第三十一話 作戦会議
昼の営業が一段落した頃にネリアがやってきた。
いつもの窓際の席ではなく入口から一番遠い隅の席に座る。
ウルフラーメンを注文すると黙々と食べ始めた。
いつもならスープを最後の一滴まで飲み干す彼女だが今日は様子が違った。
食べる手は何度も止まり、せっかくのラーメンも半分ほど残っている。
何かあったのだろうか。
そう思いながらも俺はほかの客の注文を優先した。
話があるなら向こうから声をかけてくるだろう。
やがてネリアが席を立ち俺のところへやってきた。
「ラメルさん」
周囲に聞こえないよう声を潜めている。
いつもの明るい表情もなく顔色も悪い。
「閉店後に少しお時間をいただけませんか。仲間の皆さんも一緒に」
ただ事じゃない。
「分かりました。閉店後にお待ちしています」
俺がそう答えるとネリアはほっとしたように小さく頭を下げた。
けれど、その表情から不安が消えることはなかった。
夜。
店を閉めた俺たちは客席に集まっていた。
俺とシオとショーとユウ。
ショーの母親にユウの父親。そしてダルクたちも来ている。
普段なら閉店後の店内は片付けの音と仲間たちの雑談で賑やかだ。
けれど今夜は誰もふざけることなく、ネリアが話し始めるのを待っていた。
ネリアは席に着くと深く頭を下げた。
「最初に謝らせてください。私は商業ギルドの人間です。この件にはギルドが関わっています」
「何があったんですか」
俺が尋ねるとネリアは顔を上げた。
一度唇を引き結び、意を決したように口を開く。
「今朝、ギルドマスターに呼び出されました。そこで銀の耳の食卓の営業許可を公開審問で再審査するよう頼まれたんです」
「営業許可の再審査?」
「はい。理由は悪臭に関する苦情が多数寄せられたからだそうです」
「悪臭ですか……」
確かにウルフラーメンの匂いは強い。豚骨ラーメン以上の匂いがするのだから悪臭だと感じる人がいてもおかしくはない。
ネリアは鞄から数枚の紙を取り出した。
「これが、その苦情書です」
俺たちは順番に紙を回して目を通した。
『臭くて眠れない』
『営業を止めてほしい』
『店の前を通れない』
どれも似たような内容ばかりだ。
しかし、署名こそ違うものの文字の癖は驚くほどよく似ていた。
日付を確認すると短期間に集中しており、まるで一度に書き上げたかのようだった。
偶然にしては不自然すぎる。
「これ、全部同じ人が書いたんじゃないの?」
ショーが眉をひそめた。
「私もそう思います。筆跡が同じですし、日付も不自然です。ですが、ギルドマスターは記録が残っていると言って……」
ネリアはそこで言葉を切った。
何かを思い出すように視線を落とす。
「それから、もう一つあります」
彼女が取り出したのは一通の手紙だった。
封蝋には金貨をくわえた豚の印。
「あの金貨をくわえた豚か」
ダルクが低く唸った。
「やっぱり裏にいやがったな」
「その印章って……」
ショーが手紙を見つめた。
「ボッタ・クルード男爵のものです」
ネリアが答える。
その名を聞いた途端、店内の空気が変わった。
「なんで男爵がギルドマスターさんにそんなことを?」
ショーが険しい顔で尋ねた。
ネリアは悲しそうにうなずいた。
「娘さんのためなんです。あの人は娘さんを守るために男爵の要求を断れないんです」
店内が静まり返った。
ネリアはギルドマスターから聞いた話を順番に説明した。
昔から病弱だった娘さんの命をつなぐために必要な高価な薬。
そして、その薬代を援助しているボッタ・クルード男爵。
男爵は援助を続ける代わりに、銀の耳の食卓を公開審問で再審査にかけるよう要求してきたのだ。
「ひどい……。娘さんを盾にして言うことを聞かせるなんて」
シオの耳がしゅんと下がった。
「許せないですね」
ユウも静かに怒りをにじませた。
俺も腹が立った。
ただ、悪臭の苦情については少しだけ思うところがあった。
ウルフラーメンは豚骨ラーメンよりも強烈な匂いがする。
異世界の人間にとっては、慣れない獣骨の臭いや煮込んだ脂の匂いが耐え難いものに感じられても不思議ではない。
実際、店を始めたばかりの頃は匂いに驚く客もいた。
だから悪臭だという苦情そのものは必ずしも嘘とは言い切れない。
問題は、苦情の内容ではなかった。
署名が違うのに筆跡が同じであること。
日付が不自然なほど集中していること。
そして、男爵の名前が記された手紙と再審査の話が結びついていること。
本当に店の匂いに困っている人がいるのなら対策を考える余地はある。
だが、今回の件はどう考えても別の目的がある。
自分の欲望を満たすために他人の弱みにつけ込み逆らえない相手を利用する。
しかも、その矛先が病気の娘にまで向いている。
俺は拳を握りしめた。
「ネリアさん」
「はい」
「教えてくれてありがとうございます。これを話すのにどれだけ勇気が必要だったか分かります」
「いえ……」
ネリアの目が潤んだ。
「私こそ黙っていようかとも思いました。でも、このお店を潰されるのは嫌でした」
彼女は一度だけ店内を見回した。
「私、このお店のウルフラーメンが大好きなんです」
その言葉を口にした途端張り詰めていた表情が少しだけ崩れた。
ショーの母親が目頭を押さえた。
「ありがたいねえ。そんなに気に入ってくれていたなんて」
「こちらこそ、いつもありがとうございます」
俺はネリアに笑いかけてから全員を見渡した。
「さて、どうやって男爵を止めましょう」
全員の視線が集まる。
「ただ営業許可の再審査をはねのけても、男爵はまた別の手を打ってきます。今回の件を乗り切ったところで終わりにはできません。止めるなら根っこから潰さないといけません」
「根っこ?」
ユウが聞き返した。
「男爵本人を表舞台に引きずり出して罪を明らかにするんです」
ダルクが身を乗り出した。
「できるのか?」
「簡単ではありません。でも、やらなければ何度でも同じことを繰り返されます」
俺はテーブルの上に置かれた苦情書を指先で叩いた。
「必要なのは三つです」
俺は指を三本立てた。
「一つ目は証拠。偽の苦情書と男爵からの手紙です。それに、男爵がギルドマスターに何を要求したのかも明らかにするべきです」
「写しなら私が取っています」
ネリアが胸の前の鞄を押さえた。
「筆跡と日付。それに手紙の文面も記録してあります。ただ、原本はギルドマスターが持っています」
「それなら、原本と照らし合わせれば苦情書の不自然さを示せますね」
俺はうなずいた。
「ただし、それだけでは男爵が苦情を偽造した証拠にはなりません。男爵とギルドマスターの関係も明らかにする必要があります」
「ギルドマスターに証言してもらうということですか?」
「そうです。男爵からどんな要求を受けたのか、本人の口から話してもらいたい」
ネリアは不安そうに目を伏せた。
「娘さんのことがあるから、簡単には話せないかもしれませんね」
「無理にとは言いません。ただ、男爵の不正を明らかにするには必要なことです」
俺は一度言葉を切り、全員を見渡した。
「そして、もう一つ。これらの証拠を調べ、男爵の不正を追及できる人たちの協力が必要です」
「それなら心当たりがあります」
ネリアが顔を上げた。
「王都の商業ギルド本部には監察部があります。ギルド内部の不正を調べる部署です。同期の友人がそこで働いているんです」
「監察部か……」
「貴族がギルドを利用して不正を働いているとなれば調査に動いてもらえるかもしれません。確実とは言えませんが、友人に相談することはできます」
「それです!」
俺は思わず声を上げた。
「ネリアさん。その友人に手紙を出せますか?」
「はい。今夜のうちに書きます」
「ありがとうございます。監察部に調査してもらえれば、男爵とギルドマスターの関係についても何か分かるかもしれません」
これで証拠を集めるための手掛かりはできた。
だが、証拠がそろったとしてもそれをどこで明らかにするかが問題だ。
「営業許可の再審査は公開の審問になるんですよね?」
「はい。ギルドの会議室で行われます。関係者以外も傍聴できます」
ネリアの答えに俺はうなずいた。
「なら、その場で証拠を示しましょう。街の人たちや冒険者にも見届けてもらうんです」
ダルクがにやりと笑った。
「いい舞台だ。大勢の前で化けの皮を剥いでやるってわけか」
「そうです。ただ、審問で男爵の関与を明らかにできるとは限りません。本人が姿を見せず代理人にすべて押しつける可能性もあります」
「確かに、あの手の貴族ならやりかねんな」
ダルクが腕を組んだ。
「だからこそ、男爵本人を表舞台に引きずり出す方法も考えておきたいんです」
俺は苦情書に目を落とした。
証拠を集める。
監察部に協力を求める。
そして、公開の審問で真実を明らかにする。
俺たちは顔を見合わせた。男爵の好き勝手には絶対にさせない。
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