表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/18

第二話 第一回打ち合わせ

王都劇場の本社は、王都の中心部に堂々と構える白亜の建物だ。

金の縁取りが施された柱と、高い天井に描かれた壁画は訪れる者を圧倒する造りになっている。

しかし今の私に、その荘厳さを楽しむ余裕はまったくない。

エリスの隣を歩きながら、私はカバンの中身を確認した。

頭痛薬が四箱入っている。

先週の打ち合わせのあと、念のために薬局で大量購入した分だ。

「先生、一日の摂取量を守ってください」とエリスに注意されたが、今日ばかりは持てるだけ持っておきたかった。

 

「先生、大丈夫ですか」

 

「……大丈夫ではありませんが、行かないわけにもいきません」

 

「そうですね」

 

エリスが深くうなずく。

彼女も先週からずっと表情が硬い。

おそらく頭痛薬の消費量が増えているのは私だけではないだろう。

案内された会議室は広く、磨かれた長テーブルの周りに革張りの椅子が並んでいた。

窓の外には王都の景色が広がり、晴れた空が憎らしいほど青い。

上座に近い側には既に人影があった。

先週と同じ、深みのある紺色の装束。

レオン・アークライト殿下が、資料に目を落としながら静かに座っている。

 

「アルフォード先生、エリス殿。本日はよろしくお願いします」

 

殿下が顔を上げ、ごく自然に声をかけてくれた。

表情は先週と変わらず、感情の読み取りにくい落ち着いた様子だ。

先週の「私もそう思います」という一言を思い出して、少しだけ肩の力が抜ける。

 

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 

席に着くと同時に、会議室のドアが勢いよく開いた。

 

「やあやあやあ! リリア先生! お会いできて光栄ですよ!」

 

それはもう元気な声だった。

現れたのは、四十代半ばくらいの丸顔の男性。

小柄だが存在感が抜群で、室内の空気が一瞬にして塗り替えられた。

大げさな身振り手振りで私の方へ歩いてきながら、ものすごく楽しそうに笑っている。

 

「バルト・ギャグウェル監督です」

 

エリスが小声で囁く。

写真で見たことはある。

けれど実物はさらに上をいく迫力だ。

 

「いやあ、先生の原作は本当に素晴らしい! 全部読みましたよ! アイリスが最高にいい! あの婚約破棄シーンなんか最高of最高ですよ!」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「だからこそですよ! あのシーンをですね、もっとダイナミックにしたくて!」

 

「ダイナミック……」

 

「そうそう! 婚約破棄を宣言した瞬間に、どーんと爆発するんですよ!」

 

沈黙が落ちた。

私の中で何かが止まる音がした。

 

「爆発……ですか」

 

「そう! 感情が爆発するわけですよ! それを映像で表現するには物理的な爆発が一番わかりやすい! ドラマティックでしょう!」

 

「原作には爆発は……」

 

「ないですね! でもあった方が面白い!」

 

「面白い」という言葉が、私の中で何かをじわじわと壊していく。

アイリスが渾身の決意で婚約破棄を宣言する場面。

彼女の震える声、涙を堪えた目、それでも前を向いた背中。

そこに爆発が起きるのだ。

 

「原作に、ありません」

 

搾り出すようにそう言った。

 

「だから今から作るんです! 原作にないものを映像で作る、それが映画の醍醐味ってやつですよ!」

 

「いやそういう話では……」

 

「爆発、本当にいいですよ! アクション感も出るし、女性客も燃えるし!」

 

頭が痛い。

本当に痛くなってきた。

カバンの中の頭痛薬に手が伸びかけたとき、テーブルの向こうから静かな声が割り込んだ。

 

「バルト監督」

 

レオン殿下だった。

穏やかな声だったが、そこには明確な重みがある。

 

「本作の映画化を推薦したのは私です。原作の持つ感情的な繊細さに価値があると判断したからこそ、この企画を進めています。爆発は、その繊細さとは相反します」

 

「ふむ」

 

「アルフォード先生の懸念はもっともかと」

 

監督が腕を組んで天井を仰いだ。

しばらく何かを考えているようだった。

殿下の表情は変わらない。

ただ、その静かな眼差しには有無を言わさぬ何かがあって、監督ですらその前では少しだけ口が重くなるらしい。

 

「……爆発は一旦保留にしましょう」

 

「ありがとうございます」

 

「代わりにミュージカルにしましょう」

 

「駄目です」

 

今度は私が即座に言った。

監督がきらきらした目でこちらを見る。

 

「アイリスが歌うんですよ! 婚約破棄の感情を歌に乗せて! これは原作ファンも喜ぶはず!」

 

「喜びません!」

 

「断言できますか?」

 

「できます! 私が書いた原作のどこにも歌はありません! 婚約破棄シーンに歌は要りません!」

 

「映画ならではの表現として!」

 

「原作の空気感を壊してまで追加するものではありません!」

 

監督と私の間で何かが弾けた。

エリスが静かに「落ち着いてください、先生」と囁く。

わかっている。

わかっているが、落ち着いていられるものか。

そこに、また殿下の声が入る。

 

「バルト監督。ミュージカルについても、まずは原作準拠の脚本を起こした上でご提案ください。変更点は都度確認を取る、という形でいかがでしょうか」

 

監督がまた天井を仰いだ。

ちょっと考えた後、ぱっと顔を明るくする。

 

「そうしましょう! 殿下がそう言うなら! 脚本第一稿は原作通りで! ただし面白いアイデアが浮かんだら都度ご相談しますよ!」

 

「……相談してください」

 

「もちろん! 楽しみにしていてください!」

 

そう言って監督は嵐のように会議室を出ていった。

後に残されたのは、私とエリスと殿下の三人。

窓の外を雲がゆっくりと流れていく。

しばらく誰も口を開かなかった。

エリスがそっとお茶に手を伸ばした。

 

「ご苦労様でした、アルフォード先生」

 

殿下が静かに言う。

 

「……ありがとうございました、殿下。助けていただかなければ、爆発とミュージカルが今頃確定していました」

 

「それは困ります」

 

「私もそう思います」

 

思わず殿下と同じ言葉を使ってしまった。

殿下は特に表情を変えなかったが、何かがわずかに和らいだような気がした。

 

「今後の打ち合わせについてですが」

 

殿下が資料をまとめながら続ける。

 

「先生にも毎回同席していただき、脚本の確認に関わってほしいと考えています。原作者として、演出の方向性に意見を述べる権限を正式に付与します」

 

「……そのようなことが、できるのですか」

 

「この企画の最終判断権は私にあります。先生の意見は尊重されます」

 

しばらく言葉が出なかった。

映画化の話が来たとき、原作者はあくまで外側にいるものだと覚悟していた。

脚本に口を挟む余地はほとんどない、そういうものだと諦めていた部分がある。

 

「……よろしくお願いします」

 

「こちらこそ」

 

殿下が立ち上がる。

荷物を手にしながら、ふとこちらに目を向けた。

 

「先生は原作の中で、何が一番大切だと思いますか」

 

唐突な問いだった。

でも、即座に答えが出た。

 

「アイリスが立ち上がる場面です。婚約破棄されて、全てを失って、それでも自分の足で歩き出す場面。あそこだけは絶対に変えてほしくないと思っています」

 

殿下が小さく頷いた。

 

「覚えておきます」

 

それだけ言って、殿下は静かに会議室を出ていった。

エリスが隣でそっと息を吐く。

 

「……とりあえず、爆発は止められました」

 

「次の脚本第一稿が怖いです」

 

「……私もです」

 

二人で顔を見合わせた。

頭痛薬を一錠だけ飲んで、私は窓の外の空を見上げた。

雲が一つ、のんきに流れていく。

嵐の入口に立ったばかりだ。

それでも、隣で戦ってくれる人がいる。

その事実が、四本の頭痛薬よりよほど頼もしく感じられた。











評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ