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春をくれた人

第六章 春をくれた人


二十五歳。


会社にも慣れた。


後輩ができた。


休日には一人で映画を観るようになった。


大人になった。


そう思う日が増えていた。


「北村さん。」


昼休み。


同期の佐倉さんが声をかけてきた。


「今度、ご飯行きませんか?」


「僕と?」


「はい。」


少し照れたように笑う。


「ずっと誘いたかったんです。」


断る理由はなかった。


「いいですよ。」


そう答えた。



佐倉さんはよく笑う人だった。


美味しそうにご飯を食べる。


映画を観れば泣く。


小さな花を見つけると立ち止まる。


「北村さんって、不思議ですよね。」


「何が?」


「すごく優しいのに、どこか寂しそう。」


「……そうかな。」


「うん。」


彼女はコーヒーを飲みながら笑った。


「誰かを待ってるみたい。」


その言葉に、胸が少しだけ痛んだ。


でも、誰を待っているのかは分からなかった。



その日の夜。


部屋へ帰ると、机の上の青い折り紙が目に入る。


「……。」


どうして飾っているんだろう。


もう何年も置きっぱなしなのに。


捨てようと思った。


手に取る。


けれど。


指先が動かなかった。


まるで誰かに止められているみたいだった。


「変なの。」


そう笑って、元の場所へ戻した。



病室では。


少女が窓を開けていた。


春風が白いカーテンを揺らす。


看護師が新しい花を持ってくる。


「今年も桜、きれいですよ。」


「見たいな。」


「車椅子で行きますか?」


少女は首を横に振った。


「ここでいい。」


窓から見える桜だけで十分だった。


「君も見てるかな。」


誰にも聞こえない声で呟く。


その頃。


主人公は会社帰りに夜桜を見上げていた。


同じ桜を。


同じ春を。


見ていることも知らずに。



数か月後。


「好きです。」


佐倉さんは真っ直ぐ僕を見つめた。


「付き合ってください。」


僕は黙った。


嬉しかった。


優しい人だった。


一緒にいて楽だった。


幸せになれる気がした。


なのに。


心のどこかが、返事をためらっていた。


何か大切なものを置いてきたような。


思い出せそうで、思い出せない。


そんな感覚。


「返事、急がなくていいですよ。」


佐倉さんは笑う。


「待ってます。」


その笑顔に救われながらも、僕はなぜか胸が苦しかった。


理由は分からない。


分からないまま、夜空を見上げた。


遠くで、紙飛行機が風に乗って飛んでいった。


それはまるで、誰かが送った手紙のように見えた。

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