第四十五話 辛さと香りの夜
翌朝。
台所には香辛料の匂いが充満していた。
昨日収穫したウッコの根は薄切りにして乾燥させておいた。
クミーの種とコリアの実は火で軽く炒って香りを引き出す。
カルダの鞘は割って種を取り出しシナの木皮は細かく砕く。
下ごしらえを終えた香辛料を石臼に入れて挽いていく。
ごりごり。ごりごり。
部屋中に不思議な香りが広がっていった。
「くしゅん!」
「へっくしょん!」
「はなむずむずする!」
子どもたちが次々とくしゃみをした。
「悪い悪い。もう少しだけ我慢してくれ」
俺は笑いながらカラチの実とコショの実も加えた。
さらに石臼を回して全体を細かな粉にしていく。
やがて鮮やかな黄色がかった茶色の粉が山になった。
「……これだ」
指先で少しすくい香りを確かめる。
間違いない。
カレー粉だ。
前世で何度も嗅いだあの香り。
専門店の調合品には遠く及ばないだろう。
それでもカレーらしい香りは十分に感じられた。
「ラメルさん。また泣いてますよ」
「泣いてない」
「泣いてます」
シオがくすくすと笑った。
「これは感動の涙だ。分かるか?」
「よく分かりません」
「分からなくていい!」
俺は完成したカレー粉を大切に小瓶へ移した。
この世界でカレーが作れるかもしれない。
そう考えただけで胸が躍る。だが今はまずラーメンだ。
手に入れた香辛料をどう活かすか。それが俺の本分である。
その時だった。
視界が光った。
雑誌だ。
『ラーメンWalker 辛味』
ページを開く。
昨日までは断片しか読めなかった辛味のページ。
香辛料が揃ったおかげか文字がくっきりと浮かび上がっていた。
ラー油の作り方。
担々麺のスープ。
そして最後に。
『付録 カレー粉の調合』
「付録まであるのか」
思わず笑みがこぼれた。
さっき作ったカレー粉と見比べながら調合の説明を読む。
どうやら配合を工夫すればもっと香りに深みを出せるらしい。これは今後の課題だな。
最後の行まで一気に読み終えた。
ふわり。
全身が橙色に光った。
『ラーメンWalker 辛味 読了』
『全能力アップ』
『新しいページが解放されました』
「来た来た来た!」
ページがめくられる。
新しい見出しが現れた。
『みそカレー牛乳ラーメン』
「…………」
息が止まった。
味噌とカレーと牛乳。
三つの要素が合わさる奇跡の一杯。
青森で生まれたご当地ラーメン。みそカレー牛乳ラーメンだ。
前世で青森を旅したときに一度だけ食べたことがある。
最初は味噌にカレーに牛乳なんて本当に合うのかと疑った。
けれど一口すすった瞬間にその考えは吹き飛んだ。
味噌のコクにカレーのスパイシーな香り。
そこへ牛乳のまろやかさが加わり三つの味が見事に調和する。
意外な組み合わせなのに一度食べると忘れられない。青森が誇る個性的な一杯だった。
「牛乳か」
作り方を読む。
味噌ダレにカレー粉。そしてスープに牛乳を合わせてバターを加える。
「バターはないけどなんとかなる。問題は牛乳だ」
「牛乳ですか?でもこの村には牛はいませんよね……」
ユウが首をかしげた。
「そうなんだよな。牛乳の代わりになるものがあればいいんだが……」
「あっ!ヤギの乳ならどうですか?」
ショーがぽんと手を打った。
「そういえば、孤児院でヤギを飼ってましたね!」
ユウも思い出したように声を上げる。
「ヤギの乳か……」
俺は台所の窓から孤児院の裏手を眺めた。
小屋の中から小さな鳴き声が聞こえてくる。
「めえええ」
「……よし。試してみる価値はあるな」
俺はさっそくミネさんのもとへ向かった。
「ミネさん。ヤギの乳を少し分けてもらえませんか?」
「いいわよ。でも何に使うの?」
「ラーメンのスープに入れてみようと思ってます」
「まあ!乳をラーメンに?」
ミネさんは目を丸くした。
「牛乳を使うラーメンがあるんです。ヤギの乳でもうまくいくか試してみたいんですよ**」
「ふふっ。ラメルさんは本当に食べ物のことになると面白いことを考えるわね」
ミネは楽しそうに笑った。
「いいわ。好きなだけ使ってちょうだい」
「ありがとうございます!」
これで材料は揃った。
異世界で作るみそカレー牛乳ラーメン。
いや、みそカレーヤギ乳ラーメン。
いったいどんな味になるのか。考えるだけで胸が躍った。
新しいラーメンの可能性を見つけたら試さずにはいられない。
それがラーメンWalkerの持ち主というものだ。
夕方。
俺はみそカレー牛乳ラーメンの作り方を頭の中で組み立てる。
味噌ダレにカレー粉を合わせてヤギ乳を加える。そこにウルフ骨のスープを合わせれば……。
想像するだけでうまそうだ。早く試してみたいが今は我慢だ。
夕食の支度を先に済ませなければならない。
「ラメルさーん!おなかすいたー!」
ショーの声が台所に響いた。
「分かった分かった。今から作るよ」
俺は頭の中のみそカレー牛乳ラーメンをいったん脇に置き夕食の準備に取りかかった。
今日の主役は担々麺だ。
黒ゴ草の種を炒って擂り潰しペースト状にする。
そこに味噌とウルフ肉のそぼろを合わせる。
カラチの実を植物油で熱して赤いラー油を作った。
本当はゴマ油で作りたいが今は我慢だ。
ウルフ骨のスープにゴマダレを溶かしラー油を垂らす。
ふわあっと香ばしい湯気が立ちのぼった。
「いいにおい……でもなんか赤い」
「からいの?」
「子どもたちのはラー油抜きだ。安心しろ」
ちびっこ用のどんぶりにはラー油を入れないゴマ味噌ラーメン。
大人用には赤いラー油を浮かべた担々麺。
「いただきます!」
「「「いただきまーす!」」」
食卓を囲んだ全員が一斉に麺をすすり始めた。
「おいしい!」
「かわったあじ!」
「こくがある!」
子どもたちは大喜びだ。
一方で大人用の担々麺をすすったショーは。
「ぐっ!」
目を見開いて固まった。
「か、からああああ!」
慌てて水をがぶ飲みする。
「でもうまい!うまいけどからい!」
「ショー、顔が真っ赤です」
ユウがくすくす笑いながら涼しい顔ですすっている。
「ユウは平気なのか?」
「はい。僕は辛いの好きです」
「意外だ」
シオも汗をかきながら嬉しそうにすすっていた。
「からい……でもおいしい……鼻にくる……」
「ミネさんは?」
ミネは平然と担々麺をすすっていた。
「あらおいしい。ピリッとして体が温まるわね」
「平気なんですか?」
「若い頃は山のきつい香草をそのまま噛んでたもの」
「それはまた豪快ですね……」
さすがミネさんだ。
いつの間にか台所の外に人が集まっていた。
村の男衆や女性たちが戸口から顔を覗かせている。
「なんだこの匂いは」
「うまそうだな」
「ラメルさん。また作ってるのか」
「よかったらみなさんもどうぞ!」
俺が声をかけると歓声が上がった。
「やったあ!」
あっという間に台所も庭も人でいっぱいになった。
大鍋が何度も空になる。
笑い声と湯気。そして辛さに悶える悲鳴。
きょうの夜の孤児院はお祭りのようだった。
そんな喧騒の中でミソラだけが静かだった。
小さな両手でどんぶりを持ち少しずつ担々麺をすすっている。
「ミソラ。辛くないか?ラー油が入ってるぞ」
「うん」
ミソラはもぐもぐと味わっていた。
そして。
「……これは」
小さな声で呟いた。
「黒ゴ草の香りと辛さ……コクのあるスープ。この組み合わせは……」
はっとして口を押さえる。
「ミソラ?」
「な、なんでもない!おいしい!」
慌てたように笑ってまた麺をすすり始めた。
……今のは。
また一瞬だけ大人びた喋り方に聞こえた。
けれど気にしてはいけない気がした。
ふとミネと目が合った。
ミネは何も言わずそっと微笑んで目を細めた。
まるで何かを知っているような表情だった。
だが俺が尋ねる前にミネは視線をどんぶりへ戻してしまった。
夜も更けて後片付けが終わった頃。
俺は台所の隅で小鍋にヤギの乳を温めていた。
味噌ダレにカレー粉を溶かし牛乳の代わりにヤギの乳を合わせる。
「試作だ」
ウルフの骨のスープを少量加える。
味噌ダレとカレー粉。そしてヤギの乳。
とろりとした淡い黄色のスープができあがった。
麺を茹でてどんぶりに入れる。
恐る恐る一口すすった。
……!
味噌のコク。カレーの香り。ヤギ乳のまろやかさ。
すべてが合わさって。
「…………うまい」
思わず声が出た。
想像を超える味だった。
辛いのにまろやか。
濃厚なのに優しい。
三つの要素が互いを引き立てている。
牛乳とは風味が違うはずだがヤギ乳の独特のコクがカレーと味噌によく合っている。
これはこれで十分にうまい。
「ラメル?」
戸口からミソラが顔を覗かせていた。
「いいにおい……」
寝ぼけ眼で鼻をひくひくさせている。
「食べるか?」
「うん」
小さなどんぶりにほんの少し取り分けて渡す。
ミソラはふうふうと冷ましてひとくちすすった。
ぴたり。
「…………」
しばらく動かない。
「ミソラ?」
「…………」
次の瞬間。
ミソラの目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
「え!?」
「ど、どうした!?」
「ち、ちがう」
ミソラは慌てて袖で目を拭った。
「おいしすぎて」
「おいしすぎて?」
「うん。こんなの。こんなの反則ですわ……」
声が震えている。
その声色はなぜか子どもらしくなかった。
「反則……ですわ……?」
「ううん。なんでもない。おいしい!!」
にっこり笑ってもうひとくちすする。
けれどその目はどこか遠くを見ているようだった。
……この子は一体。
まだ何も分からない。
けれど大切にしなければならない存在だという予感だけは確かにあった。
窓の外では山の月が静かに輝いていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
今回はついに香辛料が揃い、ラメルがみそカレーヤギ乳ラーメンを開発!
そして夕飯は担々麺!
香ばしいゴマの風味にピリッとした辛さ。
子どもたちも村の人たちも大喜びで孤児院はお祭り騒ぎになりました。
牛乳の代わりにヤギ乳を使った試作品は想像以上のおいしさだったようです。
……カレーも作りたいと言っていたラメルですが、やっぱり最後はラーメンになりました。
そう。ラメルですから!
そして今回もミソラに不思議な反応が。
担々麺を食べたときの大人びた言葉。そしてみそカレーヤギ乳ラーメンのスープを口にしたときの涙。
いったい何を感じたのでしょうか?
ラーメンの香りとともに少しずつ明らかになっていくミソラの秘密にもご注目ください!
次回もお楽しみに!
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