27.ノアの正体
それから数日、フレンはふわふわとした気分でときを過ごした。
――ノアと両想いになったなんて、今でも信じられないわ……。
屋敷の中でノアは普段通り、フレンの騎士として振る舞っているので、なおさら実感がなかった。
今は昼過ぎ、フレンの私室で、ノアは壁に控えてくれている。
――落ち着くのよ、わたし。ノアは騎士の仕事を頑張ってくれているんだもの。わたしも貴族として、できることを探さないと。
自分に言い聞かせたとき、フレンの頭には、茶会で見かけた騎士団長の姿が蘇った。
――そうだわ。黒鷲騎士たちが起こしている問題を、ちゃんと解決しないと。
公爵家の私兵やテオから、今のところ騎士たちが大人しくしている旨の報告を定期的にもらっていたから、安心してしまっていた。
――でも、間違いは根本から正さないといけないわ。
薬草店で横暴に振舞っている騎士の言葉を思い出す。
『俺たちはな、王都でなにをしようが許されているんだよ』
『騎士団長殿、直々のお達しだからな』
そして黒鷲騎士たちは、あなたたちの背後にいるのは白鷺騎士団長なのか、というフレンの問いにこう答えた。
『万が一、そうだとしても、お前たちにはなにもできまい!』
――やっぱり、白鷺の団長さん本人から話を聞かないと、どうにもならないわ。
そのとき、執事が一通の手紙を持ってやってきた。
「お嬢さまに、お手紙が届いております。差出人は分かりません。王宮の封蝋が使われておりましたので、中身を改めることができませんでした。お気を付けください」
執事の仕事には、主の手紙の管理も含まれる。
本来なら、危険物が入っていないか、偽造されたものではないかを確認するために、主に先んじて執事が手紙を確認する。
ところが、王宮の封蝋が使われた手紙だけは、主が自ら開けるものと決まっているのだった。
フレンは執事にお礼を言うと、差し出されたペーパーナイフで封筒を切った。
中から出てきたのは、たった一枚の便箋のみ。
嫌な予感がして、フレンは部屋の隅に立つと、ノアや執事に見えない角度で手紙を読み始めた。
冒頭には、唐突に連絡を寄越した無礼を詫びる旨が書かれている。その次は――。
『フレン嬢。貴女の専属騎士のことで、重要な情報がございます。
貴女は、自らの騎士について知るべき立場におられる。
貴女と騎士との関係を周囲に漏らされたくなくば、おひとりで王宮まで来られたし』
差出人の欄には、白鷺騎士団、団長の文字があった。
――なに、これ……。わたしとノアの関係って、両想いになったということ……?
本来なら、王宮へ向かう必要があるかどうか、執事やノアに相談しなければならないだろう。
しかし、『騎士との関係』という文章が、フレンを思い留まらせた。
「フレン、手紙にはなんと?」
「信頼できる相手からのものでしたか?」
ノアと執事に尋ねられ、フレンはええ、とあいまいに頷いた。
重要なのは、ノアとの関係のことだけではない。
フリッツに婚約を破棄され、フレンはただの貴族の娘に戻った。
王宮へ伺候することがなくなった以上、騎士団長との接点はないのだ。
――でも今なら、騎士団長さんから直接話を聞けるわ。
民を困らせている騎士たちの行動も、解決してもらうことができるかもしれない。
フレンは騎士団長からの手紙を懐に入れると、強いて笑みを浮かべた。
「わたし、ちょっと行くところができたの。これから出かけてくるわ」
「では、お供いたします」
一歩歩み出たノアを、フレンは両手で制した。
「だめ! ノアはお留守番よ」
「フレンの命令でも、それはできかねます。私が邪魔なようでしたら、目立たないところに隠れておりますから」
「それも遠慮するわ。ええと、女の子には、ひとりで行動したいときがあるの!」
マリガとエスタとのやり取りから、フレンは察していた。
ノアは、「女の子」という言葉を出されると、身を引くのだ。
「女の子……? 男には知られたくない事柄なのでしょうか」
「そんなところよ。では、行ってきます!」
案の定、ためらう様子のノアに手を振って、フレンは屋敷をあとにした。
公爵家の馬車を使うと、行き先がばれてしまう。
どこへでもお送りします、と訴えてくる御者の申し出を断り、徒歩で王宮へ。
王宮の門の前には、白鷺の騎士団長が立っていた。
「よく来られた。ついてこられよ」
「ひとつだけ、お願いを。男性と二人きりになることはできません」
「心配はいらない。これから行くのは、貴女の騎士も使っていた、白鷺騎士団の詰所だ。周囲には騎士たちも、メイドもいる」
それなら、とフレンは騎士団長のあとに続いた。
騎士団の詰め所は、王宮の城壁沿いをしばらく歩いたところにあった。
石造りの大きな建物で、周囲は訓練場になっているようだ。
そこには木の人形に向けて剣を振り下ろす騎士や、洗濯物を持って忙しそうに立ち働くメイドの姿があって、フレンはわずかに安堵した。
騎士団長に連れられてやってきたのは、詰所の応接間だという場所だった。
騎士団長は、扉を小さく開けたままにする。
「これで、密室にはならない。貴女も話に集中できるだろう」
フレンは首を縦に振った。
彼がなにを企んでいるのかは分からないが、女性に対する最低限の礼儀は心得ているようだ。
「騎士団長さん、あなたに伺いたいことがあります」
「貴女が我に? 専属騎士の情報を聞きに来たのではないのか」
「ノアのことなら、彼に直接聞きます。本人のいないところで話をするのは、卑怯だと思うので」
「ほう、気高いな。あの男に忠誠を誓われるだけのことはある」
フレンは騎士団長の話には構わず、彼に尋ねた。
「黒鷲騎士たちが、街で狼藉を働いていることはご存知ですね? それを許容しているのは、あなたなのではありませんか」
「どこでその情報を掴んだのかは知らぬが、ここへ来た褒美に教えてやろう。その通り、黒鷲騎士たちには、我が好きに振舞えと命じた。自分の賃金は、自分で稼げとな」
「お金……? ご冗談を。黒鷲騎士は公職にあるのですから、お給料は国から出るに決まっているではありませんか」
騎士団長が、にたりと笑う。
「貴女の話はもっともだが、事情があってな。……黒鷲騎士団長が、騎士たちの給与を持ち逃げしたのだ。行方は一向に知れず、やむなく、黒鷲騎士団の上位組織である白鷺騎士団の団長たる我が、騎士たちに金を稼いでよいと許可をやったのだ」
「それはおかしいです。国王陛下に報告し、ご指示を仰ぐべきでは? 黒鷲騎士たちだって、本来もらえるはずだったお給料をもらえるでしょう」
「この件が公になれば、黒鷲の団長は大々的に捜索され、見つかればどんな罰を与えられるか分からない。我は、奴と長年の友人でな。大切な友を告発するなど、できないのだよ」
ゆえに、職務の合間を縫って、個人的に黒鷲騎士団長を捜しているのだと、彼は話した。
「この件は、持ち帰らせていただきます。騎士団の事情は、わたしには分かりません。でも、王都の民が犠牲になるのは、あってはならないことです」
くっくっ、と騎士団長が笑った。
「家に戻って、専属騎士に相談するか。それもよかろう。あの男はその気になれば、王国のどんな事件にも口出しできる立場にあるのだから」
彼の言葉に、フレンは意表を突かれた。
「ノアは有能ですが、今は公爵家の騎士です。貴族に雇われている騎士に、そこまでの権力はないと思いますが……」
ハハッ、と騎士団長が声を上げて笑った。
「貴女は本当に、なにも知らないのだな。あの男の名は、ノアではない。ノアレス・アーデル。それが貴女の専属騎士の、本名だ」
騎士団長の告げた名には、聞き覚えがあった。アーデルは、王族の姓だ。
そして、ノアレスという名――。
「それは、王弟殿下のお名前ではありませんか……?」
「さすが、王太子の元婚約者なだけはある。幼い頃に隠居し、以降一切公式な場に姿を現さなかった王族の名まで覚えているとは」
騎士団長の話す通り、ノアレスという王弟は、名前が王家の家系図に載っているだけのような存在だった。
現王の、年の離れた弟で、わずかに聞こえてきた噂によれば、大変な人嫌いだという。王宮の一室にこもって出てこないのだとも。
「でも……、ノアは、子どものころから白鷺騎士として働いていました。ずっと、わたしを守ってくれて……」
「さよう。あの男が、なぜひとりだけ兜をつけていたか分かるか。……あの、鮮やかな金の髪。王太子さえ引き継げなかった王族の証を隠すためだ」
「あれは、先祖返りなのではなかったの……? はるか昔、王家と血がつながっていたかもしれない家の出身だからって……」
騎士団長は膝を打った。
「なるほど、あの男はそう言って、貴女を騙していたのか。……リース公爵令嬢、まだ分からぬか? あの男は、貴女を隠れ蓑にしていたのだよ。その証に、貴女が婚約破棄をされると、公爵家にまでついて行った。王族の義務を果たさず、のうのうと暮らしたかったのだろう」
「そんなはずはありません。王弟の身分のままでいたほうが、よほど贅沢できるではありませんか。鎧で姿を隠す必要なんて、なかったはずだわ」
「王弟は、父である先代国王から冷遇されておったのだよ。母親である側妃を早くに亡くし、食事にありつくためには、騎士に紛れるしかなかった。現国王も、弟を疎ましく思っておってな。王宮に居場所など、なかったことだろうよ」
フレンは言葉を失った。いつも穏やかなノアが、悲しい過去を抱えていたなんて。
「それがどうだ? 公爵の愛娘の専属騎士になって、今あの男はどんな暮らしをしている? おおかた、客人対応で主人たちと美食に興じ、ちやほやされておるのではないか。あの容姿を活用して、甘い言葉を囁き、娘と将来を誓い合ったかもしれぬなあ?」
「どうして、それを……」
「以前、貴女たちと商店街で会ったことを覚えているか。あのとき、ぴんときたよ。いつも、しかめっ面どころか、兜で顔を隠しているような男が、貴女にだけは笑いかけていた。これは、裕福な令嬢を懐柔させるつもりだと」
フレンは一歩、後ずさった。
「ノアに限って、そんなことを考えるはずがありません! 彼は本心から、わたしのことを好きだと言ってくれたんです」
「ならばどうして、大切な恋人に自分の正体を告げなかった? 答えは簡単だよ。王族だとばれて、王宮に連れ戻されたくなかったからだ。あの男は貴女の隣で、紳士然としながら、内心ではほくそ笑んでいたことだろう」
フレンは、ゆるゆるとかぶりを振った。
「そんなの、嘘に決まっているわ……」
「まだ分からぬか? あの男は、貴女のことなど愛していなかったのだよ!」




