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30.月光を頼りに

 ノアは、テオに教えられた場所へと疾走した。

 今日は満月、月明かりに照らされた建物はどれも荒んでおり、崩壊しかけたものもある。


 ――大陸一の栄華を誇るという王都に、こんなところがあったとは……。


 ノアがやってきたのは、石造りの大きな建物が並ぶ一角だった。


 外壁は崩れかかっているが、どれも頑丈そうで、倉庫のようにも見える。まずは旧詰所から確認したいところだが、他の建物と見分けがつかなかった。


 せわしなく周囲を見渡していると、きらり、と地面でなにかが光った気がした。


 ――なんだ……? 金属の光のようだったが。


 果たして、地面に落ちていたのは、悪趣味な金のブレスレットだった。月の光に反射して、ノアの目に入ったらしい。なんとなく拾い上げて、ノアはハッと息をのんだ。


 ――これは、フレンがリオンにもらったブレスレットだ……。


「フレン! フレン、どこかにいるのですか!」


 声を上げれば、建物の外壁についた、換気口のような穴から、可憐な声が聞こえてきた。


「ノア……? わたしはここにいるわ!」


 ――やっと、見つけた……!


「少しだけお待ちください。今助けます!」


 ノアは、建物の入り口に回る。

 扉は木製だった。鍵がかかっていて、取っ手はびくともしない。


 ――こんなもので、私を妨げられると思われては困るな。


 ノアは精鋭ぞろいの白鷺騎士団の中でも、人一倍の身体の頑強さを持っていたのだ。

 何度か体当たりをすると、扉ははじけ飛んだ。蝶番が老朽化していたことも、幸いしたのだろう。


 建物の一階に、人の気配はなかった。ノアは持っていた火打石で、小さなランプに火を灯す。


 ――フレンがいるのは、半地下だ。


 室内を見れば、古びた剣や盾が打ち捨てられている。

 どうやらここが、黒鷲騎士団の旧詰所のようだ。


 待機室なのだろう、広い部屋を一巡すると、隅に下り階段を見つけた。

 駆け下りれば、目の前には格子がある。

 途端に、ぱたぱたと軽い足音がする。


「ノアっ!」


 格子の向こうに立ったのは、間違いなく、ノアのこの世で誰よりも大切な人だった。


「フレン、怪我はありませんか」


「ええ、大丈夫よ」


 彼女の返答に安堵を得て、ノアは格子を眺める。格子には、太い鎖が巻き付けられていた。


「ごめんなさい。どうしても、この鎖を解くことができなくて……」


 申し訳なさそうにするフレンに、ノアは笑んでみせる。


「大丈夫ですよ。下がっていてもらえますか」


 フレンが数歩離れたのを確認すると、ノアは腰に佩いている細剣を抜いた。

 鎖のつなぎ目に向かって、剣を突き出す。たったそれだけで、鎖が割れた。


 何重にも巻き付けられている鎖を、気が逸って震える手で、解いていく。

 扉が開くと同時に、ノアは剣を捨ててフレンを抱きしめた。



   ****



「フレン、会いたかった……」


 ノアに抱きしめられて、フレンの目に涙が浮かぶ。

 彼の胸からは、忙しない鼓動の音が聞こえてきた。必死に、フレンを捜してくれたのだろう。


 ノアはわずかに身を離すと、フレンに怪我がないか確かめるように、頬に、肩に触れてきた。

 彼に触れられた部分が、熱を帯びていく。

 フレンの目に溜まった涙に気付いたからだろうか、ノアが息を飲む音が聞こえた。


「すみません、あなたに触れてしまった」


 彼の体が遠ざかっていくのが耐えられず、フレンは彼の騎士服の裾を引っ張った。


「ノア、ひどいことを言ってごめんねっ……。事情も聞かずに、飛び出してごめんねっ……。わたし、気付いたの」


 ノアの真摯な瞳が、フレンをまっすぐと見る。


「あなたに嘘をつかれていたとしても、それでよかったの。なにがあっても、わたしはノアのことが大好き……!」


 たちまち、視界が暗くなる。

 再びノアの両腕に囲われて、フレンは嗚咽を漏らした。


「真実を隠していて、本当にすみませんでした。白鷺騎士団を辞めて、あなたの専属騎士になったとき、私の正体を告げるべきだった。けれど私にはどうしても、それができなかったのです」


「どうして……?」


「私は十二の頃から、あなたの騎士として働くことで救われてきた。私が王弟だと明かすことで、フレンとの関係が変わってしまうことが怖かったのです」


 フレンは、ノアの腕の中で頷いた。

 ノアは続ける。


「でも、あなたと想いが通じ合うまでは、騎士として公爵家を訪ねたことに少し後悔もしていました。王弟であることは知られたくありませんでしたが、ただの男としてあなたと会えたなら、少しは意識してもらえたのではないかと。……フレンは、大層鈍かったですから」


「もう、ノアったら、反省していないでしょう!」


「とんでもない。もう、あなたに隠し事はしません。……フレン、あなたが私の全てです」


 そのとき、こほん、と咳払いの音がした。たちまち、ノアがフレンを背後に隠して叫ぶ。


「誰だ!」


「いや……。君たちにとって、今が重要な局面であることは理解しているのだが、そろそろ脱出してはどうかと思ってな」


「名を名乗れ。いつからそこにいた」


 鋭く問うノアの背中に、フレンは説明する。


「ノア、その方は黒鷲騎士団の団長さんよ。彼はひと月以上も、ここに閉じ込められていたの。団長さんは悪い人ではないわ」


 途端に、ノアの声が気まずそうな色を帯びた。


「そ、そうですか。さすが騎士団長、気配を消すのがお上手だ」


「俺はなにもしていない。ただここに立っていただけだ」


 どうやらノアは、フレンのことしか見えていなかったらしい。


「では、三人で一度、公爵家に戻りませんか? 団長さんにも休息が必要ですし」


 フレンは提案する。

 そうか、と騎士団長が深く息を落とした。


「お嬢ちゃんは、リース公爵家の令嬢か。そしてノアと呼ばれている騎士殿は、ノアレス王弟殿下なのだな」


「ああ。だが、団長をここから出す前に、聞いておきたい。あなたはなぜ、こんなところにいるのか」


「俺も今までずっと分からなかったのだが、お嬢ちゃんから話を聞かされてぴんときた。俺は、白鷺の団長の陰謀で、ここに幽閉されたのだ。汚名を着せられて。そうだな、お嬢ちゃん?」


 はい、と返事をしたフレンは、白鷺騎士団長から聞かされたことを説明する。

 白鷺の団長が、黒鷲騎士たちの横暴を許していること。

 黒鷲騎士団長が、騎士たちの給料を持ち逃げしたと偽ったこと。


「ひと月前、俺を襲ってここへ連れてきたのは、大柄な三人の男たちだった。鎧は身に着けていなかったが、おそらく白鷺の団長の手先だろう。団長は、俺を個人的に捜索していると嘘をつき、ここに閉じ込め続けた」


「しかし……。なぜ、そんなことをする必要があったんだ? 白鷺という、自前の騎士団を持っているのに、黒鷲に手を出すなど……」


「おそらく、これからなにか悪いことが起ころうとしている。とにかく、お嬢ちゃんを屋敷へ。指の手当てをしたほうがいい」


 びくり、とノアの肩が跳ねる。


「フレン、どこかに傷がっ?」


「別に、どこも痛くないわ」


 フレンはさりげなく両手を隠したものの、騎士団長が長いひげの奥で笑んだ。


「無理をするな。俺を助けたせいで、爪を痛めただろう」


 ノアに、手を取られる。

 フレンの両手の爪は、足枷と格闘したせいでひび割れ、血が滲んでいた。


「ああ……、さぞ辛かったでしょう」


 指先に、ノアがキスを落としてくる。

 微笑ましそうな騎士団長の視線に、フレンはいたたまれなくなったのだった。

 



 地下室を出ると、詰所の一階で、ノアは大剣を手に取った。


「団長、手枷についている鎖を切る。両手首を限界まで広げるんだ」


 団長がふっと笑う。


「なんだ、私の剣の腕が信じられないか?」


 ノアが、心外そうに片眉を上げた。


「とんでもない。地下牢の入り口の鎖を、細剣一突きで破壊したんだ。ノア殿の剣技はすさまじいよ。……ただ、本当に俺のことを信頼してくれたのだと、嬉しくてな」


「当然だ。フレンが貴殿に、心を許しているのだから」


 団長が腕をノアに差し出す。

 ノアは振りかぶった大剣を、迷いもみせずに振り下ろした。

 直後、騎士団長が自由になった両腕をぶらぶらと揺すった。


「まだ手枷ははまったままだが、素晴らしい解放感だ。ありがとう」


「公爵家まで急ごう。嫌な予感がする」


 そう話したノアは、フレンの前でしゃがみ込んだ。


「ノア、どうしたの?」


「疲れているでしょう。おんぶしますよ」


 自分で歩ける、と反論しようとしたものの、考えてみれば、急ぎ足の男性についていくことはできないだろう。

 素直に、フレンはノアの背中に身を預けた。一気に、視界が高くなる。


「揺れないように気をつけますから。眠っていていいですよ」


「おんぶされながら寝るなんて、子どもっぽいことはしないわ」


「そうですか? 少しでもフレンに休んでもらいたいのに、残念です」


 笑い含みのノアの声が、フレンの体に響く。

 ノアが歩き始めると、フレンは彼の首筋に顔を寄せた。すぐに、眠気が押し寄せてくる。

 


「フレンを保護した。屋敷へ報告を」


「かしこまりました。お嬢さま、よくぞご無事で……」


 ノアと、聞き慣れた公爵家の私兵の声がする。

 フレンからも、私兵に声をかけたかったけれど、あまりに眠くて目が開かない。


「フレン、街角で私兵と行き会いましたよ。これでもう安心です」


 小さな声で語りかけてくるノアには、きっとフレンがうとうとしていることはお見通しなのだろう。

 ゆらゆらと心地いい動きに、ノアの温かい背中。甘やかな眠りに身を浸すこと、しばし。


「フレン!」


 夢見心地の中、明るい声がした。


「アンガス。せっかく眠っているんだから、起こしちゃだめっす」


「怪我はないの? あとが残ったら、可哀想だよ」


 ああ、とノアの声が響く。


「テオ、心配はいらない。手を痛めているが、手当てすれば治るだろう」


「ああ、爪を割ってしまったのね。大丈夫よ、傷が治ったら、あたくしが綺麗に形を整えてあげるから」


「エスタは爪紅を塗ってあげるのです! 絶対ピンクにするです」


「色は、フレンに選ばせてあげてくれ……」


 ノアが息をつく。

 そのとき、兵の声がした。


「ご報告申し上げます! 王宮で、謀反が起こりました! 現在、白鷺騎士団と黒鷲騎士団が交戦中!」


 その衝撃的な内容に、フレンは全身を覆っていた眠りの膜を引きはがした。


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