閑話 名前のない店
ラメルたちが海へ旅立ってから十二日目。
北門のそばにあるボロ屋改めラーメン屋は今日も大盛況だった。
「いらっしゃいませ!三名様こちらへどうぞ!」
元気のいい声が店内に響く。
声の主はショーの母だ。
恰幅のいい体を忙しなく動かしながら次々と客を席へ案内していく。
「おかみさんラーメン二つ追加で!」
「はいよ!ちょっと待ってな!」
厨房ではユウの父が無言で麺を茹でていた。
黙々と湯切りをしどんぶりに麺を盛りつける。
その手つきはまるで熟練の職人そのものだ。
その隣ではユウの母がチャーシューを切り分け、ショーとユウの弟妹たちが小さな体で一生懸命どんぶりを運んでいた。
「お待たせしました!」
「ありがとなちびっこ!」
冒険者たちが大きな手を伸ばして頭を撫でる。
弟妹たちはえへへと照れくさそうに笑った。
店の外には冒険者たちがずらりと並び順番を待っている。
昼も夜もこの調子。
もはや街の名物と言っても過言ではなかった。
ちなみに、彼らが毎日通う理由は単にラーメンが病みつきになるからではない。
ラーメンの効果には時間制限がある。
一晩眠れば元に戻ってしまうのだ。
だからステータスを維持するためには毎日食べる必要がある。
……という建前だ。
もっとも、純粋にラーメンの味が忘れられず通い詰めている者も少なくない。
そんな大人気の店なのだが一つだけ問題があった。
看板にはいまだに『ラーメン』としか書かれていないのである。
閉店間際の夜。
いつもの常連席ではダルク一行が空になったどんぶりを前に食後の余韻に浸っていた。
「……なあ」
ダルクがぽつりと口を開いた。
「ここの店そろそろ名前があったほうがいいと思わねえか?」
「名前?」
魔法使いの女がスープの最後の一滴まですくいながら首をかしげた。
「確かに。そういえばみんな何て呼んでたっけ?」
「『あの臭い店』」
「『北門のラーメン屋』」
「『ダルクが通い詰めてる店』」
「最後の誰だ!」
ダルクが声を上げると隣のテーブルにいた鉄札の冒険者が笑いながら手を挙げた。
「いや実際に依頼の待ち合わせでも困るんだよ。『北門のあの店で』って言うと屋台と間違えることがあるからな」
「店名があれば便利ですよね」
水差しを持って通りかかったショーの母が会話に加わった。
「でしょうおかみさん!」
ダルクが勢いよく身を乗り出す。
「よし!ここは俺たち常連で案を出し合おうじゃねえか。兄ちゃんたちが帰ってきたら候補を見せてやるんだ!」
「いいわね!」
「やるやる!」
店内のあちこちから賛同の声が上がった。
誰かがカウンターから板切れと炭を持ってくる。
「では第一案!」
盾役の大男が勢いよく立ち上がった。
「『ウルフラーメンの店』!」
「そのまんまだな」
「分かりやすいだろ!」
「でも今はウルフ以外も使ってるぞ。ショーユウラーメンとか」
「あれだってウルフ出汁が基本じゃないか」
「それはそうだが……」
とりあえず一つ目の案が板に書き込まれた。
「次は俺だ!」
斥候の若者が手を挙げる。
「『ラメル亭』!店主の名前を取るんだ!」
「おおいいじゃねえか!」
「ただなあ……」
ダルクは腕を組みうんうんとうなった。
「あの兄ちゃん控えめな性格だろ?自分の名前が看板になったら赤面して逃げ出すんじゃねえか?」
「それにシオちゃんやショーくんユウくんの名前が入っていないと不公平よね」
魔法使いの女がもっともらしく指摘した。
「うーん一理あるな」
「じゃあ次は私!」
今度は魔法使いの女がにっこりと笑った。
「『くさうま商店』!」
「「「…………」」」
一瞬店内が静まり返った。
「ままあ……実際その通りではあるが」
「おいしいけど臭い。だからくさうま!」
「くさうまの何が悪いのよ!」
「いや悪くはない。悪くはないんだが……」
ショーの母が水差しを持ったまま苦笑いを浮かべた。
「うちはそんな名前は嫌ですよ。お客さんが減りそうですから」
「そうかなあ?」
「だって鼻をつまんで入ってくる人が増えそうじゃないですか」
「もういるだろ」
「そういう意味じゃなくて!」
店内に笑い声が広がった。
その後も次々と案が出された。
『北門亭』
『食うと強くなる屋』
『元気亭』
『ステータス食堂』
『獣臭堂』
『ショーユウ亭』
『ダルクの店』
「ちょっと待て!最後の誰が書いた!?」
「いやダルクさん毎日一番乗りで通ってるじゃないですか」
「確かに!」
「確かにじゃねえ!」
どっと爆笑が起こった。
「『ショーユウ亭』はいいんじゃないか?あの二人の名前はラーメンにも使われてるんだし」
「でも本人たちが聞いたら恥ずかしくて泣くわよ」
「泣くだろうなあ」
「いや泣いて喜ぶんじゃないか?」
「あいつら照れて逃げるタイプだろ」
ああでもないこうでもない。
案は次々と板に書き足されいつの間にか板は炭の文字で真っ黒になっていた。
夜も更けた頃。
ついに店内で多数決が行われることになった。
一人一票。
気に入った案に炭で印をつけていく。
「それでは結果を発表します!」
ショーの母が板を掲げた。
「『ラメル亭』七票!」
「おお!」
「『くさうま商店』七票!」
「おお……!」
「『ショーユウ亭』六票。
『ウルフラーメンの店』五票。
『食うと強くなる屋』四票。
それから――
ダルクが板を覗き込んだ。
「……同点じゃねえか」
「ラメル亭とくさうま商店が七票で同点ですね」
「うわあどっちも決め手に欠けるな……」
「決選投票するか?」
「もう一回やってもまた割れるんじゃないか?」
「だよなあ……」
ダルクはため息をつき椅子にもたれかかった。
「結局決まらねえのかよ」
「やっぱり本人たちに決めてもらうのが一番じゃない?」
魔法使いの女が言った。
「そうですね。店の名前は店主が決めるものですし」
ショーの母も頷いた。
「ラメルさんたちが帰ってきたらこの板を見せましょう。それまで案は取っておくことにします」
彼女はカウンターの隅に小さな木箱を置いた。
「これは案を入れておく箱です。まだ思いついた人がいたらここに入れてくださいね」
「おう任せとけ!」
「面白くなってきたな!」
冒険者たちは一人また一人と紙切れに新しい案を書き箱の中へ放り込んでいった。
「ところでラメルさんたちはいつ帰ってくるんだ?」
「二週間で戻るって言ってたよな」
「もう過ぎてるぞ」
「海が楽しすぎて帰ってこられねえんじゃないか?」
「まさか!」
「でもあの兄ちゃんたちならあり得るなあ」
皆が笑った。
けれどその笑顔にはほんの少し寂しさが混じっていた。
店内の一番奥。
ユウの父が麺の素の入った小瓶を棚の奥へそっと戻していた。
そして無言で鍵をかける。
その背中をダルクはちらりと見た。
(この人本当に麺の秘密を守ってるんだな……)
ふと見慣れない冒険者が厨房を覗き込んで尋ねた。
「なあここの麺ってどうやって作ってるんだ?あの黄色い色は何なんだ?」
「…………」
ユウの父がゆっくりと振り向いた。
無言。
ただじっとその客を見つめる。
「……いや何でもない」
冒険者はそそくさと席に戻っていった。
その様子を見てショーの母がくすくすと笑う。
「企業秘密ですよ」
ダルクはにやりと笑い匙を置いた。
「……よし。俺も案の箱にもう一枚入れとくか」
「まだ書くんですか?」
「おう。今度は本気のやつだ」
彼は紙切れを取り出すとさらさらと何かを書きつけ箱の中へ放り込んだ。
その紙切れに何が書かれていたのか。
それはラメルたちが帰ってきたときのお楽しみだ。
北門の空はいつの間にか星でいっぱいになっていた。
「早く帰ってこいよ兄ちゃん」
ダルクは誰にともなく呟き店の外へ出た。
夜風にほんのりと獣の香りが混じっていた。
街は今日もラーメンの匂いに包まれている。
そして北門のそばの小さなラーメン屋にはまだ名前がなかった。
お読みいただきありがとうございます!!
臭くてうまいラーメンの店。店名はまだない。




