第三十四話 偽物の麺の素
七月十二日の朝。
店の裏庭に大鍋と七輪が並んだ。
朝食を終えたばかりの時間だというのに裏庭にはすでに人が集まっていた。
普段なら仕込みの準備を始める頃だが今日は違う。全員の視線が庭の中央に置かれた大鍋へと向けられている。
「今日は偽物の麺の素を作る」
集まった仲間たちに宣言する。
シオとショーとユウ。そしてユウの父。
三人の若者は興味津々といった様子だったがユウの父だけは違った。
鍋や七輪の配置を確認したあと俺の顔を見ている。
何を始めるつもりなのか見極めようとしているらしい。
「材料はこれだ」
ショーの母がバケツを運んできた。
中には竈の灰が山盛りになっている。
「灰ですか」
「灰だ。水に溶かして一晩置いた。見てくれ」
別の桶には茶色く濁った水が溜まっていた。
灰汁の上澄みだ。
「うわ。ぬるぬるしてる」
「触るなよ。手が荒れるぞ」
灰汁にはアルカリ性の成分が溶け出している。
濃度によっては皮膚を傷めることもあるため取り扱いには注意が必要だ。
今回はあくまで代用品を作るための作業だが油断は禁物である。
俺は上澄みを大鍋にあけて火にかけた。
ぐつぐつと煮立つ。
灰色の泡が浮いてくる。
「このまま煮詰めて水分を飛ばす。最後に焦げ付かせて粉にする」
本来なら灰汁の濃度を調整しながら使うところだが今回はそんな繊細な作業は必要ない。
むしろ余計なものが残っているくらいでちょうどいい。
湯気に独特の苦い匂いが混じった。
「うっ」
シオが鼻を押さえて後ずさる。
「ラメルさんこれ、鼻が曲がります」
「いい匂いだろ?」
「どこがですか!」
シオは本気で嫌そうな顔をしている。
ショーも少し離れた場所へ移動していた。
ユウに至っては風上へ回り込んでいる。
「お前らな。料理人なら多少の匂いには耐えろ」
「料理の匂いじゃないですよこれ!」
「薬みたいな匂いがします……」
ユウの父は何も言わなかった。
ただし鍋から漂う匂いを確かめるように顔を近づけたあと静かに一歩下がった。
職人でも耐えがたいものはあるらしい。
鍋の水がどんどん減っていく。
底に白とも灰色ともつかない塊が現れた。
ここからが本番だ。
「ユウのお父さん」
「…………」
ユウの父が無言で近づき鍋の中を覗き込んだ。
「この塊を砕いて粉にします。濾さずにそのまま」
ユウの父の眉がぴくりと動いた。
「…………濾さないのか」
「はい」
「…………灰が残るぞ」
「残していいんです。むしろ残したい」
納得いかないという顔だ。
職人気質のこの人は不純物を残すのが耐えられないらしい。
無理もない。
普段なら余計なものを取り除き材料の状態を整えるのが職人の仕事だ。
わざわざ不純物を混ぜたまま仕上げろと言われれば文句の一つも言いたくなるだろう。
それでも黙って塊を石臼に入れ砕き始めた。
途中で手が止まる。
「…………炭の欠片が」
「混ぜてください」
「…………雑すぎる」
「雑でいいんです!雑にやってください!」
思わず声が大きくなった。
ユウの父は俺をじっと見た。まるで料理人としての誇りを捨てろと言われたような顔だ。
「…………お前は本当に料理人なのか」
「料理人だからこそ必要な作業なんです!」
我ながらひどい言い訳だった。だが今さら引き下がるわけにはいかない。
ユウの父は深いため息をついて作業を再開した。
石臼の中で塊が少しずつ砕けていく。
ユウの父は不満を隠そうともせず作業を続けていたが粉の粒が大きすぎる部分だけは黙って細かくしていた。
その様子を見て俺は少しだけ申し訳なくなった。
職人としては到底納得できない仕事だろう。
それでも手を抜かずに仕上げてくれるのだからありがたい。
やがて白と灰色の中間くらいの色の粉ができた。
白い粉に黒い燃えカスがぽつぽつ混じっている。
「完璧だ」
俺は満足して頷いた。
「純度が低くて苦みが強い。雑味だらけで焦げの匂いもする。ただ一目で灰と分からない程度には整えておく」
本物の麺の素は小麦粉に混ぜて使うものだ。
適切な量を加えれば麺の食感や色に変化が出る。
だが今回の目的は麺をおいしく作ることではない。
男爵に偽物を本物だと思い込ませたうえで使わせることだ。
ユウの父が黒い欠片をつまんで少しだけ捨てた。
わずかに表情が緩んだ気がした。
「そこは残しておいてください」
「…………」
緩んだ表情が元に戻った。
「……全部残す必要はないでしょう」
「いやいやいや。そこが大事なんです」
ユウの父は俺の顔を見たあと残った炭の欠片をじっと眺めた。
職人としての良心と俺の注文が激しくぶつかり合っているようだった。
結局いくつかの欠片を残すことで折り合いがついた。
俺としてはもっと豪快に混ぜてもらいたかったがこれ以上要求すると作業そのものを拒否されかねない。
小瓶に詰めて蝋で封をする。偽の麺の素の完成だ。
「次は使い方だな」
俺は紙を広げて筆を取った。
『麺の素の使い方小麦粉に対して麺の素を三割』
「三割!?」
ショーが目を丸くした。
「本物は一割もいらないんですよね!?」
「そうだ。適量だと灰汁でもそれなりにかん水の代わりになってしまう。そこそこの麺ができたら男爵にとってプラスになってしまう」
「なるほど」
ユウが納得したように頷いた。
だがショーは紙に書かれた数字を見たまま首を傾げている。
「でも三割って相当な量ですよね。小麦粉が七なら麺の素が三ってことですか?」
「そういうことだ」
「そんなに入れたら味がおかしくなりませんか?」
「だから入れるんだ」
ショーは何か言いかけて口を閉じた。
どうやら反論するだけ無駄だと悟ったらしい。
「ラメルさんってこういう悪どいことを考えるときだけ頭が回りますよね」
「普段から回ってるだろ?」
「そうでしょうか……」
ユウまで微妙な顔をしている。
失礼な連中だ。
「だから多めに書く。大量に入れさせれば苦みが暴走する」
さらに書き足す。
『よくこねること。長く茹でること』
「長く茹でるんですか」
「長く茹でれば麺がふやけてぶよぶよになる」
全員が顔を見合わせた。
「ラメルさん悪い顔してます」
「何度目だそれ」
俺は紙を見直した。
材料の割合も調理方法も問題ない。
もちろん正しい意味での問題がないという話ではないが今回の目的には十分だ。
本物の麺の素を知らない人間なら書かれた手順を疑う理由がない。
むしろ詳しい説明が添えられていれば専門家が作った品だと思い込む可能性もある。
人間は知らないものほど肩書きや説明を信じるものだ。
試作を作ってみた。
小麦粉に偽の麺の素を指示通り混ぜてこねる。
生地が灰色にくすんだ。
伸ばして切り十分ほど茹でる。
生地をこねている段階から嫌な予感はしていた。
小麦粉本来の白さは見る影もなく灰色に染まり手で触れた感触も妙に悪い。
ショーは生地を指でつついてから俺を見た。
「これ本当に食べるんですよね?」
「もちろん」
「ラメルさんが先に食べてください」
「味見はお前の仕事だろ」
「そんな仕事ありません!」
もっともな反論だった。
だが料理の試作において味見は重要な工程である。
俺はその事実を盾にショーへ麺を差し出した。
ショーは恨めしそうに俺を睨んだあと渋々麺を茹で始めた。
できあがったのは灰色でぶよぶよの紐だった。
湯から引き上げた麺は妙に柔らかく表面にはぬめりが浮いていた。
食欲をそそる香りなど当然ない。
むしろ焦げた灰の匂いと強烈なアンモニアのような臭いが周囲に広がっている。
おそるおそるフォークで口に入れたショーが固まった。
「どうだ」
「うえっ!苦い!渋い!しかもべちゃべちゃ!」
ショーが水を飲みに走った。
その背中を見送りながら俺は頷いた。
苦みと渋みが舌に残り麺は噛み応えもなく水っぽい。
料理として評価するなら最低だ。だが偽物としての完成度は高い。
シオは鍋の中を覗き込み顔をしかめた。
「これを食べ物として出したら怒られますよ」
「出さないから安心しろ」
「男爵には出すんですよね?」
「男爵が自分で作るんだ」
シオは何かを言いかけたが結局黙った。
納得したわけではないだろう。
俺は笑いを抑えられなかった。
「完璧だ」
昔の俺の失敗作とそっくりだ。
あの頃の屈辱が今になって武器になる。
厨房に忍び込んで製麺を始めた頃は何度も失敗した。
分量を間違えたり火加減を誤ったり知らない材料を適当に混ぜたり。
今なら笑い話にできるが当時は本気で落ち込んだものだ。
まさかその失敗がこんな形で役に立つとは思わなかった。
何が人生の役に立つかなど本当に分からない。
人生とは分からないものだ。
「ラメルさん」
ユウが小声で言った。
「本物の麺の素と間違えられないでしょうか」
「大丈夫」
俺は本物の小瓶を指でつついた。
「男爵は本物を見たことがない。偽物を本物だと信じてくれる」
もちろん絶対とは言い切れない。男爵がどこかで本物を手に入れていれば話は変わる。
だが今までの情報から考える限りその可能性は低い。
そもそも本物を知っている人間なら俺たちがこんな小細工をする必要もない。
相手が知らないからこそ成立する作戦なのだ。
「あとは男爵が疑わずに使ってくれるかどうかですね」
ユウが不安そうに小瓶を見つめた。
「そこは手紙の書き方次第だな」
ただ偽物を送るだけでは足りない。
なぜ今まで手に入らなかったのか。
なぜこの方法で使う必要があるのか。
相手が疑問を抱く前に納得できる理由を与えてやればいい。
人間は自分が欲しがっているものを手に入れたとき都合の悪い部分を見落としやすい。
男爵が麺の素を欲しがっているのならその心理を利用するまでだ。
「ネリアさんに連絡しよう」
俺は灰色の小瓶を握りしめた。
ネリアならこちらの意図を理解したうえで動いてくれるはずだ。
あとは偽の手紙を用意して男爵の手に渡るように仕向ければいい。
小瓶の中で偽物の麺の素が揺れた。
見た目だけなら本物と区別がつかないかもしれない。
少なくとも俺たちが作ったものだと知らなければ疑う理由はないだろう。
審問まであと三日。
お読みいただきありがとうございます!!
ラメルさんは悪どいことを考えるときはめっちゃ頭が回ります。
普段はラーメンのことしか考えていないのに。




