第三十八話 打ち上げと旅立ち
公開審問が終わった日の夜。
銀の耳の食卓は貸し切り営業となっていた。
長机が並べ直され、大鍋ではスープがぐつぐつと煮えている。
ウルフラーメンにショーユウラーメン、海鮮ラーメン。
店のメニューが勢ぞろいしていた。
「乾杯だ!」
ダルクが木のジョッキを掲げる。
「男爵をぶっ飛ばした兄ちゃんに!」
「「「かんぱーい!」」」
店中から歓声が上がった。
冒険者たちに、串焼き屋のおっちゃん。道具屋に魚屋、八百屋まで。審問を見届けた街の人たちが、みんな集まっていた。
「しかし傑作だったな。男爵が灰を舐めたときの顔!」
「あれは一生忘れられねえ」
「にがっ!って言ってたぞ。にがっ!って」
笑い声が店に広がる。
隅の席では、ネリアが友人と並んで座っていた。
まだ夢から覚めていないようなどこかぼんやりした顔をしている。
「副ギルドマスターに推薦されたんですよ。私」
「おめでとう」
「ありがとうございます。でも、まだ実感がなくて」
ネリアの友人が肩をすくめた。
「本部が正式に決めたらすぐ連絡するわ。首席も気に入っていたし」
「ラメルさん」
ネリアが俺に向き直り、頭を下げた。
「本当にありがとうございました。あなたがいなければ私は黙ったままでした」
「俺こそ。ネリアさんが教えてくれたから間に合ったんだ」
俺たちはジョッキを軽く合わせた。
そのとき、店の扉が静かに開いた。
入ってきたのはギルドマスターだった。
腕には毛布にくるまれた小さな少女を抱いている。
「ギルドマスター」
「……来てしまいました」
ギルドマスターは、少し照れたように微笑んだ。
「娘がどうしても、あなたのラーメンを食べてみたいと言うので。あの……ご迷惑でなければ」
「迷惑だなんて」
俺は慌てて椅子を引いた。
「どうぞ、座ってください!」
少女は十歳くらいだろうか。
頬は白く手首は細い。それでも大きな目をきらきらさせて店内を見回していた。
「わあ……いい匂い」
俺はウルフラーメンを一杯作った。小さめのどんぶりに、熱すぎないスープを注ぐ。
「ゆっくり食べてね」
「ありがとう!」
少女はふうふうと息を吹きかけ、麺をすすった。
「…………おいしい」
かすかな声だった。
やがて少女の体が、ふわりと橙色に光った。一時効果だ。
「なんだか、体があったかい」
頬にほんのりと赤みがさす。
ギルドマスターは、声を押し殺して泣いていた。
「ありがとうございます……こんな顔をしてくれたのは、久しぶりで……」
「また食べに来てください。いつでも」
「はい……必ず……」
笑い声と涙と湯気に包まれて、夜は更けていった。
翌日から、俺は忙しくなった。
まず、頭の中の雑誌を開く。
審問の準備の間にも何度か目を通していたが、落ち着いて読み返す時間はなかった。
『ラーメンWalker』
灰色のページは、まだ大半が残っている。
読めるページを、最初から順に読み返していく。
ラーメンの基本構造。あの時食べ損ねた塩ラーメンの記事。醤油の醸造。
最後のページを閉じた、その瞬間。
ふわり、と全身が橙色に光った。
『ラーメンWalker:読了』
『新しいページが解放されました』
……新しいページ?
頭の中の雑誌が勢いよくめくられ、灰色だったページがすうっと色を取り戻していく。
そこに、新しい見出しが現れた。
『味噌ラーメン特集!味噌の醸造と味噌ダレのすべて』
「…………味噌」
思わず声が漏れた。
醤油と並ぶもうひとつの王道。
コクと甘み、そして力強さ。
寒い日でも暑い日でも食べたくなる濃厚なあの味だ。
「ついに来たか」
ページを読み進める。
原料は大豆と米麹と塩。
仕込み方は醤油に似ている。
蒸した大豆を潰し、麹と塩を混ぜて樽に詰める。
そして、長い時間をかけて熟成させる。
「材料は全部あるな」
ズンダ豆。カビ米。岩塩。
これなら、醤油と同じ要領で作れる。
さらにその下には、味噌ダレの作り方も載っていた。
味噌にすりゴマ、香味野菜を合わせて香りを引き出す。
それをスープにとろりと溶かす。
「ゴマもある。ニンニクのような野草ニンニの根もある」
ひとつひとつ指で追いながら、材料を確かめた。
すぐに仕込みを始めることにした。
ズンダ豆を蒸す。麹を作る。塩を合わせる。
できあがった生地を大樽に詰め、ラーメンボックスへ。
『醸造しますか? はい/いいえ』
『はい』
『醸造を開始します。残り歩数:500000歩』
「五十万歩……」
「まあ、俺たち四人で歩けば、すぐだろ」
「それでも五十万歩ですよ……」
ユウが遠い目をした。
「もう慣れました」
「慣れてくれるな」
醤油の十倍。それだけ、味噌は熟成に時間がかかるのだ。
「……いや、待てよ。ちょうどいいじゃないか」
俺はシオを見た。
「里帰りの旅で歩けばきっと完成する」
そう。シオの里帰りだ。
二日前、シオのもとに一通の手紙が届いた。
獣人国の山の村からだった。
「ミネおばあちゃんからです!」
シオは目を輝かせて、手紙を開いた。
『シオへ。手紙をありがとう。重曹のことは村のみんなで大騒ぎだったよ。たくさん用意して待っているから取りにおいで。子どもたちも会いたがっているよ。ミネより』
「重曹の袋を二百袋用意したって!」
「二百……」
それは、男爵の件より前に出した手紙への返事だった。
大量の買い増しに応えるため村が用意してくれたのだ。
「取りに行かないとですね」
「そうだな」
俺は頷いた。
「シオの里帰りに行こう」
「はい!」
シオは両手を胸の前で握りしめた。
耳が嬉しそうにぴんと立っている。
出発の日は、七月二十日に決まった。
行き先はシオの故郷。
獣人たちの国、バナチャス獣王国。
その山の中にある、小さな孤児院だ。
そして、出発の朝。
北門の前に、俺たち四人が並んでいた。
ショーとユウは大きな背負い袋を背負い、シオの荷物は小さなひとつだけ。
俺はラーメンボックスがあるのでかなり身軽だ。
「気をつけてな、兄ちゃん」
ダルクをはじめ、冒険者たちが見送りに来てくれた。
「今度は一ヶ月以上かかるかもしれません」
「それなら店は任せとけ。お前らが戻るまで、ラーメンは俺たちが守っておく」
「いや、ダルクさん。銀の耳の食卓はあなたのお店じゃないですよ」
「細けえことはいいんだよ!」
「そうですね。ありがとうございます」
店の方からは、ショーのお母さんとユウのお母さん、弟妹たちが手を振っていた。
「いってらっしゃーい!」
「お土産よろしくね!」
「任せて!」
ショーが大きく手を振り返す。
ネリアも来てくれていた。
「いってらっしゃい。ミヤンは私たちが守ります」
「頼みます」
シオは門の前で、深く息を吸い込んだ。
「ラメルさん」
「ん?」
「連れて行ってくれて、ありがとうございます」
「何言ってんだ。シオの故郷だろ」
俺は笑って、シオの背中を軽く叩いた。
「さぁ、一緒に行こう」
「……はい!」
四人で北門をくぐる。
街道の先には、夏の雲が高く浮かんでいた。
目指すは、『バナチャス獣王国』。
その先に待つ故郷と、まだ見ぬ景色へ向けて。
新しい旅が始まった。
お読みいただきありがとうございます!
次回からは、シオの故郷があるバナチャス獣王国への旅が始まります。
どんな国で、どんな人たちが待っているのか。
ラメルたちの新たな旅を、どうぞお楽しみに!




