第二十七話 ただいまミヤンの街
温泉をあとにして五日。
山を越え森を抜けて街道を歩き続けた俺たちの前に見慣れた石造りの城壁が見えてきた。
「あれ……あれですよね」
「ああ。ミヤンの街だ」
追放された俺が最初にたどり着いた街。
屋台を出してシオに出会いショーとユウと家族になり冒険者たちに囲まれた俺の最初の居場所だ。
「帰ってきたんですね」
ユウがぽつりと言った。
「母ちゃんたち元気かな?」
「店、ちゃんとやってるかな?」
ショーも落ち着かない様子で足を速める。
夕暮れの空の下で北門が見えてきた。
その門のそばに白い湯気を上げる一軒のボロ屋が建っている。
煙突から立ちのぼる煙。風に乗って届く匂い。
獣の匂いと醤油の香ばしい匂い。
「……ああ」
思わず笑みがこぼれた。
この匂いだ。
店の前には長い行列ができていた。
見覚えのある鎧姿の冒険者たちがずらりと並んでいる。
その先頭にいた髭面の大男がふと顔を上げた。
目が合った。
一瞬の静寂。
「……あ」
ダルクの口がゆっくりと開いた。
「あああああああ!!兄ちゃんたちが帰ってきたぞおおおおおお!!」
行列が一斉にこちらを振り向いた。
「ラメルさんだ!」
「帰ってきた!」
「ラーメンの人が帰ってきたぞー!」
地響きのような歓声が北門に響き渡る。
ショーが叫んだ。
「母ちゃああああん!」
店の扉が勢いよく開いてショーの母が飛び出してきた。
俺はシオと並んで立ち止まり仲間たちが家族に抱きつくのを見守った。
「ただいま」
小さく呟いた。
およそ三週間の旅、たくさんの素材と新しい出汁を手に俺たちは帰ってきた。
そして、店の中は思っていた以上に立派になっていた。
ボロ屋の面影はもう壁の染みくらいしか残っていない。
補強された梁に磨き上げたカウンター。
厨房の奥には醤油の大樽がずらりと並び棚には麺の素の小瓶が鍵付きの箱にきちんとしまわれている。
「ラメルさん!お帰りなさい!」
ショーの母が俺の両手をぎゅっと握った。
「ご無事で何よりです。留守の間は一度も火を絶やしませんでしたよ」
「ありがとうございます。助かりました」
ユウの父が奥から静かに現れて箱の鍵を差し出した。
「…………守りました」
それだけ言って深く頭を下げる。この人らしい報告だった。
ショーとユウは弟妹たちに飛びつかれてもみくちゃになっている。
「にいちゃん!おかえり!」
「おみやげは!」
「あるある!ちゃんとあるって!」
「そうそう、ラメルさん!二週間後の七月十一日はショーの誕生日なんですよ!」
ショーの母が豪快に笑った。
「えっ、そうなんですか?」
「そうなんです!せっかくの誕生日ですからねぇ。何かドーンとお祝いしてやりたいんですよ!あっ、もちろんショーには内緒ですよ?」
「ははは、分かりました。俺も何か考えておきますね」
「頼みましたよ、ラメルさん!」
母親の勢いに押されながらも、俺は思わず笑った。
七月十一日。俺の前の世界ではラーメンの日と呼ばれていた日だ。
これは何か面白いことができそうだ。
賑やかな笑い声に包まれながら、俺はようやく旅が終わったのだと実感した。
そんな余韻に浸っていると、ふいにダルクが立ち上がった。
「さて兄ちゃん。見てほしいもんがある」
背後からダルクが木の板を抱えて現れた。
真っ黒に炭で埋まった板だ。
「店の名前の案だ。常連みんなで出し合ってな。多数決までやったんだが」
「結局決まらなかったんです」
ショーの母が苦笑いしながらカウンターの隅の小さな木箱を持ってくる。
「こっちは案の箱です。まだ案がある人が入れていって」
板には『ラメル亭』『くさうま商店』『ショーユウ亭』などがずらりと並んでいた。『ダルクの店』まである。
「ダルクさん」
「違うんだ俺が書いたんじゃねえ!」
「書いたのは誰でもいいです。ありがたいです」
俺は笑って板を受け取った。
「でも、実は店の名前はもう決まってるんです。帰り道でみんなで決めました」
「なにい!?」
店内に流れ込んでいた冒険者たちがどよめいた。
「ちょっと待ってくれ。先に箱の中身を見てくれ」
ダルクが焦ったように箱を指さした。
「俺が最後に入れた紙だ。本気の案が入ってる」
「本気の案ですか」
箱を開けると紙切れが山のように入っていた。その一番上に折りたたまれた紙が一枚。
開いてみる。
そこには大きな荒っぽい字でたった一言。
『おかえり』
「…………」
「…………名前じゃないですよね」
ユウがぽつりと言った。
「うるせえ!これが俺たち常連の本気だったんだよ!」
ダルクが耳まで真っ赤になって叫んだ。
「毎日店に通いながらずっと思ってたんだ。早く帰ってこいってな。店の名前の前に言っとかなきゃならねえだろうが」
周りの冒険者たちがにやにやと笑いながら頷いている。
胸の奥がじんと熱くなった。
「……ただいま」
もう一度ゆっくり言った。
「みなさんのおかげで帰ってこられました。本当にありがとうございます」
「おう」
ダルクはぷいっと顔を背けた。
「それで、店の名前なんですけど」
俺は店の外に出ると壁に掛けられた古い看板を見上げた。
そこには『ラーメン』とだけ書かれている。
「この店の名前は『銀の耳の食卓』にします」
「ぎんのみみ……?」
冒険者たちが不思議そうに顔を見合わせる。
「シオの耳が銀色だろ?そこから取ったんだ」
俺がそう説明すると冒険者たちの視線が一斉にシオへと集まった。
「うぅ……そんなに見ないでください……」
シオは頬を赤く染めると両手で耳を隠し、恥ずかしそうに俯いた。
「ああ、確かに銀色だな」
「言われてみればきれいな色だ」
「看板娘ならぬ看板耳ってわけか!」
「やめてください!」
真っ赤になって抗議するシオに店内からどっと笑い声が上がった。
シオは真っ赤になって俺の背中に隠れた。それでも尻尾は左右にぶんぶん揺れている。
ショーの母が裏から新しい木の板を持ってきた。
「ラメルさん字を書いてください。ちょうど新しい板を用意してました」
「ありがとうございます」
筆をとる。
大きく堂々と『銀の耳の食卓』。
その下に小さく『ラーメン』と添えた。
板を店の入口に掛けると夕焼けが木の文字を金色に染めた。
「「「おおーっ!」」」
冒険者たちから歓声が上がった。
「いい名前だ!」
「銀の耳の食卓!覚えやすいな!」
「待ち合わせにも使えるぞ」
シオはまだ俺の背中の後ろから看板をちらちら見ていた。
「……私の耳がみんなの目印になるんですね」
「そうだ」
「……ちょっとだけ誇らしいです」
小さな声だった。けれど確かに聞こえた。
翌日、銀の耳の食卓は新しい名前で初めての営業をした。
そして新メニューは海鮮ラーメンだ。
海老と蟹とホタテの殻で取った出汁に昆布と鰹節を重ね、エビとイカとホタテの貝柱、カニの爪にワカメをたっぷり入れた一杯だ。
鉄貨八枚とかなり強気の価格ではあったが行列は日が暮れても途切れなかった。
「なんだこれは!海の味がする!」
「獣臭くない!いや獣のラーメンもうまかったが!」
「甘い……これ貝か?」
「ラーメンってこんなに種類があるのか!」
冒険者たちが目を丸くしてスープをすすっている。
ウルフの野性味あふれる出汁に慣れた舌に海の出汁は新鮮だったようだ。
獣の匂いが苦手だったという新しい客も何人か混じっていた。
「ラメルさん麺が足りません!」
「わかった!ユウのお父さんお願いします!」
「…………任せろ」
厨房に無言の職人の気迫がみなぎる。
忙しく動き回りながら俺は店内を見渡した。
満席の冒険者たち。笑う仲間たち。給仕をする子どもたち。
ミヤンの街の北の外れの小さな店。
俺の居場所は確かにここにある。
再来週の七月十一日はショーの誕生日。ラーメンの日だ。
どんぶりを洗いながら俺は小さく笑った。
何か企んでおこう。
お読みいただきありがとうございます!!
豪華な海鮮具材とそれを覆い隠すほどのワカメがたっぷり入った海鮮ラーメン、鉄貨八枚で新発売です!




