第四十一話 山の村
翌朝。
日が昇る前の薄闇の中で出発の準備を整えた。
月影亭の前ではおかみさんが腕を組んで待っていた。
「本当に連れて行くのかい?」
「はい。孤児院で面倒を見てもらえるように頼むつもりです」
「そうかい」
おかみさんはミソラの前にしゃがみ込み古い外套を肩にかけてやった。
「日除けだよ。昼間は頭からかぶるんだ」
「ありがと!」
その言葉におかみさんは少し驚いたような顔をした。
「あんた……ありがとうなんて初めて聞いたよ。今までは何をあげても首を横に振るだけだったのに」
ミソラはきょとんと首をかしげた。
「ラメルのみそらーめん。おいしかったから!」
「そうかい。そうかい」
おかみさんは目頭を押さえながら笑った。
「元気でね。ちゃんとご飯を食べるんだよ」
「うん!」
ミソラは小さく手を振った。
街の門を出る頃には朝日が地平線から顔を出していた。
砂の海がゆっくりと金色に染まっていく。
「きれい……」
ミソラが息を呑んだ。
「毎日見られるぞ」
「まいにち?」
「ああ。生きてればな」
ショーがミソラの手を握った。
「ミソラちゃん。はぐれたらだめだからな」
「うん!」
今度はユウが自分の水筒を差し出した。
「ちゃんと飲んでね。暑いから」
「ありがと!ユウにいちゃん!」
ミソラは両手で水筒を受け取り素直に口をつけた。
「……おいしい!」
小さな声がこぼれる。
その様子を見守りながら歩いていると俺はふと違和感を覚えた。
ミソラは暑さをまったく気にしていない。
砂漠の日差しは昼間になれば大人でも音を上げるほどだ。
けれどこの少女は汗ひとつかかず涼しい顔で歩いていた。
「ミソラ。暑くないのか?」
「うん!きもちいい!」
「そうか」
不思議には思ったが俺自身も初めて訪れた砂漠だ。体質の違いもあるのかもしれない。
それ以上は深く考えなかった。
その日は昼間を岩陰で過ごし、夕方から再び歩き始めた。
ラーメンボックスから水筒や干し肉を取り出してみんなに分けていると。
「あ!」
ミソラが目を丸くして俺の手元を見つめていた。
「いまなにもないとこからでてきた!」
「ああ。これが俺の力だ」
「すご~い!」
「ラメルさんのスキルなんだぞ。ラーメンボックスっていって」
ショーが自慢げに説明する。
「ああ、ラーメンの材料なら何でも入るんだ」
「らーめんのもの?」
「そう。だから料理の材料も全部入る」
「じゃあ、またみそらーめんたべれるの?」
ミソラの瞳がぱっと輝いた。
「もちろん!」
「やったあ!」
ミソラはぴょんぴょんと飛び跳ねた。
その様子を見てシオが小さく微笑んでいた。
「ミソラちゃんは本当にラーメンが好きですね」
「だって!」
ミソラは満面の笑みで答えた。
「ラメルのらーめんは世界でいちばんおいしい!」
「あはは。ありがとう」
そこまで言われて嬉しくないはずがない。
俺は照れくささを誤魔化すように笑った。
この世界でラーメンを広める。その目標が少しだけ身近になった気がした。
二晩歩き続け三日目の朝。
周囲の景色が変わり始めた。
赤茶けた荒野が少しずつ緑を帯びていく。
低い灌木が増え地面には小さな草が顔を出していた。
そして遠くには青い山脈がそびえている。
「ここから山に入ります」
シオが前方を指さした。
「バナチャスの北にある山です。村はあの山の中腹にあります」
「山か」
空気がひんやりとしてきた。
乾いた熱風に代わって湿った土と草の匂いが漂い始める。
岩だらけの山道を登っていくと道の脇を細い川が流れていた。
透き通った水が岩の間をさらさらと下っている。
「みず!」
ミソラが川のそばにしゃがみ込んだ。
両手で水をすくって一口飲む。
「……つめたーい!おいしい!」
ミソラは微笑んで空を見上げた。
「ここ好き!」
「そうか」
「うん。風がやさしい」
その言葉がなぜか耳に残った。
「シオ姉さん」
ショーが後ろから声をかけた。
「村ってどんなところなの?」
「小さな村です。山の斜面に家が数十軒あるだけで」
シオは懐かしそうに目を細めた。
「畑はあまり作れなくて貧しいんですけど。でも、みんな優しくて」
「孤児院は?」
「村の一番上にあります。子どもたちが十人以上いて毎日大騒ぎですよ」
シオは笑いをこらえるように口元を押さえた。
「ミネおばあちゃんが毎日怒って毎日笑ってます」
「いいところなんだな」
「はい」
シオは胸の前で手を握りしめた。
「早く会いたいです」
その声には長い間胸にしまっていた想いが滲んでいた。
そして夕方。
山道の角を曲がった瞬間視界が開けた。
山の斜面にしがみつくように石積みの家々が連なっている。
煙突からは夕食の煙がゆらゆらと立ちのぼっていた。
一番上の高台には少し大きな石造りの建物が見える。
そして、その向こう。
山肌にできた岩の裂け目から白い光がうっすらと漏れていた。
「あれが洞窟です」
シオが囁いた。
「白い結晶の洞窟。重曹が採れる場所です」
「きれいだな」
夕陽を受けた白い光がきらきらと瞬いている。
その光景に見入っていると隣のシオがぴたりと足を止めた。
「…………」
シオは村を見つめたまま動かなかった。
その肩が小さく震えている。
「シオ」
「だ、大丈夫です」
シオは鼻をすすり笑顔を作った。
「行きましょう!」
坂道を上り村に入る。
最初に俺たちに気づいたのは井戸端にいた獣人の女性だった。
「あら……あの子」
女性の手から桶が滑り落ちた。
「シオちゃん!?」
「シオちゃんだ!」
「シオちゃんが帰ってきたよ~!」
あっという間に村中が騒ぎになった。
家々から獣人たちが飛び出してくる。
老人も子どもも大人も入り交じり坂道を駆け寄ってきた。
「シオちゃん!」
「よく帰った!」
「痩せたんじゃないかい!」
「大丈夫です、みんな!ただいま!」
シオは涙目で笑いながら手を振った。
その時だった。
高台の方向から地響きのような足音が聞こえてきた。
「おねえちゃーーーん!」
「シオねえちゃんだああああ!」
「かえってきたああああ!」
小さな影が坂道を駆け下りてくる。
一人、二人、三人。
十人以上はいるだろう。
男の子も女の子も大きい子も小さい子も。耳も尻尾もばらばらのちびっこたちが一斉に突進してきた。
「わああっ!?」
シオは一瞬で揉みくちゃにされた。
「おねえちゃんおかえり!」
「おなかすいてない!?」
「みてみて!ぼくね、歯がぬけた!」
「わたしね、字が書けるようになったの!」
「おみやげは!?」
「ちょ、ちょっと待って!順番に!」
シオが子どもの山に埋もれて悲鳴を上げている。
けれどその顔は涙と笑顔でぐしゃぐしゃだった。
「すげえ元気だな」
ショーが呆然と眺めた。
「まるで嵐ですね」
ユウが苦笑いする。
ミソラは目を丸くして俺の後ろに隠れていた。
「みんなげんきだね……」
「ああ。ここがシオの家だ」
血の繋がりがなくてもシオにとっては家族そのものなのだろう。
そんなことを考えていると騒ぎの向こうから静かな足音が近づいてきた。
「あらあら。そんなに騒いでシオが潰れちゃうでしょう」
ふわりとした優しい声だった。
小柄なおばあさんがゆっくりと歩いてくる。
白髪を丸くまとめ灰色の毛並みをした耳が少し垂れていた。
腰は少し曲がっているけれど顔つきはとても穏やかだった。
「ミネ……おばあちゃん」
シオの声が震えた。
「よう帰ってきたねえ」
ミネは両手を広げた。
シオは子どもたちの間をすり抜けるとおばあさんの胸に飛び込んだ。
「ただいま……ただいま、おばあちゃん……!」
「はいはい。おかえり。よく頑張ったねえ」
ミネはシオの背中を優しくなでた。
シオもまたミネの背中に両腕を回し子どものように泣いていた。
しばらく誰も何も言わなかった。
やがてミネは顔を上げて俺を見た。
「あなたがラメルさんね」
「はい。初めまして」
「シオがお世話になりました。手紙にたくさん書いてあったのよ。優しい人だって」
おばあさんはふわりと笑った。
「本当にありがとう」
深く頭を下げる。
「こちらこそ。シオには助けてもらってばかりです」
俺も慌てて頭を下げた。
その時、ミネの視線が俺の後ろに向いた。
「あらまあ」
ミソラを見たミネの手がぴたりと止まった。
「…………」
ほんの一瞬だった。
けれど確かにおばあさんの目が大きく見開かれた。
まるで見覚えのある何かを見つけたかのような反応だった。
すぐにいつもの優しい笑顔に戻る。
「まあまあ、可愛らしいお客さんだこと」
「あの」
シオが慌てて説明した。
「おばあちゃん、この子ミソラっていって。砂漠の街で出会ったんです。身寄りがなくて」
「そう。ミソラちゃん」
ミネは膝を折ってミソラに目線を合わせた。
「ようこそ。長旅で疲れたでしょう」
「……うん」
ミソラは小さく頷いた。
ミネはミソラの青い瞳をじっと見つめ静かに微笑んだ。
「いい子ね。今夜はゆっくり休みなさい」
その声には不思議な優しさが滲んでいた。
俺は首をかしげた。
今の一瞬は何だったんだろう。
ミネは何かを知っているのか。
それとも俺の気のせいか。
けれど考える間もなく子どもたちがどっと押し寄せてきた。
「このお兄ちゃんだれ!」
「にんげんさんだ!」
「ねえねえ!遊ぼう!」
「ちょっと待て!順番に!」
もみくちゃにされながら俺は笑っていた。
シオの故郷での賑やかな里帰りがこうして始まった。
お読みいただきありがとうございます!!
今回はシオの故郷である山の村に到着しました!
久しぶりの帰郷に大喜びする村人たちと孤児院の子どもたち。
そして、ようやく再会できたミネおばあちゃん。
シオにとって、この村がどれほど大切な場所なのかが伝わっていたら嬉しいです。
一方で、ミネおばあちゃんがミソラを見たときに見せた一瞬の反応。
果たして彼女は何に気づいたのでしょうか……?
次回もよろしくお願いします!




