと気づいた。
「…………そういえば」
「どうしました?」
「ユウのお父さんの、お名前を……きちんと聞いたことがなかったような……」
店内が、静まり返った。
ショーとユウが、顔を見合わせる。
シオが、気まずそうに視線を逸らす。
「あら」
ショーの母が、目を丸くした。
「ラメルさん、知らなかったの?もう三ヶ月以上の付き合いなのに」
「す、すみません。ずっと、ユウのお父さんと呼んでいて」
「リウムさんよ」
「リウム」
「そう。リウムさん。ね、リウムさん」
名前を呼ばれたユウの父は、わずかに頬を赤くして、こくりと頷いた。
「…………リウムだ」
三ヶ月と少し。
俺は、三ヶ月以上もの間、この人の名前を知らなかったのか。
「すみませんでした、リウムさん!」
「…………構わん」
隣で聞いていたユウが、きょとんと首を傾げた。
「えっ、ラメルさん、お父さんの名前知らなかったんですか?」
「……ああ」
全員が、なんとも言えない顔になった。
工房の物件は、ダルクの紹介で見つかった。
北門から少し離れた通りに、かつて染物屋だった大きな建物がある。
広い作業場、井戸、熟成用の小屋、頑丈な倉庫。
壁は厚く、扉も重い。
「麺を守るには、ちょうどいい造りだ」
商業ギルドで手続きを済ませたのは、副ギルドマスターになったネリアだった。
「工房の購入額は、大金貨三十枚です。ラメルさんなら、問題ないと思いますが」
「ええ。お願いします」
三十枚。ウルフラーメン六万杯分だ。
手が震えないように、俺は必死で平静を装った。
ネリアは書類に印を押しながら、ふっと微笑んだ。
「男爵の件が、ずいぶん昔のことのようですね」
「そうですね。あの頃は、こんな日が来るなんて思いもしませんでした」
工房の準備は、すぐに始まった。
まずは、麺の素の扱いについて決めておく。
一つ。製法を知るのは、リウムさんと俺だけ。
二つ。麺の素は工房の奥にある鍵付きの部屋で、リウムさんが一人で調合する。
三つ。工房で働く人たちは、麺を打って店へ運ぶだけ。麺の素には触れず、茹でる作業も店で行う。
「それなら、簡単に製法は盗まれませんね」
「ああ。何かあれば、すぐにリウムさんが気づく」
働き手は、街の人たちから集めた。串焼き屋のおっちゃんの息子に、八百屋の三番目の娘。
それから、冒険者を引退した元斥候のおじさん。全員、ダルクたちの紹介だ。
「麺の秘密を漏らした者は、二度とこの街で働けない。それだけは、約束してもらう」
リウムさんが低い声で告げると、集まった人たちは一斉に背筋を伸ばした。
……この人、本当に頼もしい。
店の改装にも、まとまった金を使った。
カウンター席を増やして厨房を広げ、換気口も大きくして風通しを良くする。窓には、きちんとガラスを入れた。
工房の購入費に加え、店の改装にも大金貨五枚ほどかかった。
そして最後に残ったのが、一番の悩みどころだった。
「家だな」
宿屋暮らしにも、そろそろ限界がきていた。
俺とミソラが使っている部屋は、寝泊まりするには十分だ。だが、荷物が増えるにつれて手狭になってきたし、何より台所がない。
ラーメンの仕込みをするにも、毎回宿の中庭を借りなければならない。ミソラと一緒に暮らすようになってからは、食事のことも考える必要がある。
これから工房を動かし、店を切り盛りしていくことを考えても、落ち着いて料理のできる場所が欲しかった。
宿代を払い続けるくらいなら、いっそ自分たちの家を持つのも悪くない。
そんなことを考えていたとき、街の外れに小さな二階建ての家が売りに出ていると聞いた。
庭付きで、台所も広い。部屋は四つあり、敷地内には井戸もある。
「大金貨十五枚。これも、ちょうどいいな」
買った家の前で、俺は立ち止まった。
ショーが目を輝かせた。ユウも、嬉しそうに頷く。
「あ、でも俺たちは、母ちゃんたちと住んでる家があるから」
「僕も、お父さんたちと一緒に暮らしてますしね」
ショーとユウには、それぞれ帰る家がある。店の手伝いをしていても、寝泊まりする場所まで変える必要はない。
「そうか。じゃあ、俺と、ミソラと……」
俺は、隣に立つシオを見た。
シオには、今のところ決まった帰る場所がない。これまで一緒に旅をしてきたし、これからも仲間として行動を共にするつもりだ。
だったら、帰る場所だって一緒にあっていい。
「シオも、ここに住んでほしい」
「……え」
シオの耳が、ぴくりと動いた。
「わ、私が、ですか」
「ああ。部屋は余ってるし、台所も広い。ミソラも、シオがいたほうが安心する」
ミソラにとっても、シオは頼れるお姉ちゃんのような存在だ。俺が店や工房のことで忙しくなっても、シオがそばにいてくれれば心強い。
「で、でも」
シオは、そっと視線を落とした。
「私、住み込みで働いているわけでもないですし、ラメルさんの家に、そんな、迷惑を……」
「迷惑じゃない」
「それに、その、年頃の男女が、同じ家に、というのは……」
「…………あ」
今さら気づいた。
言われてみれば、確かにそうだ。
「い、いや、そういう意味じゃなくて!ミソラもいるし、二階と一階で、部屋は分かれてるし!」
「ラ、ラメルさん、声が大きいです」
「すまない!」
気まずい沈黙。
ミソラだけが、ぽけっとした顔で俺たちを見上げている。
俺は、深く息を吸った。
言葉を選ばなければならない。
「……シオ」
「はい」
「俺は、シオを、守りたいと思ったんだ」
シオの目が、大きく見開かれた。
「男爵の件も、獣人の国への旅も、シオがいてくれたから乗り越えられた。俺一人じゃ、きっとここまでうまくいかなかった」
シオは驚いたように目を見開いた。
「シオは、孤児院を出て、一人で国境を越えて、重曹を売りに来たんだろう?知らない土地で、一人で頑張ってきたんだ」
あのときのシオが、どんな気持ちで国境を越え、商売を始めたのか。俺には、そのすべてを想像することはできない。
「だから……これからは、シオにも帰る場所があってほしいんだ」
言いながら、顔が熱くなってくる。
「ここなら、旅から帰ってきたときも、いつでも戻ってこられる。シオが安心して過ごせる場所にしたいんだ」
「…………」
シオは、しばらく何も言わなかった。
銀色の耳が、ゆっくりと立ち上がる。
そして、小さく、小さく、笑った。
「……ずるいです、ラメルさん」
「ず、ずるい?」
「そうです。たまに急にそういうことを言うんですから」
尻尾が、ぱたり、と一度揺れた。
「……分かりました。お世話に、なります」
「ありがとう」
「ただし!」
「はい」
「お家賃は、きちんと払います。台所の掃除も、当番制です」
「……はい」
どうやら、一緒に暮らすことが決まっても、シオのしっかりしたところは変わらないらしい。
同時刻、神界では。
「同居!?同居ですの!?」
水鏡の前で、女神ファリーナが床の上を転げ回っていた。
「ミソラ、よくやりましたわ!新居の台所から、毎日新作が!毎日!」
ファリーナは、はっと顔を上げた。
「しかも、新しい台所なら、今まで作れなかったお料理にも挑戦できますわよね?ああ、どんなラーメンが生まれるのかしら……!」
想像しただけで頬が緩み、ファリーナはうっとりと両手を頬に添えた。
背後で、侍女がそっと咳払いをした。
「女神様。目的が、少々混ざっておられるような」
「そ、そんなことありませんわ!これは慈愛ですのよ!」
「ええ、もちろんですわ。新しいお料理を楽しみにするのも、見守る者の務めですもの!」
そう言いながら、ファリーナの視線は、いつの間にか水鏡に映る新居の台所へ釘付けになっていた。
引っ越しは、一日で済んだ。
荷物と言っても、着替えと寝袋とミソラの手紙の束くらいだ。
ラーメンの道具は、すべてラーメンボックスの中に入っている。
宿屋から運び出す荷物は少なかったが、これまで暮らしていた場所を離れるとなると不思議な感慨があった。
毎日使っていた部屋とも、仕込みのたびに借りていた中庭とも、今日でお別れだ。
これからは、誰かに場所を借りる必要もない。
好きなときに料理ができて、作ったものをすぐに試せる。ラーメンを作るには、これ以上ない環境だった。
夜、新居の台所に、全員が集まった。
広い竈。大きな作業台。
窓から見える、庭の井戸。
宿屋の部屋では、これほど広い場所にみんなで集まることもなかった。
台所に立って周囲を見渡すだけで、これから始まる暮らしへの期待が膨らんでいく。
「ここが、俺たちの家か」
「はい。素敵です」
「ひろい!」
ミソラが、台所の中をぐるぐる走り回る。
「ミソラ、走り回ると危ないぞ」
「だいじょうぶ!ひろいから!」
ミソラは立ち止まると、今度は大きな作業台を両手でぺたぺたと触った。
「ここで、お料理するの?」
「ああ。これからは、ここでいろいろ作れるぞ」
「ほんと!?たのしみ!」
目を輝かせるミソラを見て、俺も自然と笑みがこぼれた。
俺は、台所の中央に立ち、ゆっくりと息を吐いた。
工房ができた。店も整った。家もある。
大金貨五十枚の使い道は、ほぼ決まった。工房と店、そして家。
どれも、これからラーメンを広めていくために必要な投資だ。
大金貨を手放すときは何度もためらったが、こうして形になってみると、決して無駄な出費ではなかったと思える。麺を作る場所があり、それを食べてもらう店があり、帰ってこられる家もある。ようやく、ラーメンを広めていくための土台が整ったのだ。
なら、やることは一つだ。
「……さて」
頭の中で、ラーメンWalkerを開く。
灰色のページの向こうに、まだ見ぬ一杯が、いくつも眠っている。
塩ラーメン。豚骨ラーメン。
醤油ラーメンを作り、味噌ラーメンを広め、カレーまで生まれた。けれど、俺がこの世界で作りたいラーメンは、まだまだある。
前世で、あと三人というところで食べ損ねた、あの一杯。
あの日、目の前で売り切れたラーメン。結局、最後まで食べることができなかった。あの悔しさは、今でも忘れていない。
この世界なら、いつか自分の手で再現できるかもしれない。いや、再現するだけじゃない。前世では食べられなかった一杯を、この手で完成させてみせる。
「ここから、本格的に作るぞ」
俺は袖をまくり、新居の台所に、最初の火を入れた。
竈に火が灯り、ゆらゆらと炎が揺れる。新しい家で迎える、最初の夜。
ここから、どんなラーメンが生まれるのか。考えるだけで、胸が高鳴った。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
第五十三話は、工房と新居の回でした。
ユウのお父さんの名前が「リウム」と判明しました。
三ヶ月以上、ラメルが名前を知らなかったという事実に、ショーの母ちゃんが容赦なく突っ込みます。
工房に大金貨三十枚、家に十五枚。
さらに店の改装にも五枚ほど使い、レオから受け取った大金貨五十枚は、ほぼ使い切ることになりました。麺の素の管理は、リウムさんだけが調合する形にしました。
そしてシオの同居。「守りたいと思ったから」というラメルの言葉に、シオが折れました。
ラメルはたまに急に破壊力のあることを言います。
次回、第五十四話は、新居の台所でラーメン開発編です。
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