第三十九話 国境の向こうへ
七月二十日の朝にミヤンを出てから三日が過ぎた。
夏の日差しが容赦なく街道を焼いている。
「あっつい……」
ショーが背負い袋を下ろし汗をぬぐった。
「ラメルさんはいいですよね。荷物がなくて」
「ラーメンボックスのおかげだな」
「ずるいです」
ユウがぼそりと言った。
「ずるくない。お前たちの荷物も入れてやるって言っただろ」
「それは嬉しいですけど……」
ラーメンボックスに入るのは、ラーメン関連のものだけ。
着替えや寝袋は自分たちで運ぶしかない。
ただ、歩けば歩くほど味噌の熟成は進んでいく。
『残り歩数:246000歩』
視界の端に浮かぶ数字が、少しずつ減っていく。
「半分以上済んだな」
「国境までは、明日の昼には着きます」
先頭を歩きながらシオが言った。
足取りは軽く、いつもより背筋が伸びている。
耳もぴんと立っていた。
「嬉しそうだな」
「はい」
シオは振り返って笑った。
「だって、半年ぶりなんです」
「半年?」
「王国に来てから、一度も帰っていなくて」
そうか。半年も。
重曹を売って村を助けるためひとりで国境を越えたあの日からシオはずっと頑張ってきたのだ。
……ちゃんと連れて行ってやらないとな。
翌日の昼前。
街道の先に巨大な石の壁が見えてきた。
壁というより城だ。
何十メートルもありそうな石造りの門。
その上では、獣の牙をかたどった紋章の旗がはためいていた。
「あれが国境か」
「はい。バナチャス獣王国の南門です」
門の前には長い行列ができていた。
馬車を引く商人、大荷物を抱えた旅人。
そして――。
「獣人さんたちがいっぱいいる!」
ショーが目を丸くした。
狼の耳に猫の尻尾。
熊のような大男。
兎の耳を揺らす行商の女性。
さまざまな獣人たちが行き交っている。
「すげえ……」
「人間は僕たちだけみたいですね」
ユウが小声で言った。
たしかに、周囲からちらちらと視線を感じる。
やがて行列が進み、俺たちの番が来た。
「止まれ」
門番は熊の獣人だった。
身の丈は二メートル近くありそうだ。
分厚い鎧を身につけ、大槌を担いでいる。
「人間か。何の用だ」
低い声に、思わず背筋が伸びた。
「ええと、旅の者です。この子の里帰りに付き添ってきました」
「里帰り?」
門番はシオに目を向けた。
「獣人の娘だな。身分を示すものはあるか」
「はい」
シオは首元から、小さな木札を取り出した。
捨てられていたとき、一緒に置かれていた木札。
「シオ」という名前と誕生日が刻まれている。
門番の目が見開かれた。
「その木札……もしかして、山の孤児院の子か」
「え?」
「ミネ婆さんのところの!」
門番の顔が一気にほころんだ。
「そうかそうか!俺は昔、あそこで世話になったんだ!」
「ええっ!?」
シオが目を丸くする。
「おじさんも孤児院にいたんですか?」
「ああ。もう三十年も前の話だがな」
熊の門番は大きな手でシオの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「ミネ婆さんは元気だぞ。毎日子どもたちを叱ってる」
「よかった……」
シオの目が潤んだ。
門番は俺たちに向き直った。
「連れが人間でも構わん。ミネばあさんのところの子の客なら歓迎だ」
「ありがとうございます」
「ただし――」
門番が声を低くした。
「国境を越えたら、すぐ砂漠だ。水は多めに持て。昼間は歩くな。夜に動け」
「砂漠?」
「ああ。バナチャスの南半分は砂漠でな。街道沿いに砂漠の街がある。まずはそこへ向かえ」
「分かりました」
門が重い音を立てて開いた。
門をくぐった瞬間、乾いた熱風が頬を叩いた。
「うわっ」
ショーが目を細めた。
目の前に広がっていたのは、赤茶けた大地だった。
緑はほとんどない。岩と砂、ところどころに枯れた低木。遠くの地平線が陽炎に揺れている。
「これが獣王国……」
「暑いなんてもんじゃないです」
ユウが水筒を取り出し、一口飲んだ。
シオは立ち止まり、深く息を吸い込んでいた。
「……懐かしい匂い」
乾いた風。
砂と岩と、日向の匂い。
「ただいま」
小さく呟く声が聞こえた。
俺は何も言わず、シオの隣に並んだ。
「行こう」
「はい!」
俺たちは砂漠の街道を歩き始めた。
門番の言ったとおり日中は暑すぎた。
岩陰で休み、夕方まで待ってから歩き出す。
ラーメンボックスの食材が役に立った。
冷たい水と干し肉、それに干しヌメリ草を使って作った冷たいスープをみんなで飲んだ。
「生き返ります……」
「ラーメンの出汁って万能ですね」
歩数は順調に減っていく。
『残り歩数:84000歩』
夜の砂漠は、昼とは別世界だった。
空一面に星が広がっている。
ミヤンで見る星よりずっと近くずっと多い。
「きれい……」
「ああ」
四人で並んで歩きながら、夜空を見上げた。
「獣人の国は夜の砂漠がいちばんきれいなんです」
シオは誇らしげに言った。
「子どものころ、ミネおばあちゃんがよく話してくれました。砂漠に見える星は昔の神様が流した涙なんだって」
「神様の涙か」
「はい」
その言葉に、ふと胸の奥が揺れた。
神様。
前世で最後に願ったことを思い出す。
生まれ変わっても、ラーメンが食べたい。
……あの願いは誰かが聞いていたのだろうか。
まあいい。
今はただ美味いラーメンを作るだけだ。
翌日の夜も俺たちは歩き続けた。
夜明け前の薄闇の中、地平線の向こうにぽつりと灯りが見え始めた。
「あれは……」
「砂漠の街です!」
シオが指さした。
砂の海に浮かぶように、小さな街の灯りが瞬いている。
そのとき、視界に表示が浮かんだ。
『残り歩数:0歩』
味噌の熟成が完了した。
ちょうど街の目の前で。
「タイミングがよすぎるな」
俺は小さく笑った。
「行こう!今夜は味噌ダレをつくってみるぞ!」
お読みいただきありがとうございます!
シオの故郷を目指す旅は砂漠の街にたどり着きました。
そして、ついに味噌の熟成も完了!
次回、味噌ラーメン用の味噌ダレを作ります!




