第四十八話 お湯を注ぐだけ
八月二十一日。
俺たちは朝から町の北にある牧場へ向かっていた。
目的は牛乳だ。
みそカレー牛乳ラーメンを作るために、どうしてもまとまった量が必要だった。
町を出て少し歩くと広大な牧草地が見えてきた。
牛たちがのんびりと草を食み、その向こうには木造の牧舎が建っている。
「おや?あんたたちは……」
牧場主が俺たちの顔を見て目を丸くした。
「以前、ズンダ豆を買いに来た子たちじゃないか」
「お久しぶりです。今日は牛乳を売っていただきたくて」
「牛乳かい?そりゃ構わんが……」
牧場主は少し考えるように顎を撫でた。
「牛乳は家族で飲むくらいだからな。売り物として大量に用意しているわけじゃないぞ」
「毎日買いに来ることも考えているんです。できれば、ある程度まとまった量をお願いしたいんですが」
「毎日か。まあ、牛はいるしな。搾った分を分けるくらいなら問題ないだろう」
「ありがとうございます!」
交渉は無事にまとまった。
牧場主が運んできた大きな缶には、搾りたての牛乳がたっぷりと入っていた。
ラーメンWalkerを開くと、さっそく表示が現れる。
『牛乳(★★★)スープ・コク出し向き』
「よし。これならいける」
俺は必要な量を買い取り、ラーメンボックスへ収納した。これでしばらくは試作を続けられるはずだ。
「ラメルさん。牛乳を買ってどうするんですか?」
シオが不思議そうに尋ねた。
「みそカレー牛乳ラーメンを作るんだ。牛乳を加えるとスープがまろやかになるんだよ」
「牛乳をラーメンに……?」
ショーとユウも顔を見合わせた。
「まあ食べてみればわかるさ。それと、もう一つ作りたいものがある」
「もう一つ?」
「バターだ」
俺がそう答えると、ショーが首を傾げた。
「バターって、どうやって作るんですか?」
「牛乳をそのまま振るんだ」
「振る?」
「まずは牛乳をしばらく静かに置いておく。そうすると脂肪分が上のほうに集まってくるんだ。それをすくい取って容器に入れ、ひたすら振る。そうすればバターができる」
「本当にそれだけでいいんですか?」
「簡単に言えばな。時間はかかるけど」
もちろん、牛乳から脂肪分を分離させるには時間が必要だ。
買った牛乳は一度涼しい場所に置いておく。
その後、脂肪分が集まった牛乳を用意できたところで、俺たちはさっそくバター作りに取りかかった。
小さな瓶に脂肪分を集めて蓋を閉める。
「それじゃあ、振ってみよう!」
「はい!」
ショーが瓶を振り始める。
ユウも負けじと腕を動かした。
ミソラは両手で瓶を抱え、一生懸命に振っている。
「ふりふり……!」
「ミソラちゃん。落とさないように気をつけてね」
シオが隣から声をかける。
「うん!」
俺も瓶を振り続けた。
最初は液体がちゃぷちゃぷと音を立てていたが、やがて手応えが変わってくる。
瓶の中で何かが固まり始めたのだ。
「おっ、そろそろか?」
さらに振り続けると、黄色みを帯びた塊ができていた。
「できた……!」
瓶から取り出したのは、紛れもないバターだった。
「これがバターかあ!」
ショーが目を輝かせる。
「ちょっと味見してみようぜ」
ユウが指先に少しだけ取って舐めた。
「うーん、これだけだと脂の塊って感じですね。でも、牛乳とは全然違います!」
俺もひとかけら口に入れた。
口の中に広がる濃厚な風味。懐かしい味に胸が熱くなる。
「……ああ、久しぶりだな」
思わず呟いた声が震えた。
まさか異世界で、手作りのバターを味わう日が来るとは。
「ラメルおにいちゃん。おいしい?」
ミソラが心配そうに顔を覗き込んできた。
「ああ。最高だよ」
俺は笑って答えた。
こうして手作りバターを手に入れた俺たちは、さっそく店へ戻ってラーメンの試作を始めた。
みそダレにカレーの風味を加え、牛乳でスープをまろやかに仕上げる。
最後に手作りバターをひとかけら落とせば完成だ。
「みそカレー牛乳ラーメン、お待ち!」
できたての一杯を食べたダルクは、目を見開いた。
「なんだこりゃ!食欲をそそる辛そうな匂いがするのに辛すぎねえし、スープが濃厚だな!」
「バターがいい仕事をしてるだろ?」
「ああ!これは癖になるな!」
ミソラもスープをすくって飲んだ。
「おいしい……!」
牛乳の優しい甘みとバターのコクが、カレーの風味を包み込んでいる。
よし。これなら店の新メニューとして出せそうだ!
あとは、ユウの誕生日に向けた準備を進めるだけだった。
八月二十二日。
翌日は、揚げ油を手に入れるために油搾りの工房を訪れた。
工房の中では、職人が大きな石臼を回し菜種をすり潰していた。
砕いた種を布に包み、てこの原理を利用した圧搾機で強く押し込む。
すると、下の容器に油が少しずつ流れ落ちてくる。
「これが菜種油ですか」
「そうだ。食用にも使うが、灯りの燃料にすることもあるぞ」
ラーメンWalkerを確認する。
『菜種油(★★★)揚げ油向き』
「よし。これを買わせてください」
俺は揚げ油として使う分をまとめて購入した。
二十缶もあれば、試作には十分だろう。
ふと、工房の隅に置かれた別の種が目に入った。
「ところで、この黒ゴ草の種からも油は搾れますか?」
「搾れなくはないが、これ雑草の種だろ?種をまとまった量だけ用意するのが難しいんだ」
「なるほど……」
黒ゴ草の種から作る油。
もし手に入るなら、担々麺を作るときに使えそうだ。
今すぐ用意するのは難しそうだが、いずれ採取しに行く価値はある。
俺はそう考えながら工房を後にした。
八月二十三日。
ユウの誕生日まで、あと二日。
この日、ユウはショーとユウの弟妹たちを連れて買い物に出かけた。
俺とミソラは店先で一行を見送った。
「いってらっしゃ~い!」
ミソラが小さく手を振る。
「気をつけてな!」
みんなの姿が見えなくなるまで見送ると、俺はミソラと顔を見合わせた。
これで準備は整った。
店の厨房では、ユウの父親が小さな木製の器を作ってくれていた。
手のひらに収まるほどの大きさで、蓋もついている。
持ち運びやすく、湯を注いでも簡単にはこぼれないよう、器と蓋の形にも工夫が施されていた。
「こんなものでいいか?」
「ありがとうございます。これなら十分です!」
俺は完成した器を受け取った。
これに入れるのは、もちろん即席ラーメンだ。
まずは麺を蒸し、醤油と塩を溶かした濃い目のウルフ出汁のスープをしっかりと染み込ませる。
それから小さな円形に整え、菜種油で揚げる。
水分を飛ばして乾燥させれば、湯を注ぐだけで食べられる麺ができるはずだ。
揚げた麺をしっかりと油切りし、器に入れる。
次は具材の準備だ。
シロネギリ草を細かく刻んで乾燥させ、ウルフのひき肉も炒めてから水分を飛ばす。
これで麺と具材の準備は整った。
あとはカレー粉を用意するだけだ。
乾燥させたシロネギリ草とウルフのひき肉を麺の上に散らし、仕上げにカレー粉を振りかける。
最後に蓋を閉めれば完成だ。
さっそく試してみよう。
器に熱湯を注ぎ、蓋をして三分待つ。
そして蓋を開けると、湯を吸った麺が柔らかく戻り、カレーの香りがふわりと立ち上った。
「これが即席ラーメンだ!」
お湯を注ぐだけで食べられる、カレー味のカップラーメン。
ユウは辛いものが好きだ。誕生日の贈り物にはぴったりだろう。
しばらくして、ショーとシオが合流した。
「これなら冒険の途中でも食べられますね!」
ショーが感心したように器を覗き込む。
「ああ。お湯さえ用意できれば、いつでもラーメンが食べられる」
「ユウくん、喜んでくれるかな?」
シオが期待を込めて微笑んだ。
「きっと喜んでくれるさ。だから、みんなも秘密にしておいてくれよ」
「はーい!」
ミソラも元気よく返事をした。
八月二十五日。
ユウの十一歳の誕生日がやってきた。
店の壁には大きな飾りが掲げられている。
『ユウくん 十一歳おめでとう!』
その隣には、もう一枚。
『即席ラーメンの日』
店には仲間たちだけでなく、街の人々や冒険者たちも集まっていた。
「ユウ、誕生日おめでとう!」
最初にプレゼントを渡したのはショーだった。
「これ、俺から!」
差し出したのは、丁寧に編み込まれた革紐だった。盾に取りつける飾り紐として使えるらしい。
「ありがとう、ショー!」
「この前のお返しだよ」
続いてシオが手編みのマフラーを渡した。
「冬になったら使ってね。風邪をひかないように」
「うん!大事にするよ!」
ミソラは両手で小さな石を差し出した。
「ユウお兄ちゃん。これ、あげる……」
「これは?」
「洞窟で見つけた石なの。白くて、きれいだったから……」
石の表面は乳白色で、光にかざすと淡い青色が浮かび上がった。
「ありがとう、ミソラ!大切にするよ!」
ユウが笑うと、ミソラも嬉しそうに頷いた。
そして、ダルクたち冒険者からの贈り物が運ばれてきた。
箱の中に入っていたのは、縁を補強した本物の鉄製の盾だった。
「お前はいつも前に立って仲間を守ってるだろ。今まで使ってた木の盾じゃ、強い攻撃を受けたときに危ねえ。こいつを使いな」
「これ……俺に?」
「もちろんだ。十一歳の誕生日おめでとう!」
ユウは盾を抱きしめた。
「ありがとうございます……!」
目に涙が浮かぶ。
その様子を見て、ユウの父親も静かに小さな贈り物を差し出した。
木で作られた盾の形をしたお守りだった。
ユウはそれも大事そうに握りしめる。
最後に、俺の番だ。
「ユウ。俺からのプレゼントはこれだ」
差し出したのは、蓋つきの木製カップだった。
「これは?」
「即席ラーメンだよ」
「即席……ラーメン?」
「そう。蓋を開けて熱湯を注いだら、また蓋を閉めて三分待つ。それだけで食べられる」
「お湯を注ぐだけで……?」
ユウは信じられないという顔でカップを見つめた。
周囲の冒険者たちもざわめき始める。
「おいおい、そんなことができるのか?」
「本当なら、遠征の食事が変わるぞ……!」
「携帯できるラーメンなんて聞いたこともねえ!」
俺はユウに熱湯を注いでもらい、蓋を閉めた。
「三分だ。焦らず待つんだぞ」
「うん!」
ユウはじっとカップを見つめていた。
一分。二分。そして三分。
「よし、もういいぞ」
蓋を開けると、カレーの香りがふわりと立ち上った。
「うわあ……!」
ユウは箸を手に取り、麺をすすった。
「おいしい!すごくおいしいよ、ラメルさん!」
「気に入ってくれたならよかった」
その瞬間、ユウの体が淡い橙色の光に包まれた。
俺の目の前に、見慣れた表示が浮かび上がる。
『食事効果:ユウ 全能力アップ』
「……やっぱりか」
俺は表示を見つめた。
ユウは今回の旅で素材集めに協力し、バター作りにも一緒に取り組んでくれた。
ラーメンを食べるだけでなく、その完成まで関わったことが何かしらの条件を満たしたのかもしれない。
少なくとも、ただの客として食べたときとは違う効果が現れている。
「ラメル?」
「いや、なんでもない。誕生日おめでとう、ユウ」
「ありがとう! 本当にありがとう!」
ユウは笑顔で何度も頷いた。
その笑顔を見ていると、俺まで嬉しくなってくる。
即席ラーメンを作ってよかった。
そう思った、そのときだった。
「ラメルお兄ちゃん……」
ミソラが俺の服の袖をちょんちょんと引っ張った。
「ん? どうした?」
「カレーって……らーめん以外でもおいしいの?」
上目遣いで尋ねるミソラ。その声には、隠しきれない期待がにじんでいた。
「そりゃあ、もちろんおいしいぞ。カレーライスっていうんだ」
「カレーライス……」
ミソラがその言葉を口の中で転がす。
「……食べてみたい!!」
小さな手が俺の袖をきゅっと握った。
うっ……これは、まさか……カレーライスを作ってほしいということか?
もちろん、スパイスはある、カレーライスだって作れる。
作れるけど……!
そもそも、この世界ではまだ食べられる米を見つけていない。
以前手に入れたカビ米は醤油作りに使ってしまった。
普通に炊いて食べられる米があるのかどうかすら、まだわからないのだ。
カレーライスを作るにしても、まずは米探しから始めなければならない。
「……カレーライス、おいしそう……」
ミソラがぽつりと呟いた。
その声が、妙に胸に刺さる。
カレーライスか……。
ラーメン一筋でいきたいところだが、ミソラのこんな顔を見せられては弱い。
……でも、ミソラのために一度くらいなら。
「……考えておくよ」
結局、俺はギリギリのところでそう答えた。
「ほんと!?」
ミソラの顔がぱっと明るくなる。
その笑顔を見た瞬間、俺は早くも自分の決意が揺らぎ始めていることを悟った。
周囲から、誰かがごくりと喉を鳴らす音が聞こえた気がした。
こうしてユウの誕生日は、笑顔とラーメンに包まれて過ぎていった。
夏の夜は、明るく賑やかに更けていった。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
今回は牛乳とバターを手に入れ、みそカレー牛乳ラーメンを完成させました!
そして迎えたユウの十一歳の誕生日。
仲間たちからのプレゼントに加え、ラメルが用意したのは、お湯を注ぐだけで食べられる即席ラーメン!
異世界にもついに即席ラーメンが誕生しました!
……と思ったら、ミソラから新たなリクエストが?
次回もよろしくお願いします!




