10.初めてのギャンブル
公爵家の私兵から、黒鷲騎士について新たな情報がもたらされたのは、「お疲れさま会」の翌日のことだった。
今は朝食を終えたばかり、自室に戻ろうとしたところで、廊下ですれ違った私兵が教えてくれたのだ。
「お嬢さま、黒鷲騎士団の団員たちは、非番になると、下町にある賭場で遊びほうけているようです。ご命令でしたので報告はしましたが、賭場に赴かれるなどという短慮は起こされませんよう」
「ありがとう。気を付けるわ」
私兵が去っていくと、フレンの傍らを歩いていたノアが、「おや」と不思議そうな声を出した。
「フレンが、人の忠告を受け入れるとは珍しいですね。私としても、あなたを賭場などという荒んだ場所に連れて行かずに済んで、喜ばしい限りです」
「ノアったら、なにを言っているの? わたしは、気を付けて行く、と話したのよ。行く、の部分を省略しただけで」
「そんなことだろうと思っていました……。全くフレンは、可憐な外見に似合わず、豪胆ですね」
フレンは苦笑した。
「わたしは地味なだけで、ちっとも可憐ではないわ。さあ、賭場へ向かいましょう!」
「フレンには、自分が美しいという自覚がないのですね……」
ノアが、どこか悲しそうに笑んだが、自分の容姿のことは、フレン自分がいちばんよく分かっているのだ。
悪目立ちするとのノアの提案で、フレンは彼と荷馬車で下町へ向かった。
下町は、王都の南東、城壁に張り付くように存在する地区だ。
ここに住む者は貧困層ばかり、フレンは王太子妃になったら、住民たちへの支援をしようと決めていたが、それはマリガとエスタに託すしかないだろう。
下町に近づくにつれ、道は細くなり、屋根が重なるほどに家が密集しているせいで、辺りは薄暗くなる。やがて石畳の舗装が途切れれば、下町に到着だった。
地面に杭を刺し、屋根だけのテントで商売をする人々、簡素なレンガ造りの家々。
下町は、商店街よりよほど活気があった。
「下町の住人は、あまりにも素朴な暮らしをしていますから、騎士たちも手を出さないのでしょう。騎士が賭場を使っているのだとしたら、自分たちの遊び場を荒らしたくはないでしょうし」
「そうね。下町の皆さんに嫌われて追い出されたら、遊ぶ場所がなくなってしまうもの」
下町の奥には、周囲の建物とはいかにも不釣り合いな、派手な平屋の建物があった。
外壁は赤や黄色に塗られ、木製の扉には、ハートマークが彫られている。カードの柄を模したものだろうか。
扉を開けると、途端に煙草のにおいが鼻をついた。
「フレン、早く情報収集を済ませてここを出ましょう。ここにいると、あなたの体に障る」
「あら、わたしなら平気よ。昔ではあるまいし」
フレンは子どものころ、呼吸器が弱かったのだ。時々咳が止まらなくなって、熱を出す。でももう、発作なんて何年も起こしていなかった。
紫煙のくゆる室内は、薄暗かった。
窓にはカーテンが引かれ、昼間からランプが灯っている。いかにも、怪しげな雰囲気だ。
――それにしても……。
フレンは周囲を見渡したあと、ノアに尋ねた。
「賭場って、案外静かなのね。酒場みたいに、皆で騒ぐ場所なのかと思っていたわ」
「勝者の隣には、敗者がいますから。ギャンブルに勝ったからといって、酔っぱらったアンガスのように『うえーい』などとはしゃいだら、刺されかねません」
棒読みで、アンガスの歓声を再現するノアが可愛らしい。
「なるほど、賭場には賭場のルールがあるのね」
フレンが納得したとき、室内の一角から大声がした。
「よっしゃああ! 勝ったっす!」
はあ、とノアがため息を落とす。
「どうやら、賭場のマナーを知らない者もいるようですね」
「でも、今騒いだ人からなら、話を聞けるかもしれないわ。他の人は、話しかけられる雰囲気ではないもの」
どの客も、自分のカードを睨みつけている。それに、騎士とはいえ、非番の日は私服を着るだろう。一見しただけでは、誰が騎士か分からないのだ。
声のした方向へ歩きだすと、ノアがついてくる。
フレンがやってきたのは、いちばん奥のテーブルだった。
楕円形のテーブルの表面には、緑の布が貼られていた。今はそこに、カードが散乱している。
「ああ……、僕はなんてついているんだろう! もう、負ける気がしないっすね!」
こげ茶の目を輝かせる青年を見て、フレンは「あっ」と声を漏らした。
「ギャンブラーリオンさんだわ!」
フレンの声は、室内によく通ったようだ。
青年――リオンが、フレンを見る。
「あなたは、フリッツに婚約を破棄された、フレン嬢じゃないっすか!」
「声が大きいです、リオンさん」
「ああ、どうもすみません。公爵家のご令嬢がこんなところに来ていることが知られれば、外聞が悪いっすからね」
そう話すリオンも、伯爵家の令息のはずだが、堂々としたものだ。
フレンは、リオンにホールの隅を示した。
「お願いです、リオンさん。どうか、あちらへ。お話したいことがあるんです」
「構わないっすよ。僕は今、機嫌がいいですからね」
ノアとリオンと、三人でひとけのない一角へ。
「あの――」
フレンが質問するより前に、リオンが口を開いた。
「聞きましたよ、フレン嬢。先日の夜会では、自分の代わりにフリッツを助けてあげてほしいと、貴族たちへ訴えたそうっすね」
「はい……?」
「あなたの健気さに打たれて、アンガスはすっかり酒を飲まなくなりました。フリッツとも袂を分かち、あいつはすっかり真人間っすよ。嘆かわしい」
リオンの、言葉の意味が分からない。
「わたしは夜会で、フリッツさまの弱点を暴露しただけですけれど……」
「その弱みを、貴族たちに補ってもらいたかったんでしょう? 貴族たちは、フレン嬢に同情し、涙を誘われたとか。あなたは社交界で、すっかり悲劇の令嬢ですよ。これが狙ったものだったとしたなら、大した役者っす、あなたは」
けらけらと笑うリオンに、ノアが低く告げた。
「貴様……。その汚い口を閉じよ!」
どうやら激怒しているようだが、フレンにはノアに構っている余裕などなかった。
――なんということなの……。
あまりの嘆きに、天井を見上げる。
――フリッツさまに恥をかかせてあげたかっただけなのに、話題になったのは弱点ではなくて、わたしだったというの……?
「ざまあ第一弾、失敗……」
「フレン嬢、今なんて?」
「いいえ、なんでも。より一層身を引き締めて、使命に邁進しようと思っただけです」
「へえ。そういうところが、フリッツに飽きられた原因なんじゃないっすか?」
いい加減我慢ならなくなったのだろう、リオンを小突こうとするノアをフレンは必死で止めた。
「わたしからも、お話を。リオンさんは、この賭場に出入りされて長いんですか?」
「うっす。もう三年になるっすかね」
「ここ最近、賭場で変わったことはありませんか? どんな些細なことでもいいんです」
フレンが尋ねると、リオンはにやりと笑った。
「知りたいことがあるのなら、僕と勝負っす! 僕に勝ったら、なんでも教えてあげるっすよ」
「でも、わたし賭博なんて、やったことがなくて……」
貴族たちは、互いの屋敷で賭け事を楽しむことがあるが、それはあくまで社交の一環としてだ。違法ではないものの、貴族が賭場で金をかけるなど、聞いたことがなかった。
「不安なら、そこの男とカップルで挑戦してもいいっすよ」
「カップル……? わ、私は、フレンの忠実なる騎士だ!」
ノアの声は裏返っている。なにやら頬が赤いようにも見えるが、フレンの気のせいだろう。
「はいはい。あんたたちの関係なんて、どうでもいいっす。じゃあ、テーブルに行くっすよ!」
リオンが、先ほどの奥まったテーブルにつく。
カウンターでチップを買ってから、フレンはリオンの隣に立った。ノアは、フレンの斜め後ろだ。
テーブルには、他にも二人の男がいた。どちらも質素な服を着ているが、がっしりとした体つきをしている。
「フレン、二人は騎士です。身のこなしからして、間違いありません」
ノアが、微かに聞こえる声で囁いた。
リオンが説明する。
「ゲームのルールは簡単っす。カードを二枚引いて、合計が二十一に近いほど強い手札になる。ただし、二十一を超えれば、問答無用で負け」
ディーラーが付け足した。
「この賭場独自の決まりとして、ディーラーは勝負に参加しません。カードは一から十三まで。二十一に足りない場合、お客さまは任意で一枚だけ、追加でカードを引くことができます」
つまり、合計二十一の手札が最強ということか。なにやら複雑だが、フレンは頷いた。
「分かりました。やってみます!」
フレンはチップの半分を、ディーラーに差し出した。
配られた二枚のカードを見れば、そこに書いてあったのは、五と七の数字だった。
――合計すると、十二ね。もう一枚行きたいところだけれど、カードでいちばん大きな数字は、十三だわ。大きな数字を引いたら、負けてしまう……。
手札は他人に見せないのが決まりのようで、どの客も自分のカードは伏せている。
フレンが迷っていると、ノアが「もう一枚引いてください」と小さな声で、フレンを促した。
果たして、フレンが引いたのは、八のカードだった。
――全部で、二十ね。なかなかいい手札になったのではないかしら。
隣を見ると、リオンがぎらぎらと金色に輝くブレスレットを撫でながら、カードを引いている。
「それでは皆さん、カードをお見せください」
全員で、手札を披露する。
リオンは合計十九、男二人は二十一を超えていた。
負けた客のうち、二十一を超えた二人は、いずれも恥ずかしそうにしている。
どうやら同じ負けでも、二十一を超過することはみっともないとされているようだ。
「お嬢さんの勝ち!」
チップが倍になって、戻ってくる。
「くっそー! いい手札だと思ったのに!」
リオンが叫んでいる。どうやら彼は、勝っても負けてもうるさいようだ。
「フレン嬢、もう一回っす! 初心者ほど、運がいいと言いますからね。今のはきっと、まぐれっすよ」
「はい、分かりました……」
フレンは再び、チップの半分を賭けた。引いた二枚のカードの合計は、十八。
――うーん。数は大きめだけれど、中途半端な気もするわ……。
「フレン、そのままで大丈夫ですよ」
ノアに言われて、フレンはカードを引かずに待機する。
「ここは、攻めるっす!」
ブレスレットをじゃらじゃら鳴らしながら、リオンがカードを一枚引いた。
「皆さん、カードを」
ディーラーに言われ、カードをテーブルに置く。
リオンのカードは二十一超え、男二人のカードは、どちらも十七だった。
「またもや、お嬢さんの勝ち!」
フレンは、ノアを振り返る。小声で尋ねた。
「ねえ、ノアはどうして、カードを引くべきかどうか分かるの?」
「私は騎士ですから。相手の表情や息遣いから、今どんな状態なのかがなんとなく分かるのです。いい手札が揃って臨戦態勢なのか、それとも劣勢になって怯えているのか」
「すごいわ。ノアって天才なのね」
購入したときとは、比べ物にならない量になって、チップが返ってきた。
「フレン嬢、僕のチップを超えられなければ、勝ったとは言えないっすよ!」
そう話すリオンのチップは、テーブルの上で小山を作っている。先ほど、大勝ちしたからだろう。
――このまま少しずつチップを賭けても、リオンさんには追い付けないわ。
そう思ったフレンは、自分のチップをすべてディーラーに差し出した。




