第五話 主演俳優決定
主演俳優の発表は、脚本会議と同日に行われることになった。
「ついでに顔合わせもしてしまいましょう」というバルト監督の提案だ。
「ついで」という言葉の使い方に一抹の不安を覚えたが、エリスが「先生、監督にとってはそうなので仕方ありません」と囁いたので流すことにした。
当日、王都劇場の大会議室には普段より多くの人間が集まっていた。
脚本スタッフも数人同席していて、部屋の空気がいつもより賑やかだ。
バルト監督は今日も全力で元気だ。
殿下はいつも通り落ち着いている。
私はカバンの中の頭痛薬の残数を確認してから席に着いた。
「では発表します! 本作『氷薔薇の公爵令嬢』、ヒロインのアイリス役を演じるのは!」
監督がご丁寧にも間を取る。
「エレナ・ローズベルさんです!」
会議室の空気が明るくなった。
エレナ・ローズベル。
二十二歳。
王国で最も注目される若手女優のひとりだ。
後方の扉が開き、当の本人が入ってきた。
柔らかな金髪と、印象的な緑の瞳。
凛とした雰囲気があるが、笑顔は明るく親しみやすい。
まっすぐこちらを見てきた目が、少し潤んでいるように見えた。
「アルフォード先生! 本当に光栄です! 先生の原作、何度も読みました!」
「あ、ありがとうございます……」
「アイリスが大好きで! 彼女を演じられるなんて夢みたいで! 脚本を読んだときは少し驚きましたけど!」
「……少し?」
「変顔のところとか」
「ああ……そうですね」
エレナが力強く頷いた。
真剣な目だった。
「でも先生の原作を守るためにできることは全部します! 絶対にアイリスを守ります!」
思わず目頭が熱くなりかけた。
心強い仲間が増えた。
しかし感動している余裕はない。
次の発表が控えている。
「続きまして! ヒーロー、王子役を演じるのは!」
監督がまた間を取る。
楽しそうに余韻を味わっている。
「カイル・ヴァレンさんです!」
後方の扉が再び開いた。
……なるほど。
確かに人気俳優だ。
背が高い。
整った顔立ち。
笑顔がひどく絵になる。
軽やかな足取りで部屋に入ってきて、さっと全員に目礼した。
「カイル・ヴァレンです。よろしくお願いします」
低く通る声に、周囲のスタッフが静かにどよめいた。
エリスが小声で囁く。
「人気俳優ですね」
「そうですね」
私は脚本の表紙を見た。
それから原作の中の王子の姿を思い浮かべた。
しんとした廊下を歩く王子。
感情を表に出さず、しかし目の奥には確かな意志を持つ王子。
静けさの中に重みがある、そういう人物だ。
……カイル・ヴァレンは、静かではない気がする。
「アルフォード先生! 原作大好きです! 王子のあの冷徹さの中に一筋の優しさがある場面、もう最高で!」
カイルがこちらに駆け寄ってきた。
笑顔がまぶしい。
確かにかっこいい。
それは認める。
「ありがとうございます」
「あそこで泣きました!」
「……泣いたんですか」
カイルが大きく頷く。
自分の役を好きでいてくれているのはありがたいことだ。
ただ、目の前でまぶしく笑っているこの青年が、あの静かで重みある王子を演じ切れるかどうかがどうにも不安だった。
「原作の王子と違う気がします」
思わず小声で呟いた。
隣には誰もいないと思っていた。
しかし聞こえていたらしい。
「私もそう思います」
殿下だった。
こちらを向いて、表情は変わらないまま、ごく静かにそう言った。
思わず殿下を見返した。
「……ただ俳優としての素養は確かです。印象と役柄の乖離は、演出で調整できる部分がある」
「でも監督の演出が……」
「そこが問題です」
二人で同時にバルト監督の方を見た。
満面の笑みで「面白いことになりそうだな」と言わんばかりに上機嫌の監督が、カイルの肩を叩きながら何かを話している。
嫌な予感がした。
「カイル君! 彼の王子としての最大の見せ場はね!」
監督が大きな声で言う。
「滝を登るシーンです!」
「原作にありません」
反射的に言った。
エリスが「落ち着いてください、先生」と囁く。
「修行シーンですよ! 内なる感情を滝で浄化するんです! 映像映えも抜群!」
「内なる感情の浄化は、原作の王子には必要ありません!」
「でもかっこいいじゃないですか!」
「かっこいいかどうかの話ではありません!」
カイルが困ったような顔でこちらを見ていた。
申し訳なさそうな表情をしているのは、彼が原作ファンだからかもしれない。
その表情を見て、少しだけ印象が変わった。
少なくとも、原作に対して不誠実な人ではないらしい。
殿下が静かに口を開いた。
「監督、今日は俳優の顔合わせの場です。演出の方向性については次回の打ち合わせで改めて協議しましょう」
「そうしましょう! 次回が楽しみですね!」
殿下が小さく息を吐く音がした。
そのわずかな動作が、「監督と楽しみにしている内容が全く違う」という意味に聞こえた。
私も全く同じ気持ちだった。
会議が一段落したところで、エレナが私の隣に来た。
「先生、一緒に守りましょう。原作を」
真剣な目だった。
こんな仲間ができるとは思っていなかった。
「……ぜひ」
そう答えると、エレナは明るく笑った。
カイルも少し離れたところから会釈をよこした。
よく見れば、脚本の問題箇所にこっそりメモを書き込んでいる。
原作ファンとしての本能が働いているのかもしれない。
やはり、印象と中身は別ものだ。
帰り支度をしていると、殿下が近づいてきた。
「カイル・ヴァレンについてですが」
「はい」
「おそらく原作のイメージとは異なって見えると思います。ただ、あれだけ原作を読み込んでいるなら、役として近づける可能性はある」
「監督の演出次第ということですね」
「そういうことです」
私たちは同時に、部屋の端で次回の絵コンテを描き始めたバルト監督の方を見た。
「……楽観はできませんね」
「できません」
殿下がそう言って、資料を手にする。
去り際に、ふとこちらに目を向けた。
「次の打ち合わせの前にも、事前対策を取りましょう」
「ぜひお願いします」
殿下が頷いて会議室を出ていった。
帰り道、頭の中でカイルの笑顔と原作の王子の静けさを交互に思い浮かべた。
そして「原作の王子と違う気がします」という私の呟きに、間を置かず「私もそう思います」と返した殿下のことも。
あの言葉は毎回どこかで出てくる。
そしてそのたびに、不思議と肩の力が抜ける。
嵐の中で同じ方向を向いている人がいるという心強さは、慣れてくると少し困ったことになってくるかもしれない。
そんなことを思いながら、王都の夜道を一人で歩いた。




