第三十三話 ラーメンの日
七月七日。
銀の耳の食卓に商業ギルドの封書が届いた。
持ってきたのはネリアだった。
いつもの笑顔がない。
窓口で見せる事務的な顔でカウンター越しに封書を差し出した。
「ミヤン商業ギルドより通知です」
声が硬い。
開封して読む。
『銀の耳の食卓 営業許可再審査に関する通知』
『悪臭等の苦情多数につき七月十五日正午ギルド会議室にて監査を行う』
『店主は必ず出席すること』
店内の空気が凍った。
「十五日って来週じゃねえか。商業ギルド、なんでこんなことをしやがる……!」
明らかに棒読みのダルクが椅子を蹴って立ち上がった。
「悪臭の苦情だと?ふざけんな!この店の臭いが好きで通ってる奴が何人いると思ってる!」
やっぱり棒読みだ…。
「ダルクさん、落ち着いて!」
ショーの母が止めに入ったが、その声は笑いを堪えるように震えていた。
「ラメルさん」
ユウの父が低い声で言った。
「…………潰すつもりだ」
「そうですね」
俺は封書を畳んで頷いた。
不思議と焦りはなかった。
「承知しましたとお伝えください」
「ラメルさん」
ネリアが小声で付け加えた。
「王都の友人から返事が来るのを待っています。届き次第お知らせします」
「お願いします」
ネリアは一礼して帰っていった。その背中が少しだけ軽くなったように見えた。
監査は七月十五日。
今日が七月七日。
残り八日。
その間にやることが山ほどある。
その夜から忙しくなった。
ダルクたちが交代で街を見張った。
男爵の使いは街の宿に潜伏していた。
痩せた男と若い男の二人組だ。
若い男はまだ火傷の跡を痛そうにさすっていたらしい。
「動きがあったらすぐ知らせる」
ダルクが胸を叩く。
ネリアは毎晩資料室で証拠を整理した。
ショーの母とユウの父は店を守りながら傍聴席を埋める客に声をかけて回った。
俺は寝る間も惜しんで考えた。
どうすれば男爵を審問の場に引っ張り出せるか。
麺の製法という餌は決まっている。
けれど偽物の粉をどう作る。
男爵の抱える錬金術師は優秀だった。
見え透いた偽物ではすぐにばれるだろう。
「ラメルさん」
四日目の夜、シオが俺の肩を叩いた。
「眠れてますか」
「あんまり」
「明後日は十一日です」
「そうだな」
「ショーくんの誕生日です」
あ。
忘れていた。いや忘れていたわけじゃない。ただ頭がそれどころじゃなかった。
「戦いの前だからこそやりましょう」
シオが真面目な顔で言った。
「ショーくんは毎日手伝ってくれています。せめて誕生日くらいは何も考えずに笑ってほしいです」
胸を突かれた。
その通りだった。
「ありがとうシオ。やろう」
「はい」
七月十一日。
開店前の店先に新しい看板が立った。
『本日ラーメンの日 ショーくん十一歳おめでとう』
『ご来店の方に温泉卵を無料トッピング!』
「ら、ラメルさん!?」
ショーが看板を見て固まった。
「なんで俺の名前が!」
「驚くのはまだ早いぞ」
俺は店の前に集まった冒険者たちに向かって宣言した。
「本日はラーメンの日だ。七月十一日。とある国ではラーメンに感謝してラーメンを食べる日と決まっていた」
もちろんそんなことはないが嘘も方便だ。まぁラーメンの日は本当なんだけど。
「ラーメンの日?」
「そんなのがあるのか」
「あるんだよ。だから今日はお祭りだ。そしてショーの誕生日でもある」
「「「おおーっ!」」」
冒険者たちが歓声を上げた。
店の前に長い行列ができた。
普段の客に加えて噂を聞きつけた街の人たちまで。
誰もが笑顔で『ラーメンの日おめでとう』と口にしていた。
この街の人たちはみんな前向きだ。
男爵なんかの好きにはさせない。
営業は大成功だった。
全員がラーメンに温泉卵をのせて食べた。体がふわりと橙色に光る。
「うめえ!」
「ラーメンの日最高!」
夜になって客足が落ち着くと、店内で小さな誕生日会が始まった。
ショーの母が涙ぐみながら焼いた蒸しパン。
ユウの手作りの小さな木の盾飾り。
シオはこっそり干し肉の包みを渡していた。
「お誕生日おめでとう」
「あ、ありがとう!」
ショーは顔を真っ赤にしてもじもじしている。
ダルクが大きな包みをどんと置いた。
「俺たちからだ」
「え?」
包みを開けると新品の短剣が出てきた。鉄の刃にきらりと光る革の鞘。
「冒険者連中で金を出し合った。もう木剣は卒業だろ」
ショーの目から涙がぽろぽろ流れた。
「ううっ……ありがとうございます……!」
「泣くな泣くな。男だろ」
ダルクが豪快に頭をなでた。
俺は用意しておいた最後の一品をテーブルに置いた。
「ラメルさん、これは?」
「長寿麺だ」
一本だけの長い麺をどんぶりに入れたシンプルなラーメン。
「長く元気に生きられますようにっていう願いを込めた麺だ。途中で噛み切らずに食べるんだぞ」
「は、はい!」
ショーは真剣な顔で麺をすすった。ずるずるずる。ずるずるずるずる。
なかなか終わらない。
「長っ!」
「頑張れショー!」
全員が応援する。
ようやく食べ終えたショーが顔を上げてにっと笑った。
「うめえ! ありがとうございます!」
「「「十一歳おめでとう」」」
大きな拍手が店内を包んだ。
その時だった。
「にいちゃんずるい!」
ショーの弟が泣きべそをかいて飛び込んできた。
まだ五つくらいの小さな子だ。
「ぼくもらーめんつくった!」
手には小さな桶。
何をしていたのかと覗き込むと、中に灰色の生地がこねられていた。
「それは?」
「おそうじの水でこねたの!」
「掃除の水?」
ショーの母が青ざめて駆け寄った。
「それ灰汁だよ!掃除に使う水!口に入れてない!?」
「いれてないよー」
弟は得意げに生地を伸ばした。
灰色でぶよぶよした、見るからにまずそうな麺もどき。
その瞬間。
俺の脳裏に幼少期の記憶がよみがえった。
厨房に忍び込んで、灰汁を代わりに入れて作った苦くて渋くて緑がかった灰色の麺。
あの失敗作。
「…………」
その麺を見つめたまま動けなくなった。
「ラメルさん?」
「どうしたんですか?」
「……それだ」
俺は呟いた。
「え?」
「それだよ!偽物の麺の素だ!」
全員がぽかんとする。
「灰汁だよ。灰を水に溶かした上澄み。それを煮詰めて乾かして白い粉にする」
あの時の俺は灰汁を使えば麺が作れると思っていた。
結果は灰色の失敗作。
けれど。
「見た目は純粋な白い粉だ。アルカリ性も強い。錬金術師が調べたら、これこそ麺の秘密だと思い込むはずだ」
「でも」
ユウが首をかしげる。
「その粉で麺を作ったら」
「苦くて渋くて灰色のまずい麺ができる」
俺はにやりと笑った。
「男爵はそれを持ち帰って得意げに作ってみる。完成するのは食えない麺だ。しかも俺が教えた通りに作ったと言い張るはずだ」
「ラメルさん……」
ショーがごくりと唾を飲んだ。
「悪い顔してます」
「何度目だそれ」
全員が笑った。
ネリアにも伝えなければ。男爵を釣る餌に使える。
長い間頭を悩ませていた最後の一枚が、ようやく揃った。
審問まであと四日。
準備は整いつつある。
俺は灰色の生地を抱えた小さな弟の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「ありがとうな。お前のおかげで思いついた」
「えへへ」
「でも灰汁は口に入れちゃだめだぞ」
「はーい!」
店内に笑い声が響いた。
夏の夜は静かに更けていった。
お読みいただきありがとうございます!!
ショーくんのお誕生日はストーリーの重要な伏線でした。




