29.フレンの専属騎士
「あなたが、姿を消したという団長さん……。よかった、ご無事だったのですね」
黒鷲騎士団長は首を縦に振る。
「俺が失踪したことで、騎士団員には迷惑をかけただろうな。民の暮らしに、影響はなかっただろうか」
やはり、とフレンは確信した。彼は、悪人ではない。言いにくいが、真実を伝えなければ。
「影響というか……。今、黒鷲騎士団は暴走しているんです。民からお金を巻き上げたり、薬草を買い占めて転売したり」
「なんと! それは事実か」
「はい。白鷺騎士団の団長さんは、あなたが騎士たちのお給料を持ち逃げしたのだと話していました。だから、自分でお金を稼ぐために、好きに振舞えと騎士団員に命令したのだと」
ガシャン、と激しい音が室内に響く。
見れば、騎士団長が拳を床に叩きつけていた。彼の両手首は、鎖のつながった手枷でいましめられている。
「あいつめ……! 許さん!」
「あなたは、白鷺の団長さんと知り合いなのですか」
「ああ。同期に騎士団に入隊し、ともに研鑽を積んできた。だが、俺は貧乏男爵家の出身、奴は伯爵家の出でな。家格の違いから、白鷺と黒鷲、別々の道を歩んだ」
「白鷺の団長さんは、あなたと長年の友人なのだと話していました。騎士たちの賃金を盗んだあなたを庇うために、個人的に捜していると」
「それは違う。あいつは権力欲にとりつかれ、自分の言いなりになる騎士を側近に取り立てた。俺とあいつは、何年も前に袂を分かったのだ。……お嬢ちゃんには、信じてもらえないかもしれないが」
フレンは首を横に振った。
「いいえ。わたしはあなたが、民のことを気にかけずに逃げるような人ではないと思っていました。他ならぬ民から聞きましたもの。あなたは団長という地位にあるのに、よく市街地を巡回していたと」
「ありがとう、お嬢ちゃん……。この建物は、昔に閉鎖された黒鷲騎士団の詰所でな。お嬢ちゃんの前にある格子は、実は右端の一本が歪んでいる。お嬢ちゃんの体格なら、抜け出せるはずだ。逃げなさい」
見れば、確かに隅の格子の一部分だけ、隙間が広くなっていた。
「やってみます!」
フレンは格子の前で両手足をつくと、その隙間に体を滑り込ませた。
途中、胸がつっかえたが、なんとか牢の外側へ出る。
「団長さんも! 一緒に逃げましょう」
フレンは彼の元に駆け寄るが、はっと息を吸った。
騎士団長は、両手首を手枷と鎖でつながれているうえに、片足には足枷がはめられていた。
足枷は鎖につながっており、その端は石壁に固定されている。
「俺のことはいい。ここから出て、恐ろしい陰謀のことなど忘れてしまいなさい」
「嫌です! わたし、あきらめません!」
フレンは、表面の割れた石壁の欠片を拾うと、騎士団長の元へ戻る。
ひと月以上も、騎士団長を抑制していたのだ。足枷の金属は錆び、継ぎ目が緩みつつある。
フレンは騎士団長の足元にしゃがむと、足枷のつなぎ目に欠片を挿し込んだ。
「よせ、手に怪我をする」
「いいんです。もう少しだけ、我慢してくださいね」
足枷と格闘しているうちに、フレンの頭をよぎったのはノアの姿だった。
ノアはどんな思いで、自分の正体を隠していたのだろうか。
一緒に幸せになろう、と告白してくれた彼の想いは、本当に偽りだったのか。
『わたしに触れないでっ!』
『ついてこないで』
フレンが言葉を叩きつけたときの、彼の表情が忘れられない。
――ノアは辛い過去を背負っていたのに。わたしは、なんてひどいことを言ってしまったの……。
孤独に生きてきた彼は、フレンの発言にどれだけ傷ついただろうか。
あまりの後悔に、たちまち視界が潤む。
「ひぐっ……」
「おっ、おい、泣いているのか? 手が痛いんだな?」
「違います……」
もう、ノアに会えなかったら。
フレンより頭ひとつ分以上背の高い彼は、よく身を屈めて、目線を合わせてくれたものだった。空色の目を細めて、微笑みかけてくれる彼。
いつも物腰穏やかで、フレンの傍にいてくれた。
もしもノアが、フレンのことを裏切っていても、利用していたとしても。
――それでも構わないわ。わたしはやっぱり、ノアのことが好き。
足枷に、隙間ができた。石の欠片は折れてしまい、もう役に立ちそうもない。
フレンは両手の爪を立てると、渾身の力で隙間を広げた。
「やめろ! 爪が剥がれるぞ!」
「気にしないでください。今のうちに、足を引き抜いて!」
騎士団長が、枷から足を抜いていく。彼も苦悶の表情を浮かべているから、皮膚を傷つけているのかもしれない。
やっと騎士団長の足が自由になったときには、窓から差し込む夕日は消えかかっていた。
「お嬢ちゃん、感謝する……! ここは、詰所の半地下だ。早く逃げよう」
ところが、階段前にも格子が立ちふさがっていた。
取っ手は鍵ではなく、鎖で何重にも縛られている。
「これほど厳重に閉じ込めるとは……。敵は、よほど俺たちのことが邪魔らしいな」
「まだ、夕食前ですよね? 相手が、食事を持ってきたときにやっつけるというのはどうですか?」
「いや。奴らは、毎朝一度だけやってきて、三食分の食料を置いていく。しかも、複数人でだ。さすがに俺も、手首を縛られたまま何人も相手にするのは難しい」
では、なんとしても夜中にここを脱出しなければならないのだ。
フレンは、壁の上部に取り付けられた窓を見上げた。
「……騎士団長さん、わたしを肩車してもらえませんか」
「それは構わないが……。なにか、策でもあるのか?」
フレンは、懐の中を確かめる。
そこには、リオンからもらったぎらぎらと光る、黄金のブレスレットが入っていた。
少し――、いや、大いに趣味に合わなかったので、ブレスレットをはめたことはなかったのだが、せっかくのもらい物なので、いつも懐に入れていたのだ。
――この金ぴかのブレスレットなら、月の光にも反射するはずだわ。
騎士団長はフレンを肩に乗せると、すっと立ち上がった。
「ごめんなさい、重いですよね」
いくら元が頑強な騎士とはいえ、彼はひと月以上も体を動かす機会がなかったのだ。筋力が衰えていて当然だろう。
しかし、騎士団長はこれを否定した。
「鎖でつながれていても、ある程度鍛えることはできる。それに、お嬢ちゃんは軽すぎるな。君は貴族だろう。従者はなにをやっていたんだ」
「わたしの傍にいてくれた人は……、とても、優しくしてくれました。……もう、それも終わりかもしれないけれど」
それでも。
ノアがもしもフレンを捜してくれたとしたら、このブレスレットに気付いてもらえるかもしれない。
「わたし、彼を信じようと思います。だから、騎士団長さんもわたしを信用してください」
フレンは懐からブレスレットを取り出すと、それを窓の外へと放り投げた。
****
ノアは王都を奔走したが、フレンの居場所は分からなかった。
空き家などの使われていない建物があれば、鍵を壊してでも中を改めたが、彼女の痕跡は見つからない。
やがて深夜になり、ノアは公爵家の屋敷へと戻った。
出迎えてくれた執事によれば、帰宅した公爵も半狂乱になってフレンを捜索しているらしいが、やはり彼女の足取りすらつかめないようだ。
ノアの部屋に入ると、そこには疲れた顔で五人衆が集まっていた。皆、思い思いに腰を下ろしている。
アンガスが口を開く。
「よう、ノア。やっと帰ってきたか。皆待っていたぜ」
「すまない。フレンのことを思うと、気ばかりが焦ってな」
「その気持ちは分かる。でも……。悪い。俺は、大した情報を得られなかった」
アンガスは、馴染みの酒場を何軒か回って、手掛かりを得ようとしたと話した。
「酒場の連中はそもそも、フレンと同年代の少女を見かけていないらしい。聞けたことといったら、数日前からぱったりと黒鷲騎士の姿を見なくなったという話だけだ。……ああ、代わりに時折、白鷺騎士たちが町をうろついているらしい」
リオンが、小さく挙手をする。彼は賭場に行ったらしい。
「黒鷲騎士団といったら、何年か前に詰所を移転したらしいっす。団長の肝いりで新しくしたらしいっすから、その時代の黒鷲はまともだったんだろうって、賭場の客が。……こんな話、フレン嬢捜索の役には立たないっすね」
そういえば、とテオが話し始めた。テオは、顔なじみの女の子たちから情報を集めたという。
「黒鷲騎士団の、旧詰所の話なら聞いたことがあるよ。下町よりもよっぽど寂れたところにあって、女の子たちは絶対に近寄らないようにしているって」
座る場所がなかったのか、男の椅子に座ることを嫌ったのか。
テーブルの上に腰かけたマリガが、ノアを見る。
「王都の監視をしていた公爵家の私兵が、今日の昼頃、白鷺騎士団の馬車を見かけたらしいわよ。相手は馬車だし、見とがめられたら厄介だから、追いかけられなかったらしいけれど」
それなら、とマリガの隣に座るエスタが、ぷらぷらと足を揺すった。
「公爵家の私兵たちは、フレンが自分から姿を消した可能性も考慮して、女の子が行きそうな場所を確認しているらしいのです。でも、捜索を始めてからずいぶん時間が経ったから、そういった所は除外してもいいと思うのです」
うーん、と一同は腕を組む。
「フレンの目撃情報なんて、ひとつも得られなかったな」
ため息をつくアンガスに、いや、とノアは首を振った。
「私の正体を、フレンに暴露したのは白鷺の騎士団長だ。白鷺騎士団が、フレンに悪意を持っていてもおかしくない」
「それは、ノアの逆恨みからくる妄想じゃないっすか?」
リオンの言葉を、ノアは黙殺する。
「でも、寂れて人の近づかない場所っていうのは怪しいんじゃない? 人を閉じ込めるのにぴったりだよ」
そう話すテオに、マリガが首肯する。
「確かめる価値は、ありそうね」
「もしもそんな場所にさらわれたとしたら、エスタだったら怖くて泣いちゃうです」
五人衆は、一斉にノアを見ると、声を上げた。
「行ってこい、フレンの専属騎士!」




