第四十話 ミソラ
夜明けと同時に砂漠の街の門をくぐった。
日干しレンガの低い建物が砂色の路地を囲んでいる。
朝の市場にはもう獣人たちが集まり始めていた。
「ようこそ砂漠の街へ」
門番のキツネの獣人がのんびりとした声で言った。
「旅の人かね。宿はあっちの通りに並んどるよ」
「ありがとうございます」
シオが先に立って歩き出す。
「この街は昔からこの国の交易の中継点なんです。国の北と南をつなぐ大事な場所で」
「へえ」
ショーが物珍しそうに周りを見回している。
屋台に並ぶ見たことのない果物。
ひげの長いヤギの獣人。
大きな荷を背負ったラクダの商人。
「砂漠なのに賑やかですね」
「水があるからです。街の真ん中に大きな泉があって」
ユウが指さす先に青い水面が朝日にきらめいていた。
泉へ向かう途中で俺たちは市場に立ち寄った。
通りの両側には露店が並び乾燥させた果物や酒、見慣れない野菜が所狭しと積まれている。
砂漠の街らしく保存の利く食材が多い。
俺はこれからの旅に使えそうなものを探しながら必要な食材を買い込んだ。
見慣れない食材を見つけるたびにラーメンに使えないかと考えてしまうのは料理人の性だろう。
買い物を終えた俺たちは泉の周辺で宿を探した。
水場に近いだけあって人通りも多く活気がある。
俺たちは泉の近くの宿を選んだ。
『月影亭』
猫の獣人のおかみさんが切り盛りする小さな宿だ。
「四人部屋ならあるよ。一泊銀貨四枚ね」
「お願いします。それと厨房を少し借りられませんか?料理がしたくて」
そう頼んだ瞬間、以前の記憶がよみがえった。
宿屋の厨房を借りて獣臭いスープを煮込みおかみさんに怒鳴り込まれたあの夜。あのときと同じことになったら面倒だ。
「あ、匂いが強くなるかもしれないので外の中庭でも構いません」
「そうだねぇ。厨房は狭いし中庭なら好きに使いなさいな」
おかみさんはあっさりと了承してくれた
「まぁ、うちの客は匂いなんか気にしないよ。砂漠じゃ風が全部持っていってくれるからね」
「ありがとうございます!」
助かった。
今回は最初から外で調理できる。
これなら獣臭いスープを煮込んでも宿の中に匂いがこもる心配はなさそうだ。
昼間は暑すぎて動けない。四人とも寝台に倒れ込んで夕方まで眠った。
日が傾いて涼しくなった頃。
俺は中庭にラーメンボックスから樽を取り出した。
味噌の樽だ。
蓋を開けた瞬間。
ふわり。
豊かな香りが広がった。
濃い茶色のどっしりとした塊。
ズンダ豆と麹と塩だけでできているのにまるで別物の香りだ。
「これが……味噌」
指先でほんの少しすくって舐めた。
塩気。
甘み。
発酵の深いコク。
目の奥が熱くなった。
「…………うまい」
「ラメルさんまた泣いてる」
シオが覗き込んでくすくす笑った。
「泣いてない!」
「泣いてますって」
……泣いてもいいだろ。味噌なんだぞ?
気を取り直して雑誌のページを思い浮かべる。
味噌ダレの作り方。
味噌に酒とすりゴマと香味野菜を合わせて香りを引き出す。
市場で買ってきたヤシのような実でできた酒。
道中で摘んだ黒ゴ草の種。
ニンニの根とシロネギリ草を細かく刻む。
小鍋に酒を煮立てて味噌を溶かし入れる。
擦った黒ゴ草の種と香味野菜を加えてゆっくりと混ぜた。
とろり。
艶のある茶色いタレが出来上がった。
香りを嗅いだショーが目を丸くする。
「なんですかこの匂い!お腹が鳴ります!」
「だろ」
俺は笑った。
明日はこのタレでラーメンを作る。
使う出汁はタスクボアの骨だ。
前に海へ行ったとき道中で仕留めたタスクボアはラーメン適性が★四つ。
骨から取ったスープは独特の獣臭さこそあるものの濃厚な旨味を持っていた。
ラーメンボックスの便利なところは食材を無期限で保存できることだ。
ボックスの中では時間が止まっているため収納した食材は腐ることも傷むこともない。
前回の旅で手に入れた食材だって収納したときの新鮮な状態のまま取り出せる。
ただし、発酵や熟成を指定したものは別だ。
そちらは設定された歩数に応じて変化していく。
食材の消費期限を気にせず旅先で手に入れたものを持ち帰れる。
これもラーメンボックスの大きな強みだった。
さて、あのスープに味噌を合わせればどうなるのか。
味噌のコクとタスクボアの力強い旨味が合わさればきっと最高の一杯になるはずだ。
さらに野菜をたっぷりと炒めてのせたい。
もやしがあればもっといい。
想像するだけで涎が出そうだった。
寒い日の味噌ラーメンも最高だが砂漠の夜に食べるのもきっと格別だ。
その日の夜は期待であまり眠れなかった。
翌朝。
出発の準備を始める前に昨夜作った味噌ダレの仕上げをしようと中庭に出た。
土鍋で味噌ダレをことこと温め直す。
朝の光の中で味噌の香りがふわりと立ちのぼる。
その時、中庭の塀の上で何かがひょこりと動いた。
小さな頭。
くすんだ茶色の髪の少女が塀の向こうからこちらを覗いていた。
鼻がひくひくと動いている。
「…………いいにおい」
小さな呟きが聞こえた。
目が合った瞬間少女はぱっと頭を引っ込めた。
「あ、待って」
俺は慌てて塀の外に回った。
路地の隅にしゃがみ込んでいたのは七~八歳くらいの少女だった。
継ぎはぎだらけの服。
擦り切れた靴。
汚れた頬。
ただ目だけがやけに澄んでいる。
青空を溶かしたような不思議な色の瞳。
そして。
獣の耳も尻尾もなかった。
「人間……?」
後ろからついてきたショーが目を丸くした。
「獣人の国なのに」
俺はしゃがんで目線を合わせた。
「驚かせてごめんな。お腹減ってるか?」
「…………わからない」
「分からない?」
「おなかすくって。よくわからない」
少女はぽつりと答えた。
不思議な子だ。
「名前は?」
「ない」
「ない?」
「だれも呼ばないから」
「親は?」
「いない」
その時、宿のおかみさんが顔を出した。
「ああ。その子かい」
おかみさんは眉を下げた。
「この子はね、いつの間にかこの街にいる子でね。みんな気にかけてるんだけど何をあげても『いらない』って言うんだよ。でも不思議と痩せないし倒れもしないのさ」
「いつの間にか?」
「気づいたらいたね。誰も親を知らないし名前も知らないんだよ」
少女はじっと俺たちの顔を順番に見つめた。
それから鼻をひくひくと動かして小さく首をかしげた。
「ねえ」
「ん?」
「さっきのにおい。なぁに?」
俺は笑った。
「これか?」
土鍋を持ってきて蓋を取る。
「味噌だ」
「みそ!」
少女はその言葉を確かめるようにゆっくりと繰り返した。
「みそ……?」
「そう。今日はこれでラーメンっていう料理を作る。食べてみるか?」
「らーめん……?」
「ああ。美味しいぞ」
「……たべたい!!」
はじめて子どもらしい声が出た。
「じゃあ決まりだ!」
俺は少女の頭にそっと手を置いた。
「その前に、きみの名前を決めないとな。呼べないと不便だ」
「なまえ?」
少女はきょとんとしている。
「ないと困るからな」
「こまる?」
「ああ。俺たちが呼びたいんだ」
少し考える。
味噌の香り。さっき見上げた朝の砂漠の空。
昨夜の星。味噌ラーメン……。
「……ミソラ」
口から自然に言葉が出た。
「味噌と空でミソラ。どうだ」
「ミソラ!!」
少女が元気よく繰り返した。
その瞬間。
ふっと風が止んだ。
路地の空気が一瞬だけ澄み切ったような気がした。
少女の青い瞳が一瞬きらりと光る。
「ミソラ……わたしの、なまえ!!」
少女の顔がぱあっと輝いた。
「うれしい!!」
「気に入ったか?」
「うん!」
ミソラは飛び跳ねるように立ち上がった。
ショーがぽかんと口を開けている。
「なんか今、変な感じしませんでした?」
「風が止まりましたよね」
ユウも首をかしげた。
シオだけが黙って少女を見つめていた。
鼻をくんくんと動かしている。
「どうしかしたか?シオ?」
「いえ……何でもないです」
不思議そうな顔のまま首を振った。
「ただ不思議な匂いがしたんです。優しくて懐かしいような……」
まあいいか。
その日はそのまま出発を取りやめることにした。
ミソラを一人にしておくのは気が引けたし、なにより味噌ラーメンを食べさせると約束したからだ。
夕方になって砂漠の暑さがやわらぐと中庭に簡単な竈を組んだ。
まずはラーメンボックスからタスクボアの骨を取り出す。
大鍋に骨と水を入れて火にかける。
しっかりと茹でこぼし骨についた血や汚れを洗い流してから新しい水でじっくりと煮込んだ。
鍋から立ち上るのはあの時と同じ独特の獣の香り。
けれど今夜はそこに味噌の力強い風味が加わる。
たっぷりの野菜を強火で炒めて香ばしい焦げ目をつける。
炒めた野菜に味噌ダレとスープを入れてひと煮立ち。
麺を茹でてどんぶりに入れ味噌と野菜の旨味が溶け込んだスープを注ぐ。
そしてメンマをちょこんと添えて最後に味付きのタスクボア肉をのせた。
湯気とともに味噌の香りが夜の中庭に広がった。
星が一つずつ瞬き始める。
「できたぞ」
四人分と少女の分。
ミソラは小さな両手でどんぶりを抱えるように持った。
「「「「「いただきます!」」」」」
「ふーふーして食べるんだぞ!」
「うん!!」
ミソラはふーふーと息を吹きかけた。
そしてひとくち麺をすすった。
ぴたり。
動きが止まった。
「…………」
「ミソラ?」
次の瞬間少女の目がこぼれ落ちそうなほど大きく見開かれた。
「……おいし~!!!」
そして。
「おいしいおいしいおいしい!!!」
夢中でずるずると麺をすすり始める。
ちっちゃなほっぺたが膨らんだりへこんだり。
「あはは。慌てるな慌てるな」
「ミソラちゃん落ち着いて!」
シオが笑いながら水を差し出した。
ミソラの体がふわりと橙色に光った。
その光はなぜか他の誰よりも長く残っていた。
食べ終わった少女は空を見上げた。
星が降るような砂漠の夜空。
「…………これが」
ぽつりと言葉が漏れた。
「……味噌ラーメン」
その声は不思議とどこか遠く大人びていた。
はっとしてミソラはこちらを向いた。
「おいしかった!!もっとたべたい!!」
「おかわりな」
「うん!!!」
俺は笑ってどんぶりを受け取った。
……今の一瞬の違和感は何だったんだろう。
けれど、目の前で幸せそうにラーメンを頬張る少女を見ていたらそんなことはどうでもよくなった。
味噌ラーメンは大成功だった。
夜遅くミソラは中庭の長椅子で毛布にくるまって眠った。
その寝顔を見ながらシオが小声で言った。
「ラメルさん。この子」
「ああ」
「孤児院へ連れて行ってあげませんか?」
「ああ、俺も同じことを考えてた」
ミネおばあさんなら絶対に受け止めてくれる。
シオの里帰りに新しい家族を連れていく。
夜の砂漠に冷たい風が流れていった。
お読みいただきありがとうございます!!
今回は獣人の国の砂漠の街で不思議な雰囲気を持つ人間の孤児ミソラと出会ったラメルたち。
ラーメンを食べて幸せそうに笑うミソラ。
その時、一瞬感じた違和感は何だったのでしょうか……。
そして、ラメルとシオはミソラを孤児院へ連れて行くことに決めました。
シオの里帰りに新しい家族が加わることになりそうです。
果たしてミソラはどんな道を歩んでいくのか。
次回もよろしくお願いします!




