第十九話 醤油の大樽と麺の秘密
まずは醤油だ。
ショーユウラーメンの命とも言える黒い調味料。
あの香ばしい香りと深い旨味がなければ醤油ラーメンは完成しない。
だがこの街では醤油を買うことができない。
そもそも醤油という調味料自体が存在しないのだ。
となると作り置きするしかない。
それも大量に。
「大樽を五つ用意しよう」
俺は木工屋から大きな樽を五つ買ってきた。人がすっぽり入れるくらいの大樽だ。
店の厨房に並べれば相当な場所を取るが背に腹は代えられない。
俺たちが海辺の町へ出かけている間も店を営業するには十分な量を確保しておく必要がある。
小麦は市場で、ズンダ豆とカビ米は牧場から大量に仕入れてある。
幸い、ズンダ豆は家畜の餌として扱われているため安く手に入る。
カビ米も食用としての価値はほとんどない。
前世の知識がなければ見向きもされないような材料ばかりだ。
蒸す。
炒る。
混ぜる。
塩水と合わせる。
五つの大樽へ仕込んでいく。
普通なら長い時間をかけて熟成させなければならないが、俺にはラーメンボックスがある。
仕込みを終えた樽を一つずつ収納していった。
『醸造しますか? はい/いいえ』
「よし……頼むぞ」
『はい』
『醸造を開始します。残り歩数:100000歩』
「十万歩かぁ……」
まあ醤油を作るためだ。これくらいなら何とかなるだろう。
「じゅ、十万歩……」
ユウが青ざめた。
「大丈夫だ。四人で歩けば一人二万五千歩くらい。ちょっと遠出すれば一日で終わる」
「結構ありますね……」
「まあ、いつもの冒険より少し歩くくらいだろ」
俺は軽く言ってみせたがシオはすでに嫌な予感がしているらしく俺の顔をじっと見ていた。
「ラメルさん……まさか今日一日ずっと歩くんですか?」
「そういうことだ」
「……おいしいラーメンのためですね。頑張ります……」
シオは自分に言い聞かせるように拳を握った。
翌日。俺たちは朝から晩まで歩き回った。
森を抜けて草原を横切り川沿いを歩く。
ただ歩くだけではもったいない。
途中で見つけた角ウサギを狩り薬味を摘みながら素材も集めていく。
「はあはあ足が棒だ……」
「ラメルさんのスキルが一番疲れるスキルです……」
「文句を言うな。強くなってるんだから」
「強くなるのと疲れるのは別問題ですよ……!」
ユウが息を切らしながら抗議した。
ショーも黙々と歩いてはいるものの額には大粒の汗が浮かんでいる。
シオに至っては途中から口数が減っていた。
それでも誰一人として途中で投げ出そうとはしなかった。
醤油が完成すれば店を任せられる。
そうすれば安心して海辺の町へ向かえるのだから。
俺たちは互いに励まし合いながら歩き続けた。
その夜。街へ戻ると視界にこう表示された。
『残り歩数:0歩』
「よし! 終わった!」
俺は疲れた体を奮い立たせてラーメンボックスを開いた。
大樽を五つ取り出す。
仕込みのときと同じ場所に並べてから一つ目の蓋をゆっくり持ち上げた。
ふわりとあの懐かしい香りが広がった。
「……できた」
鼻をくすぐる濃厚な香り。
大豆の旨味と発酵によって生まれた独特の風味。
目の前にあるのは間違いなく俺が知っている醤油だった。
五つの大樽になみなみと満たされた黒い醤油。
前世では当たり前のように使っていた調味料が今はこの世界で誰も知らない貴重なものになっている。そう考えると不思議な気分だった。
店の厨房の奥にずらりと並べる。
これだけあれば一ヶ月は持つだろう。
少なくとも俺たちが海辺の町から戻ってくるまでは十分に足りるはずだ。
最後は麺だ。
俺は店の厨房にユウの父とショーの母を呼んだ。
「ここからが大事な話です」
二人は真剣な顔で頷いた。
「このラーメンの麺の作り方だけは誰にも教えないでください」
「麺の作り方ですか?」
「はい。スープや具材は街の店で買える材料です。真似されても構いません。でも麺だけは別です」
俺は厨房の作業台に置かれた小麦粉を手に取った。
麺のコシ。黄色い色。独特の風味。
その全ての秘密は「かん水もどき」にある。
重曹を焼いて変化させたあの粉が小麦粉に独特の性質を与えラーメンらしい麺を生み出す。
この世界の誰も知らない製法だ。
「この小さな瓶に麺の素が入っています」
俺は木の棚に並べた小瓶を見せた。中には焼いた重曹の粉が入っている。
「これを水に溶かして小麦粉と混ぜる。それだけで麺が作れます。でもこの粉が何でどうやって作られているのかは秘密です」
「……分かりました」
ユウの父が低い声で答えた。
「麺の素は私が責任を持って預かります。誰にも見せません」
「ありがとうございます」
「秘密を守る理由はあるんですか?」
ショーの母が尋ねた。
俺は少し考えた。
「このラーメンはこれからもっと有名になります。そうなったら金儲けのために製法を盗もうとする連中が出てくるかもしれません」
俺の脳裏に屋敷で暮らしていた頃の光景が浮かんだ。
屋敷にいた頃、貴族たちが他家の特産品の製法を巡って争う様を何度も見てきた。
ものの価値を知った人間はそれを奪おうとする。
最初は珍しい料理として注目されるだけかもしれない。
だが店が繁盛すればするほど真似をしたい者も現れるだろう。
製法を盗まれればラーメンそのものの価値を脅かされることになる。
「だから麺だけは守ってください。俺が帰ってくるまで」
「任せなさい!」
ショーの母が胸をどんと叩いた。
「うちの子が元気をもらったラーメンだ。何があっても守ります!」
「私たちも!」
ユウの母も微笑んだ。
重曹は今ある分で足りているが今後のことを考えれば在庫は多いほうがいい。
そこでシオの故郷の村に手紙を出し重曹を追加で仕入れられるよう頼むことにした。
「みんな驚きますね!」
シオは故郷のみんなに知らせるのが楽しみなのか嬉しそうに手紙を書いていた。
……これで準備は整った。
翌朝。
当初の予定から一週間遅れての出発となった。
店の準備に思った以上に時間がかかったがこれで留守中の営業体制も整った。
北門の前。
四人は旅支度を整えて立っていた。
背中には旅に必要な荷物。
これから五日間の道のりを歩いて海辺の町へ向かう。帰りも同じだけの日数がかかる予定だ。
「それでは行ってきます!」
「気をつけてな兄ちゃん」
ダルクをはじめ冒険者たちが見送りに来てくれていた。
「二週間後には戻ってきます。それまで店をよろしくお願いします」
「おう任せとけ!お前らが帰ってくるまで毎日ラーメンを食いまくってステータスを上げとくぜ!」
「それは時間制限付きの効果ですよ」
「細けぇことはいいんだよ!」
笑い声が朝の空気に響いた。
いつも騒がしい冒険者たちの顔を見ていると店のことは本当に任せられそうだと思えた。
何かあればショーたちの家族を助けてくれるだろう。
ショーとユウはそれぞれの家族に手を振っている。
「母ちゃん行ってくる!」
「お父さんお母さんありがとう」
ショーの母は笑顔で手を振り返しユウの父は無言ながらも力強く頷いた。
二人とも息子たちが帰ってくる場所を守ってくれるはずだ。
シオが俺の隣でにこにこと笑っていた。
「ラメルさん、海ってどんなところでしょう」
「でっかくて、しょっぱくて、うまいものがいっぱいある」
「楽しみです!」
シオの尻尾が期待に満ちた様子で揺れている。
彼女にとっては初めて見る海なのだろう。もちろん俺にとってもこの世界の海は初めてだ。
前世では何度も食べてきた海鮮ラーメン。
カニにホタテにイカ。そしてたっぷりのワカメ。思い浮かべるだけで腹が鳴りそうになる。
この世界の海にはどんな食材があるのだろう。
前世では見たこともない魚介類がいるかもしれない。
ラーメンに使える新しい出汁や具材も見つかるかもしれない。
期待は膨らむばかりだった。
四人は街の門をくぐって東へ歩き出した。
海へ。
まだ見ぬ食材を求めて。
新たな一杯を生み出すために。
ラーメン屋台の次なる冒険が始まる。
お読みいただきありがとうございます!!
今回は海辺の町へ旅立つ前の準備回でした!
醤油を大量に仕込み、店を任せる人たちも決まり、ようやく出発の準備が整いました。
ラメルたちが留守の間も店を守ってくれるショーとユウの家族。
そして応援してくれる冒険者たち。
ラーメンを通じて少しずつ広がっていく人の輪も、この物語の大切な要素です。
さて、次回からはいよいよ海への旅!
目指すは海鮮ラーメンに欠かせない新鮮な魚介類です。
カニにホタテにイカ。そして、たっぷりのワカメ!
果たしてラメルたちはどんな食材と出会うのでしょうか?
次回もお楽しみに!




