6.ワイン? の飲み比べ
「アンガスさん……。王都のことで、お客さんに話を聞いていたんです」
「嘘だ! 今のは、オレの悪口だろ? 陽気に酔ったふりをして、陰ではオレのことを馬鹿にしていたのかよ……」
そのまま身を翻そうとした彼の元に、フレンは駆け寄った。
「待ってください! 今、民と貴族の信頼関係は揺らいでいるんです。アンガスさんが嫌われているわけではありません」
フレンは慌ててアンガスに告げた。
アンガスは、元々社交界で悪名高い人物だ。
本来なら、彼がどこで誰に嫌悪されようと、フレンには関係がない。それでも、フレンは彼をそのままにはしておけなかった。
アンガスが、放っておけないほどに傷ついた表情をしていたからだ。
ところが、アンガスは怒鳴る。
「うるさい! 結局、オレの居場所なんてどこにもないんだ。心のどこかでは、分かっていたよ」
アンガスの言葉に、フレンはぱちぱち、と目を瞬かせた。
「居場所がない……? だってアンガスさんは、フリッツさまの親友ではないですか」
「親友、ね。本当にそう思われているのか……」
「それは、どういう意味ですか? わたしが婚約破棄された場でも、アンガスさんはフリッツさまたちと一緒にいたではないですか。フリッツさまは、アンガスさんたちといると、楽しくて仕方がないって言っていました」
アンガスは、フレンから顔を背ける。
「フリッツは、どうせ自分の弱さから逃げるために、俺を利用しているに過ぎないんだよ」
アンガスが零す。
フレンは、かっと目を見開いた。
「……そのお話、もう少し詳しく教えてもらえませんか」
民のことを知るのは大切だ。同時に、ざまあという使命を帯びているフレンにとって、フリッツの弱点を把握することもまた、重要なことなのだった。
「フン、自分を振った男の弱点を知りたいってか? それなら、俺に飲み比べで勝ったら教えてやるよ」
唇を歪ませてアンガスが笑う。
直後、フレンの傍に控えていたノアが、低い声をアンガスに放った。
「黙って聞いていれば……。おそれ多くも、リース公爵れいじょ――」
フレンは背伸びして、ノアの口に手を当てた。ノアの言葉は、フレンの手のひらに遮られて、もごもごと消えていく。
「その勝負、お受けします。さあ、アンガスさんの席に行きましょう!」
フレンは、ノアから手を離し、昨日アンガスが占領していたテーブルを指す。
途端に、ノアが悲鳴のような声を上げた。
「いけません! フレン、酒は飲み方を間違えれば、危険なのです!」
「ノアったら、心配性ね。亡くなった母は、とってもお酒に強かったそうなの。わたしもきっと、その体質を継いでいるはずだわ」
フレンの容姿は、母親にそっくりだと言われてきた。ならばフレンだって、いくらでも酒を飲めるに違いない。父である公爵が酒に弱いことには頓着せず、フレンはそう考えた。
「ああ、もう……。あなたという人は……」
しばし片手を額に当てて、なにかを思案する様子を見せたノアは、切れ長の美しい目元に覚悟を滲ませた。
「では、フレンの酌は、しもべたる私が。それが、飲み比べをする条件です」
フレンはひとつ頷くと、アンガスに視線を移した。
「わたしの騎士がこう言っていますが、どうでしょうか」
「なぜそんなことにこだわるのか分からんが、好きにしろ。酒の種類は、なにがいい? せっかくだから、お前に選ばせてやるよ」
「でも、わたしはお酒のことを知りません。お任せで――」
言いかけたとき、ノアの囁き声が聞こえてきた。
「ワインワインワインワイン……」
脅迫めいた響きに、フレンは思わず、言い直した。
「ワ、ワインでお願いします……」
「おう。貴族の真剣勝負に、エールじゃ格好つかないからな。それじゃあ、早速始めるぜ!」
準備を手伝ってくる、とノアが厨房に姿を消し、やがて黒っぽいボトルをカートに乗せて戻ってきた。その量は、何本あるかすぐには数えられないほどだ。
すぐに、店主もノアと同じ色のボトルを大量に持ってやってくる。
ノアと店主は、ボトルを乗せたカートとともに、それぞれフレンとアンガスの背後に控えた。
「よし、一杯目だ!」
アンガスの掛け声とともに、ワイングラスに赤紫の液体が注がれる。
フレンの鼻腔を、みずみずしいブドウの香りがくすぐった。
「いただきます!」
ワインを口に含んだフレンは、片手で頬を押さえた。
「おいしい……! こんなに甘くて、飲みやすいなんて。ワインって素晴らしいですね!」
「えっ? この赤ワイン、初心者には渋いと思うんだけどな……」
不思議そうな顔をしたアンガスは、フレンを見るとにたりと笑った。
「ワインの度数は低くない。調子に乗っていると、足に来るぜ?」
「そうなんですか? 気をつけます」
あまりのおいしさに、一気飲みしたいのをこらえて、じっくりと味わう。
「二杯目だ!」
アンガスは、ワインをくゆらせながら、ゆっくりと口に含んでいる。
悪酔いしてはいけないので、フレンも彼のペースに合わせたが、次第に退屈になってくる。
「あの、おつまみくださいな。お店のおすすめをお願いします」
甘いワインを飲んでいると、塩気のあるものが食べたくなってくる。
給仕が持ってきたのは、茶色っぽく、細長いなにかだった。
――これは、なにかしら。
首をかたむけると、ノアが解説してくれる。
「これはソーセージといいます。豚肉の腸詰めですよ。保存が利き、安価なので、庶民の間で広く食べられています」
「ちょ、腸……」
動物の内臓を食べることに、やや怖気づいたフレンだが、ソーセージをフォークで突き刺し、思い切って口に入れる。ぱりっとした歯触りのあと、肉汁が口内に溢れた。
「んんー! とっても美味だわ! アンガスさんもどうぞ」
「ああ……。酒だけ飲むんじゃあ、体に悪いからな。一本もらうぜ」
ノアと店主にもおすそ分けして、ワインも楽しむ。
「三杯目!」
ワインを飲みながら、フレンは給仕に新しいおつまみを頼んだ。
皆で分けたから、ソーセージを一本しか食べていない。まだ、お腹に余裕があった。
出てきたのは、焼きチーズだ。
「しょっぱくて、おいしい! 甘いワインによく合うわ」
「お前、余裕だな……」
アンガスが顔を引きつらせている。
「よ、四杯目……」
フレンはワインを飲みながら、細長く切って、揚げてあるポテトをかじっていた。
アンガスが、時間をかけてワインを口に含んでいく。
手持ち無沙汰になって、フレンはアンガスに尋ねた。
「アンガスさんは、どうしてお酒を飲むんですか?」
「はあ? そこに酒があるからに決まってるだろ」
「でも、お酒は飲まなくても生きていけます。水と違ってお金がかかるし、これならジュースでも代用できるわ」
「ワインを、ジュース扱いだと……?」
アンガスは、恐ろしいものでも見るような目つきでフレンを見ていたが、やがてはあとため息をついた。
「女はどうか分からないが、男たちの間では、酒が強いと称賛されるんだよ。オレには他にとりえなんかないからな。パーティーやら酒場やらに繰り出して、オレの酒豪っぷりを見せつけているのさ」
うーん、とフレンは考え込んだ。
彼は酒の強さを見せつけた結果、ほうぼうでもめ事を起こし、『大酒飲みのアンガス』という悪名をとどろかせているのだ。称賛どころの騒ぎではないだろう。
「無理して目立たなくても、いいのではありませんか?」
「天下のリース公爵家に生まれたお前には、分からないだろうな。うちの子爵家は、先代までただの商家だったんだ。金で爵位を買っただの、成り上がりだのと、オレはさんざん馬鹿にされて生きてきたんだよ。……五杯目っ!」
いい加減、お腹がいっぱいになってきた。
フレンはワインを飲みながら、ポテトをアンガスに勧めた。
「よかったら、どうぞ。おいしいですよ?」
「これだけ飲んで、ものが食えるか! お前、どうかしてるぜ……」
ワインをくいっと飲んでから、アンガスは続ける。
「社交界では軽蔑され、酒場で酒を振る舞ってみれば、客に悪口を言われる始末。俺には、価値なんてないんだ。クッ……」
アンガスが、肩を震わせ始めた。
――な、泣いてる……?
「まさかの、泣き上戸ですか」
傍らのノアが、呆れ声を出した。
そうか、とフレンの中で、腑に落ちるものがあった。
「アンガスさんは、寂しいんですね。この酒場でお酒を配ったのも、お客さんに喜んでほしかったからでしょう。そして、仲良くしてもらいたかったのでは?」
「ああ……。貴族だとか、平民だとか、そんなの関係ない。仲間が欲しかったんだよう」
めそめそするアンガスに、飲み比べを眺めていた客たちがざわめいた。
「なあ……、ちょっと可哀想じゃないか?」
「財力を誇示してるとか、持ち上げてやってるなんて言って、悪いことしたな」
「坊ちゃん、気持ちは分かったから、もうやめとけよ。あんた、酔っぱらってるぜ」
ぽん、と客のひとりがアンガスの肩に手を置いた。
「オレを坊ちゃんって呼ぶな! それと、オレはまだ酔ってない! 飲み比べで負けられるものか。六杯目!」
何杯飲んでもおいしいワインを味わいながら、フレンはアンガスの足元を指した。
「あのう、それが足に来ているという状態なのではありませんか……?」




