第二十九話 金貨をくわえた豚
王都の一等地にその屋敷はあった。
門は金ピカ。壁も金ピカ。庭の噴水まで金ピカで朝日が反射し、通行人が思わず目を細める。
噴水の中央には金貨をくわえた豚の像まで鎮座していた。
屋敷の主はボッタ・クルード男爵。
王都有数の商人貴族である。
男爵は朝から肉を食っていた。
右手に骨付きの腿肉。左手にも別の腿肉。
指には宝石の指輪が十個。腹は椅子から溢れ、顎は三重に折れている。
テーブルには食べかけの肉や空になった皿が山のように積まれていた。
「遅い」
肉を噛みちぎりながら男爵は言った。
「ガリはまだ戻らんのか」
「ただいま戻りました」
扉が開き痩せた男が入ってきた。ミヤンの街で窓際に座っていたあの男だ。
男爵は人の名前を覚えない主義なので痩せているからガリと呼んでいる。
もちろん本人に名前を尋ねたことは一度もない。
「どうだった」
「それが……」
ガリは額の汗を拭いた。
「麺は確かに特別でした。黄色くて弾力があり、噛むほどに小麦の味が広がります。あれほどの麺は、王都でもそうそうお目にかかれません」
「味などどうでもいい」
男爵は興味なさそうに骨を放り投げた。骨は皿の縁に当たり、乾いた音を立てる。
「作り方は」
「分かりませんでした」
「分からん?」
「店の者が頑として教えず、厨房の奥には鍵付きの棚があるのですが……」
「盗め」
「近づこうとしましたが」
ガリは声を落とした。
「暗がりに無言の男が立っておりまして」
「無言の男?」
「はい。こちらが動くたびに目で追ってくるのです。何も言わず、ただひたすら見つめてくる。生きた心地がしませんでした」
「情けない!」
男爵が机を叩いた。皿が跳ね、肉汁がテーブルに飛び散る。
「お前は何のために行ったのだ!ただ麺を食いに行っただけではないか!」
「いえ、食べたのは調査の一環でして……」
「言い訳をするな!」
ガリは口をつぐんだ。
「ヤケドはどうした」
ヤケドとは麺を懐に入れて火傷した若い部下のことだ。
男爵はやはり名前を覚えない。本人が今どこで治療を受けているかさえ知らなかった。
「治療中です。ただ、こちらを」
ガリは懐から小さな布包みを取り出した。
中には床に落ちずに回収された麺の切れ端が二本。
「ほう」
男爵は麺をつまみじっと見た。
黄色い。艶がある。指で軽く押してみるとしなやかに弾力が返ってきた。
「これは……」
男爵は麺を口に入れた。
噛む。
もう一度噛む。
男爵の目が丸くなった。
「…………うまい」
「でしょう」
ガリは気まずそうに咳払いした。
自分が盗み出そうとした麺を主人が夢中で味わっている光景に何とも言えない気分になった。
「しかも店の客は食べるだけで力が湧くという噂です」
「力?」
「冒険者たちが毎日行列を作っております。食後は体が軽くなり、依頼の成功率まで上がったと話す者もいるそうです」
「……ふむ」
男爵の目が濁った金色に光った。
「これは金になる」
残った麺を惜しげもなく飲み込むと男爵は舌なめずりした。
「分析させろ」
屋敷の地下には錬金術師の部屋がある。
痩せた老人が麺を受け取り器具を並べた。
煮る。砕く。薬液に浸す。粉末にして色を調べ何度も試薬を垂らす。
男爵は待ちきれず何度も地下室を覗きに来た。
そして一日後。
「分かりました」
老人が青い顔で言った。
「小麦と塩と水です」
「それだけか」
「いえ」
老人は首を振った。
「それだけではあの色もコシも出ません。何か未知の粉が混ざっています。灰のようで灰ではなくもっと純粋な何かです」
「何だその粉は」
「分かりません」
「分からんで済むか!」
男爵が怒鳴った。
老人が肩をすくめ危うく試験管を落としかける。
「麺の秘密はその粉にあります。ただ、正体が分からなければ同じものを作ることも売ることも……」
「つまり」
男爵は太い指を立てた。
「あの店の持っている粉を手に入れればよいのだな」
「はあ……まあ、そういうことになります」
「粉の仕入れ先を押さえればなお良い」
男爵はにたりと笑った。
頭の中で金貨の山が積み上がる。
王都にずらりと並ぶ男爵印のラーメン屋。行列。金貨。自慢。
想像するだけで頬が緩んだ。
「ボッタ・クルードのラーメン」
男爵は呟いた。
「悪くない響きじゃ」
「しかし男爵様」
「何じゃ」
「あの店は街の人気者でして、力ずくでは評判が……」
「馬鹿者」
男爵は鼻で笑った。
「力ずくなどやらん。金持ちは汚い手は使わんのだ」
そう言いながら引き出しから封蝋と羊皮紙を取り出す。
「ミヤンの商業ギルドのマスターは誰じゃったか」
「確か、娘の病の治療費をこちらで出している男です」
「そうじゃ。あやつがおった」
男爵はにやにやしながら羽根ペンを走らせた。
――ミヤン北門の店『銀の耳の食卓』に対し公開審問で営業許可の再審査を行うこと。
――不備を見つけること。
――娘の薬代はこれからも出してやる。
最後に豚の印章を押す。
金貨をくわえた豚の封蝋がじゅっと音を立てた。
「ガリ」
「はい」
「これをギルドマスターに届けろ」
「かしこまりました」
「もし渋ったら」
男爵は声を低くした。
「娘の薬代の話をしてやれ」
ガリは黙って頭を下げた。
命令の意味は十分に理解していた。
ギルドマスターにとって娘の治療費は何よりも重い弱みなのだ。
窓の外では金ピカの噴水が朝日を弾いて輝いている。
男爵は新しい腿肉にかぶりついた。
「ふ……ふははは!」
笑うたびに腹が三段に揺れる。
金貨をくわえた豚は笑った。
自分の食卓がもうすぐ銀の耳の食卓を呑み込むと信じて。
お読みいただきありがとうございます!!
ボッタ・クルード男爵…悪徳貴族にはピッタリなお名前…。




