13.過去の記憶
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「フレンさまが発作を起こされるのは、久しぶりですな。適切な処置のおかげで、大事に至らず幸いでした。メイド殿が対処されたのですかな?」
医師が、眠るフレンを丹念に診察してから口を開いた。
ノアの横にいるメイドが、首を横に振る。
「いいえ、あたしは公爵家に雇われたばかりで、なにをしていいのか分からなくて……。お嬢さまを助けたのは、騎士のノアさんです」
「なんと、騎士殿が……?」
話を向けられて、ノアは居心地が悪くなった。
「たまたま、対処法を知っていただけです。お役に立ててよかった」
「さすが、騎士殿は主を病からも守るのですな」
うんうん、と老医師は感心したように首を縦に振った。彼は続ける。
「成長され、フレンさまは健康になられたと思っていたのですが。今回の発作の原因に心当たりはありますか。風邪をこじらせたわけでもないようですし、空気の悪い場所にいたとか?」
「……フレンは数日前、煙草の煙のたちこめる屋内で過ごしました。朝から夕方まで」
「騎士殿は、それに付き添われたと?」
はい、とノアが返答すると、医師が目を吊り上げた。
「馬鹿者! なんですぐに連れ戻さなかったんじゃ!」
「仰る通りです。申し訳ない」
「全く、無能な騎士もいたものだ。フレンさまは、発作のあとは決まって高熱を出される。とにかく、安静に。咳が落ち着いたら、クッションは取り除いて、寝かせてさしあげなさい」
医師は、ノアに薬の入った紙袋を押し付けてくる。
「最近は、薬の原料が手に入りにくく、高価になった。今回はなんとかなったが、必要なときに、適切な薬がいつも使えるとは限らない。フレンさまの傍付きの騎士を名乗るなら、主の体調管理は徹底することじゃな」
ノアへの怒りでだろう、ふんふん、と鼻息荒く、医師は帰っていった。
ノアはメイドに尋ねる。
「フレンは、夜番のメイドを置いていないのだったな?」
「はい。あたしたちが申し出ても、夜は寝てほしいからって断られちゃうんです」
「ならば、夜は私がフレンを看よう。日中は、清拭や着替えが必要だろうから、あなた方メイドに任せる」
メイドは頷くと、看病に必要なものを持ってくる、と部屋を出て行った。
深夜、フレンは医師の告げた通り、熱を出した。寝台に横になったフレンの額に触れると、ひどく熱い。
「フレン……」
ノアは寝台の横に跪き、フレンの手を握った。
初めて、フレンに出会ったときのことを思い出す――。
ノアは、若干十二歳で王宮を守る白鷺騎士になった。
白鷺騎士になれるのは、身分と実力を兼ね備えた者だけだ。
ノアは、その生い立ちから、特例で白鷺騎士になることを許されたのだ。
十二歳のノアが任されたのは、王宮を訪れる貴人の警護。中でも、王太子フリッツの婚約者である令嬢を守ることだった。
まだ五歳の令嬢は、将来の住まいである王宮に慣れるために、そして貴族女性としての所作やマナーを学ぶために、たびたび登城するのだ。
なんでも、令嬢の母親は既に亡く、父親である公爵はタウンハウスに女性を招きたがらないために、家庭教師をつけられないのだとか。その令嬢こそが、フレンだった。
初めてノアがフレンに会ったのは、貴族の子女たちを集めたお茶会のときだ。
お茶会に呼ばれたのは、フリッツやフレンと歳の近い子どもばかり。中には、とんでもない悪童もいる。
当時からノアは、兜をかぶった全身鎧姿だった。
他の騎士よりも小柄なノアを、侮ったのだろう。
一部の男の子たちが、ノアを取り囲み、兜を取ろうとしてきた。
ノアは大人顔負けの身体能力を誇っていたが、複数の子どもに体を押さえられ、挙句に足を蹴られれば、立っていることはできない。
転びそうになったとき、遠くで可憐な声がした。
「待って!」
見れば、大人しくテーブルについていた女の子が、椅子を飛び降りてこちらへ走ってくる。
淡い栗色の髪、くりくりとした瞳は春を思わせる緑。
女の子は、ノアの護衛対象、フレンだった。
フレンは体が弱いから、激しい運動をさせないようにと、ノアは上官から言い含められていた。
――フレンといったな。馬鹿なのか? 走ってはいけないことくらい、自分がいちばんよく分かっているだろうに。
こんなに思慮の浅い娘を、これから守らねばならないのか。ノアは辛うじて転倒するのをこらえながら、兜の内側で盛大なため息をついた。
そう、ノアは大層ひねくれた少年だったのである。
フレンも、男の子たちに交ざって自分をおもちゃ扱いするのか。
ノアが冷たい目で見ていると、フレンは駆け寄ってきて、ノアと男の子たちの間に体を滑り込ませた。
「お兄ちゃんはおしごとちゅうです。じゃまをしてはいけません!」
フレンはノアを庇うように、両手を広げる。
「なんだ、こいつ」
「お前、しらないのか。殿下のこんやくしゃだよ」
げっ、と男の子たちが声を出す。
五歳とは思えない凛とした態度で、男の子たちに対峙していたフレンが、徐々に息を乱し始めた。
彼女から、ぜいぜいと苦しそうな呼吸の音が聞こえる。
「この子、どうしたんだ……?」
「なんだか、まずそうだ。逃げようぜ!」
男の子たちが走り去ると、フレンはノアの前で座り込んだ。
「フレンさま!」
ノアが声をかけると、彼女は振り返った。
「お兄ちゃん、だいじょうぶですか? けられた足、いたくない……?」
――この状態で、なぜ僕を気遣う? 苦しいのは、自分のほうだろうに……。
脱力し、ひゅうひゅうと喉を鳴らし始めた彼女を、ノアは支えることしかできなかった。
異変を察知したメイドや侍従によって、すぐにその場は大騒ぎになった。
フレンが城内へ運ばれ、茶会がお開きになっても、ノアは庭園に佇み続けた――。
ノアが過去のことを思い出していると、フレンの睫毛が動いた。
一気に現実に引き戻されたノアは、彼女の名前を呼ぶ。
「フレン。フレン、聞こえますか」
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「……レン、聞こえますか」
すっかり馴染みになった、優しい声が聞こえて、フレンは目を開けた。
部屋は薄暗い。今は深夜だろうか。
見れば、蝋燭の光に金髪を輝かせたノアが、こちらを覗き込んでいる。
「ノア……」
「息苦しさはどうですか。気分は?」
ノアが、心配そうに眉尻を下げて尋ねてくる。
「もう平気……。迷惑をかけてごめんなさい……」
「私はあなたの専属騎士ですよ。迷惑などと思うわけがないでしょう」
ノアが、フレンの背に腕を差し込む。
「さあ、水を飲まなくては。体を起こしますよ」
ノアは、力強い手でフレンを起こすと、水の入ったコップを渡してくれた。
水を飲んで初めて、ひどく喉が渇いていたことを実感する。
ありがとう、とコップを返せば、ノアは再びフレンを寝台に寝かせてくれた。
「ねえノア、大丈夫……?」
するとノアが、透きとおった青い瞳を見開いた。
「なぜ、私のことを気遣うのですか? 辛いのはフレンのほうでしょう。ひどい熱があるのですよ」
「わたしのことはいいの。ただノアが、なんだか悲しそうな顔をしているから……」
するとノアが、困ったように眉尻を下げた。
「あなたが眠っている間、昔のことを思い出していたのです。茶会で、あなたが発作を起こしたときのことを」
フレンはふっと笑んだ。
「それって、わたしとノアが初めて会ったときのことでしょう? びっくりさせて、申し訳なかったわ」
いきなり、目の前で女の子が倒れたのだ。驚かせてしまったに違いない。
しかし、ノアはかぶりを振った。
「いいえ。私はただ、あなたを助けられずに悔しかったのです。あなたに庇われて、私自身は心震えるほど嬉しかったというのに」
「わたしはなにもしていないわ。卑怯な男の子たちに、腹が立っただけよ」
本当は当時、他の騎士や使用人から離れたところで、孤独に佇む少年騎士のことが気がかりだった。けれど、それをノアに伝えるのは憚られて、フレンは全てを男の子たちのせいにした。
それにしても――。
「今日……いいえ、もう昨日かしら。わたしに処置をしてくれて、ありがとう。でも、どうして発作時の対応を知っていたの……?」
「フレンが五歳のときに、苦しむのを目の当たりにしてから、医学書を読み漁りました。王宮の侍医に頼んで、対処法を教わったこともあります。……その、万一のときにあなたの役に立てたらと……」
「わたしのために、そこまで……」
フレンは、顔に朱が上るのを感じた。
王宮に行くと、ノアはいつも、全身鎧の姿でフレンを見守ってくれたものだった。
それだけで心強かったのに、ノアは自分のために、勉強までしてくれていたなんて。
――どうしよう……。なんだか、どきどきする……。
身体の不調のせいではない。
嬉しいような、気恥ずかしいような。正体不明の気持ちに、落ち着かなくなる。
「フレン……? ただでさえ熱があるのに、顔が更に赤くなっています。大変だ、すぐに医師を呼んできます」
「違うの、ノア」
フレンは、ノアの騎士服の裾をちょんと掴んだ。
「体調は問題ないわ。あの……、もう少しだけ、ここにいてくれる……?」
ノアは寝台脇の椅子に座り直すと、空色の瞳を細めて、はい、と笑んだ。




