20.センスないダンス
厨房の入り口でノアともめていると、慌てた様子で執事がやってきた。
「お嬢さまに、お客様が二人いらっしゃいました。先触れがございませんでしたので、お通しするか迷っているのですが……。若い女性で、マリガとエスタと名乗っておられます」
フレンは、ぱっと笑みを浮かべた。
「きっと、『魅惑の蝶マリガ』さんと、『狙い系天然エスタ』さんだわ! お通しして。……いいえ、わたしが玄関まで行くわ!」
フレンはエプロンを取る暇も惜しみ、速足で玄関へ向かった。
ノアがあとをついてくる。
「待ってください、フレン! その二人は、フリッツがあなたの代わりに王太子妃にするとのたまっていた人物ではありませんか。会わないほうがいい」
「あら、どうして? わたし、お二人と話してみたいと思っていたのよ。将来の王太子妃としての、引継ぎもしないとね」
屋敷一階の奥まった場所にある厨房から、吹き抜けになった玄関ホールへ。
ホールには、豪奢なドレスを身にまとった女性が二人、立っている。
「お待たせしました。フレンでございます」
フレンがカーテシーすると、まずは赤いドレスの少女がフン、と鼻を鳴らした。
「リース公爵家の娘ともあろう者が、ずいぶん貧相な格好をしているのね。あたくしはマリガ。フリッツのことは、あんたの代わりに可愛がってやっているわよ」
赤い口紅に爪紅、昼間だというのに露出度の高い衣装を身にまとった彼女は、妖艶に笑う。
「ありがとうございます。フリッツさまは、わたしといると窮屈だったようなので。マリガさんのような素敵な方が一緒だと、きっと楽しいと思います」
「はあ……? あんた、なに言ってるの?」
マリガが、怪訝そうな顔でフレンを見つめてくる。
「二人とも、エスタのことを忘れていませんか? エスタだって、フリッツと仲がいいのです。エスタを仲間外れにしたら、ぷんぷんしちゃいますよ!」
そう話して頬を膨らませたのは、フリフリのピンクのドレスを着た、愛らしい少女だ。
「もちろん、エスタさんのことも覚えていますよ。フリッツさまは幸せ者ですね。エスタさんみたいな可憐な方が、傍にいてくれるんですもの」
「可憐? それって、エスタのこと?」
「はい。エスタさんもマリガさんも、中へどうぞ。……そうだわ、今、お菓子作りをしているんですが、お二人もどうですか」
問いかければ、マリガが唇を曲げた。
「そんな面倒くさいこと、するわけないじゃない。菓子なんて、使用人に作らせておけばいいのよ」
「でも、お菓子はフリッツさまのために作っているんですよ。お二人からもフリッツさまにプレゼントしたら、喜ばれるのではないでしょうか」
「あいつは、あんたのことを手ひどく振ったのよ。前回の花束もそうだけど、どうしてフリッツに贈り物なんかするの?」
不審そうに尋ねてくるマリガに、フレンは微笑んでみせた。
「昔交わした、フリッツさまとの約束を果たすためです。安心してください、贈りものはこれが最後です。お菓子さえ食べてもらえたら、わたしはもうフリッツさまに関わることはないでしょう」
エスタが、フレンの顔を覗き込んだ。
「フリッツのことを、諦めるのです? 本当に?」
「ええ。あとのことは、お二人に託します。せっかく来てくださったんですもの、厨房へ」
さあさあ、と二人を案内しようとすると、マリガがノアを見て目を輝かせた。
「なんてイケメンなコックなの……! ねえあなた、あたくしの家にいらっしゃいな。高賃金で雇ってさしあげてよ」
「どいて、マリガ! ……コックさん、エスタ、なんだかお腹が空いちゃったなあ。コックさんになにか作ってもらいたいのです」
エスタがうるうると、ノアを見上げる。
「お断りします。私はフレンの専属騎士ですので。私に命令できるのは、この世でフレンひとりだけ」
「コックが、騎士……?」
「この人、なにを言っているですの?」
ノアの言葉に、マリガとエスタが唖然としている。
フレンは慌てて、二人とノアの間に立った。
「わたしの騎士がすみません。……ほら、ノア。あなたはニワトリさんに用があるでしょう?」
「ですが、フレン……」
困ったようにするノアの背を押す。
「いいから。これからは、女の子同士の時間よ」
ノアを玄関に残し、フレンはマリガとエスタを連れ、厨房へと戻った。
「ちょうど、計量を終えたところです。あとは材料を混ぜて、竈で焼くだけなんですよ」
フレンの説明に、マリガとエスタがなぜか、視線を交わしてにやりと笑った。
「仕方がないから、あたくしたちも手伝ってあげるわ。ねえ、エスタ」
「はいなのです。エスタ、張り切っちゃうのです! くしし」
二人が、唇を吊り上げている理由は謎なものの、彼女たちの分もエプロンを用意して、お菓子作り再開だ。
事前に確認しておいたレシピを思い返しながら、フレンはバターに砂糖を加えた。
室温で柔らかくなったバターと砂糖を混ぜていく。
「フレン、小麦粉はまだなの?」
マリガに聞かれて、はい、とフレンは返事をした。
「もうちょっとあとです。次は、卵を入れます」
バターと砂糖が馴染んだところに、卵を割り入れる。
「小麦粉の出番ね?」
やたら小麦粉にこだわるマリガを、まあまあ、と制する。
「バターと卵をよく攪拌させると、生地の食感がなめらかになるそうですよ。ここでおいしさが決まるんですもの、ちょっと待ってくださいね」
一生懸命かき混ぜてから、フレンはぱっと顔を上げた。
「それでは、小麦粉を――」
すると、マリガが小麦粉の入ったボウルを振り上げた。
「ほら、お望みの小麦粉よ!」
フレンの視界が、真っ白になる。
一拍遅れて、フレンは自分が頭から小麦粉を被ったことを悟った。
「あらあ、ごめんあそばせ。あたくし、手が滑っちゃったみたい」
「気にしないでください。小麦粉なら、いっぱい仕入れていますから!」
なにせ、公爵家の荷馬車で、商店街へ買い付けに行っているくらいなのだ。
それはそうと――。
――目が、しょぼしょぼするわ。
どうやら、小麦粉が目に入ったらしい。
目をこすっていると、マリガが勝ち誇ったように満面の笑みを浮かべた。
「あんたは、フリッツに好かれてなどいないのよ。いい加減、身の程を弁えなさい。どう? クッキー作りをやめる気になった?」
うまく小麦粉が目から落ちなくて、涙が出てくる。
「嫌われてもいいんです。それでもお菓子をプレゼントすることが、フリッツさまのためになるから。ぐすっ」
「あんた、泣いてんの……?」
「いいえ、なんでもありません」
やっと、視界が晴れてきた。
マリガが、ぎょっとした顔をしている。おそらく、小麦粉をぶちまけてしまって、動揺しているのだろう。
あなたは悪くないのですよ、とばかりにマリガに微笑みかけたフレンは、再び小麦粉を計量してから、他の材料と混ぜた。
均等に混ざったら、生地をまとめ、丸く細長い棒状にする。
ジャンブルはバターが多い分生地が柔らかいから、型で抜いても形が崩れてしまう。
ゆえに、シンプルな形のほうが失敗しないのだと、レシピに書いてあった。
丸い棒を輪切りにすれば、一枚ずつのクッキーができあがる。
「ではこれを、竈で焼きます。竈は事前に、料理人が温めてくれていますから」
「ねえ、フレン。竈は、本当に適温になっているです? ちょっと確かめた方がいいと思うのです」
そう指摘してくれたのは、エスタだ。
確かに、料理人が余熱を始めてくれてから、ノアの妨害や予想外の来客のために、時間が経っていた。
「エスタさんのおっしゃるとおりです。では、竈の口に手を近づけて――」
事前に読んだ、料理についての本によれば、竈の入り口に手をかざし、何秒ほど我慢できるかで適温を測るのだという。
クッキー含む菓子類は、四、五秒耐えられる程度。フレンが手を竈へ伸べようとすると、エスタが絶叫した。
「危なーーーいっ!」
「えっ!」
フレンはあまりの驚きに、びくりと肩を跳ねさせた。
「ど、どうしたんですか、エスタさん」
「そんな温度の測り方、もう時代遅れなのです。最新の方法は、竈の縁をちょっと触るのですよ!」
「知りませんでした……。竈の中では炭が燃えているから、周りも熱くなっているものとばかり思っていました」
エスタがくすくすと笑う。
「フレンは意外と馬鹿なのです。縁がほんのり熱くなっていたら、適温なのですよ」
「でも……」
ためらうフレンを、エスタがあおった。
「ほらほら、早くやるのです! 失敗してもいいのです?」
「分かりました。触ってみます」
フレンは右手の人差し指を、ほんのわずか、竈の縁に当ててみた。
じゅっ。
そう、音がしたかと思った。
フレンは手を引っ込めると、あまりの熱さに、その場で何度か飛び跳ねた。
「なにそれ、新手のダンスかしら? センスないから、人前でやらないほうがいいわよ」
「フレンったら、動きがキレッキレなのです。シンバルと合わせたら、芸術的な踊りになると思うのです」
マリガとエスタが、フレンを見てけらけらと笑い声を立てる。
フレンは水で指を冷やしながら、息も絶え絶えに口を開いた。
「……ほんのり温かいのが適温なら……、この竈は熱くなりすぎているようです……。料理人に頼んで、温度を調整してもらいますね……」
「あっ、それエスタの思い込みだったのです。やっぱり、熱々が適温でした。てへっ」
エスタが、握った手で自分のおでこをこつん、と叩く。
そんなふうに可愛らしい仕草をされると、指の痛みも気にならなくなってしまう。
――フリッツさまも、エスタさんのこういうところが好きなのでしょうね。
フレンは指をエプロンで拭いた。
「勘違いならよかったです。竈の温度を再調整したら、フリッツさまにクッキーを贈るのが遅くなってしまいますから」
「この期に及んで、フリッツのことを……?」




