第二話 第一回打ち合わせ
王都劇場の本社は、王都の中心部に堂々と構える白亜の建物だ。
金の縁取りが施された柱と、高い天井に描かれた壁画は訪れる者を圧倒する造りになっている。
しかし今の私に、その荘厳さを楽しむ余裕はまったくない。
エリスの隣を歩きながら、私はカバンの中身を確認した。
頭痛薬が四箱入っている。
先週の打ち合わせのあと、念のために薬局で大量購入した分だ。
「先生、一日の摂取量を守ってください」とエリスに注意されたが、今日ばかりは持てるだけ持っておきたかった。
「先生、大丈夫ですか」
「……大丈夫ではありませんが、行かないわけにもいきません」
「そうですね」
エリスが深くうなずく。
彼女も先週からずっと表情が硬い。
おそらく頭痛薬の消費量が増えているのは私だけではないだろう。
案内された会議室は広く、磨かれた長テーブルの周りに革張りの椅子が並んでいた。
窓の外には王都の景色が広がり、晴れた空が憎らしいほど青い。
上座に近い側には既に人影があった。
先週と同じ、深みのある紺色の装束。
レオン・アークライト殿下が、資料に目を落としながら静かに座っている。
「アルフォード先生、エリス殿。本日はよろしくお願いします」
殿下が顔を上げ、ごく自然に声をかけてくれた。
表情は先週と変わらず、感情の読み取りにくい落ち着いた様子だ。
先週の「私もそう思います」という一言を思い出して、少しだけ肩の力が抜ける。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
席に着くと同時に、会議室のドアが勢いよく開いた。
「やあやあやあ! リリア先生! お会いできて光栄ですよ!」
それはもう元気な声だった。
現れたのは、四十代半ばくらいの丸顔の男性。
小柄だが存在感が抜群で、室内の空気が一瞬にして塗り替えられた。
大げさな身振り手振りで私の方へ歩いてきながら、ものすごく楽しそうに笑っている。
「バルト・ギャグウェル監督です」
エリスが小声で囁く。
写真で見たことはある。
けれど実物はさらに上をいく迫力だ。
「いやあ、先生の原作は本当に素晴らしい! 全部読みましたよ! アイリスが最高にいい! あの婚約破棄シーンなんか最高of最高ですよ!」
「あ、ありがとうございます……」
「だからこそですよ! あのシーンをですね、もっとダイナミックにしたくて!」
「ダイナミック……」
「そうそう! 婚約破棄を宣言した瞬間に、どーんと爆発するんですよ!」
沈黙が落ちた。
私の中で何かが止まる音がした。
「爆発……ですか」
「そう! 感情が爆発するわけですよ! それを映像で表現するには物理的な爆発が一番わかりやすい! ドラマティックでしょう!」
「原作には爆発は……」
「ないですね! でもあった方が面白い!」
「面白い」という言葉が、私の中で何かをじわじわと壊していく。
アイリスが渾身の決意で婚約破棄を宣言する場面。
彼女の震える声、涙を堪えた目、それでも前を向いた背中。
そこに爆発が起きるのだ。
「原作に、ありません」
搾り出すようにそう言った。
「だから今から作るんです! 原作にないものを映像で作る、それが映画の醍醐味ってやつですよ!」
「いやそういう話では……」
「爆発、本当にいいですよ! アクション感も出るし、女性客も燃えるし!」
頭が痛い。
本当に痛くなってきた。
カバンの中の頭痛薬に手が伸びかけたとき、テーブルの向こうから静かな声が割り込んだ。
「バルト監督」
レオン殿下だった。
穏やかな声だったが、そこには明確な重みがある。
「本作の映画化を推薦したのは私です。原作の持つ感情的な繊細さに価値があると判断したからこそ、この企画を進めています。爆発は、その繊細さとは相反します」
「ふむ」
「アルフォード先生の懸念はもっともかと」
監督が腕を組んで天井を仰いだ。
しばらく何かを考えているようだった。
殿下の表情は変わらない。
ただ、その静かな眼差しには有無を言わさぬ何かがあって、監督ですらその前では少しだけ口が重くなるらしい。
「……爆発は一旦保留にしましょう」
「ありがとうございます」
「代わりにミュージカルにしましょう」
「駄目です」
今度は私が即座に言った。
監督がきらきらした目でこちらを見る。
「アイリスが歌うんですよ! 婚約破棄の感情を歌に乗せて! これは原作ファンも喜ぶはず!」
「喜びません!」
「断言できますか?」
「できます! 私が書いた原作のどこにも歌はありません! 婚約破棄シーンに歌は要りません!」
「映画ならではの表現として!」
「原作の空気感を壊してまで追加するものではありません!」
監督と私の間で何かが弾けた。
エリスが静かに「落ち着いてください、先生」と囁く。
わかっている。
わかっているが、落ち着いていられるものか。
そこに、また殿下の声が入る。
「バルト監督。ミュージカルについても、まずは原作準拠の脚本を起こした上でご提案ください。変更点は都度確認を取る、という形でいかがでしょうか」
監督がまた天井を仰いだ。
ちょっと考えた後、ぱっと顔を明るくする。
「そうしましょう! 殿下がそう言うなら! 脚本第一稿は原作通りで! ただし面白いアイデアが浮かんだら都度ご相談しますよ!」
「……相談してください」
「もちろん! 楽しみにしていてください!」
そう言って監督は嵐のように会議室を出ていった。
後に残されたのは、私とエリスと殿下の三人。
窓の外を雲がゆっくりと流れていく。
しばらく誰も口を開かなかった。
エリスがそっとお茶に手を伸ばした。
「ご苦労様でした、アルフォード先生」
殿下が静かに言う。
「……ありがとうございました、殿下。助けていただかなければ、爆発とミュージカルが今頃確定していました」
「それは困ります」
「私もそう思います」
思わず殿下と同じ言葉を使ってしまった。
殿下は特に表情を変えなかったが、何かがわずかに和らいだような気がした。
「今後の打ち合わせについてですが」
殿下が資料をまとめながら続ける。
「先生にも毎回同席していただき、脚本の確認に関わってほしいと考えています。原作者として、演出の方向性に意見を述べる権限を正式に付与します」
「……そのようなことが、できるのですか」
「この企画の最終判断権は私にあります。先生の意見は尊重されます」
しばらく言葉が出なかった。
映画化の話が来たとき、原作者はあくまで外側にいるものだと覚悟していた。
脚本に口を挟む余地はほとんどない、そういうものだと諦めていた部分がある。
「……よろしくお願いします」
「こちらこそ」
殿下が立ち上がる。
荷物を手にしながら、ふとこちらに目を向けた。
「先生は原作の中で、何が一番大切だと思いますか」
唐突な問いだった。
でも、即座に答えが出た。
「アイリスが立ち上がる場面です。婚約破棄されて、全てを失って、それでも自分の足で歩き出す場面。あそこだけは絶対に変えてほしくないと思っています」
殿下が小さく頷いた。
「覚えておきます」
それだけ言って、殿下は静かに会議室を出ていった。
エリスが隣でそっと息を吐く。
「……とりあえず、爆発は止められました」
「次の脚本第一稿が怖いです」
「……私もです」
二人で顔を見合わせた。
頭痛薬を一錠だけ飲んで、私は窓の外の空を見上げた。
雲が一つ、のんきに流れていく。
嵐の入口に立ったばかりだ。
それでも、隣で戦ってくれる人がいる。
その事実が、四本の頭痛薬よりよほど頼もしく感じられた。




