28.拒絶
ノアは、フレンのことなど愛していない。
そう言い放った騎士団長は、応接室を出て行った。
あまりの衝撃に、放心したままどれほどの時間が経っただろうか。
突然、応接間の扉が勢いよく開いた。
「フレン! よかった、ここにいたのですね……」
息を弾ませて現れたのは、ノアだ。
「ノア……。なぜここに?」
「あなたの行く先がどうしても気になって……。公爵家の御者から、歩いて出かけたと聞いたので。タウンハウスから徒歩で行けるところなど、王宮しかありませんから。方々捜しました」
「それは申し訳なかったわ。……ねえノア、あなたの本当の身分は、王弟殿下なの? 名前はノアではなく、ノアレスなの……?」
フレンの問いに、ノアは声を掠れさせた。
「フレン、なぜそれを……」
「騎士団長さんが、教えてくれたわ。ノアが告白してくれた想いは、偽りだったの……?」
「そんなことはありません! 私はフレンのことが……」
ノアの手が、フレンの頬に伸びてきた。
フレンは反射的に叫ぶ。
「わたしに触れないでっ!」
にわかに、ノアの表情が凍り付いた。
「夕方までには、屋敷へ戻るわ。ついてこないで」
ひとりで、気持ちを整理する時間が欲しかった。
フレンは詰所を飛び出すと、王宮の門を出る。
美しく整備された路をとぼとぼ歩きだしたとき、街路樹の影から男が飛び出してきた。
「何者です。下がりなさい!」
凛と告げたものの、男は瞬きの間にフレンの前にやってくる。
直後、フレンは腹部に衝撃を感じた。
当て身をくらわされたのだ、と理解したときには、フレンの意識は闇に沈もうとしていた。
****
――私の正体が、フレンに知られてしまった……。
ノアは騎士団の詰所を出ると、重い足取りで公爵家のタウンハウスへ戻った。
心配そうな顔をした御者が、玄関の前に立っている。
「ノア殿、お嬢さまはご一緒ではないのですか」
「……夕方までには、屋敷に戻るらしい」
ため息をつくように話したノアに、御者が眉をひそめる。
「ノア殿、ひどい顔色です。お嬢さまのことは、俺がここでお待ちしていますから、あなたは部屋でお休みください」
「しかし……」
「お帰りになったときに、ノア殿がそんな顔をしていたら、お嬢さまはきっと、心を痛められるでしょう」
感謝する、と御者に小さく頭を下げて、ノアは自室へ向かった。
フレンが用意してくれたノアの部屋には、必要なものが遺漏なく揃えられていた。
ノアが専属騎士になったとき、彼女は大喜びで、自ら部屋の準備をしてくれたからだ。
――だが、フレンはもう、私を必要としてくれないかもしれない……。
ノアは壁を背に、ずるずると床に座り込んだ。
どれくらいそうしていただろうか。
部屋にノックの音が響いて、ノアは立ち上がった。
扉を開けると、廊下に立っていたのは侍従だ。
「フレンが戻ったのか?」
「いいえ、お嬢さまに来客が。ご不在だと伝えると、ノア殿にお会いしたいと仰っています。お通ししてもよろしいですか」
ノアが首肯すると、姿を現したのはアンガスだった。
「よう、専属騎士」
「なんだ。誰かと思えば、貴様か……」
ノアは、ふうと息をついた。アンガスが、フレンに飲み比べを持ちかけたことを、ノアはまだ根に持っているのである。
「お前を残して、フレンはどこへ行ったんだ? フレンが気に入っていたおつまみを持ってきたっていうのに」
「貴様には関係ない」
アンガスが、ノアの顔を覗き込んでくる。
「なんだよ、暗いな。……もしかして、フレンに振られたのか?」
ノアはなにも言い返せずに、押し黙った。
「本当かよ! こうしてはいられないぜ。ちょっと待ってろ」
いちど屋敷をあとにしたアンガスは、二人の男を伴って戻ってきた。リオンと、テオである。
「ノアがフレン嬢に振られたと聞いて、やってきたっすよ! というか、二人が付き合っていたことを知らなかったっす!」
「ボクはフレン嬢とノアの気持ちに気付いていたよ。でも、ノアと別れたなら、ボクにも望みがあるということかな?」
ノアは、床に座り込んだまま口を開いた。
「どうして、貴様たち三人が訪ねてくるんだ……。もしも私が、フレンの騎士をクビになったら、貴様たちとはなんの関係もなくなるというのに」
男三人は、ノアには構わず、部屋にある椅子や寝台にどっしりと腰かける。
「別に、ノアのことを気にかけているわけではないっす」
「フレン嬢とノアがすれ違ったのには、必ずわけがあるはずだよ。フレン嬢がボクたちを救ってくれたように、ボクたちも彼女の力になりたいんだ」
リオンとテオの言葉に、ノアはゆるゆるとかぶりを振った。
「理由も何も。フレンは私のことが、嫌いになったんだ。もう取り返しがつかない」
そのとき、新たに二人の人物が入室してきた。マリガと、エスタである。
「聞いたわよ。あんたたち、両想いになったのではなかったの?」
「てっきり、今頃は恋人同士として、甘い時間を過ごしているのだと思っていたのです」
彼女たちの言葉に、リオンがフフッと笑う。
「見るっす、ノアの情けない顔。ノアは以前、僕に『めそめそした男は嫌いだ』と言ったんすよ。なのに、自分がいちばんめそめそしているっす」
マリガが、腕を組んだ。
「それで、なにがあったのよ。あたくしたちにも寛容だったフレンが人を拒絶するなんて、よっぽどのことよ」
「……私が隠し事をしていたことを、フレンに知られてしまったんだ。フレンは、『わたしに触らないで』『ついてこないで』と……」
我ながらうじうじした口調で、ノアは説明する。
エスタが肩を竦めた。
「振られた自分を憐れんでいないで、フレンの気持ちを一番に考えるのです。ノアの隠し事なんてどうでもいいですが、フレンはきっとそのことで、とってもとっても傷ついたのです」
そうだそうだ、と残りの四人がエスタに同調する。
フレンが可哀想だ、フレンを大事にできないなら騎士など辞めちまえ、と散々な言われようだ。
ノアをさんざん罵倒したあと、マリガが眉をひそめた。
「ねえ、侍従から聞いたんだけれど、フレンは夕方までには帰ってくるのではなかったの?」
はっと息を吸って窓の外を見れば、既に日は沈もうとしていた。
「フレン……!」
公爵は今、登城していて屋敷にいない。
ノアは越権を承知で、公爵家の私兵たちにフレンの捜索を命じた。
もしもフレンが時間を忘れていて、ひょっこり帰ってきたとしても構わなかった。
取り越し苦労でいい。フレンの安全が、なによりも優先されるのだから。
「私もフレンを捜しに行く。皆はもう、家へ帰ってくれ」
ところが、男三人は首を横に振った。
「オレたちも捜索に加わる。王都で情報収集しているから、フレンが見つかったら伝令を寄越してくれ。もしもフレンの行方が分からなくても、深夜に一度、この屋敷に集まろう」
アンガスの言葉に、リオンとテオが応じた。
「じゃあ、あたくしとエスタはここで待機しているわ。傷心のフレンが、いつ帰ってきてもいいように」
「エスタたちが、フレンを慰めるのです。ノアの悪口をいっぱい言って、フレンを笑わせてあげるのです」
分かった、とノアは短く返事をすると、屋敷を飛び出した。
****
フレンが目を開けると、辺りは薄暗かった。
身を起こすと、殴られた腹部がわずかに痛んだが、どうやら怪我はしていないようだ。
フレンが転がされていたのは、石造りの部屋だった。かび臭いにおいが、フレンの鼻をつく。
壁の上部には、細い窓がある。そこから、朱の日差しが差し込んでいた。
フレンの目の前には、いかめしい格子。
「お嬢ちゃん、目が覚めたか」
しわがれた声に、フレンはおそるおそる、格子の外に視線をやった。
フレンの牢の向かいにいたのは、五十代ほどの男性だった。
髪と髭が伸びていて、表情は窺えない。
格子で隔てられているとはいえ、男と同じ部屋にいることに、フレンは体を固くした。
ところが男の発言は、温かいものだった。
「お嬢ちゃんは、昼頃ここに連れてこられて、今まで意識を失っていた。どこか痛めてはいないか?」
フレンは肩の力を抜くと、答える。
「はい、大丈夫です。あの、あなたは?」
「俺は、黒鷲騎士団の団長だ。ひと月以上前から、ここに閉じ込められている」




