第十六話 告白未遂
大ヒットを記念した正式な祝賀会が開かれることになったのは、公開から二週間後のことだった。
王都劇場の大広間に、関係者一同が集められた。
シャンデリアの灯りが、磨かれた大理石の床に反射している。
普段の打ち合わせとは違う、華やかな空気が広間を満たしていた。
「先生、今日のドレス、素敵ですね」
エリスが声をかけてくれた。
「ありがとうございます。少し緊張しますね、こういう場は」
「いつも以上に綺麗です」
「お世辞でも嬉しいです」
「お世辞ではありません」
珍しく、エリスが真剣な顔でそう言った。
広間にはすでに多くの人が集まっていた。
社長のロドリックが上機嫌で誰かと興行収入の話をしている。
監督は早速、新しいアイデアを誰かに語っている様子だった。
モールがその隣で頷いている。
「あの二人、お酒も入っていないのに早速何か企んでいますね」
エリスが小声で言う。
「続編の話でしょうか」
「おそらく」
聞きたくないが、聞かなければならない気もする。
それでも今日は、その話は後回しにしたかった。
エレナとカイルが、それぞれ華やかな装いで現れた。
「先生!」
エレナが嬉しそうに駆け寄ってくる。
「今日は本当に綺麗ですね」
「先生もです! 今日くらいは仕事を忘れて楽しみましょう」
「そうしたいです」
カイルも会釈をしながら近づいてきた。
「先生、改めてありがとうございました。あの脚本のままで、王子を演じられたことを誇りに思います」
「カイルさんの演技があってこそです」
「光栄です」
ガルドも遠くから小さく会釈をしてきた。
今日は珍しく、少し砕けた表情をしている。
殿下の姿は、まだ見えなかった。
広間の奥に視線を巡らせながら、心のどこかで彼を探している自分に気づいた。
公開後に話したいと言っていたこと。
その言葉が、まだ頭の中に残っている。
「先生、何を探していますか」
エリスがからかうような声で聞いた。
「……何も」
「殿下のことでは」
「……違います」
「お顔が違うと言っています」
反論できず、私は黙った。
しばらくして、殿下が広間に現れた。
いつもの紺色とは違う、改まった装いだった。
それを見た瞬間、思わず目を奪われた。
殿下がこちらに気づき、静かに歩いてきた。
「先生、お疲れ様です」
「殿下、今日はいつもと違う装いですね」
「祝賀会ですので」
「よくお似合いです」
「ありがとうございます。先生も、今日はとてもお綺麗です」
不意打ちのような言葉に、頬が熱くなった。
「……ありがとうございます」
エリスが、少し離れた場所で何かを察したような顔をしていた。
会が進み、ロドリックの長い祝辞、監督の冗談混じりの挨拶、エレナとカイルの謝辞が続いた。
やがて、招待客たちが歓談する時間に入る。
喧騒の中、殿下がそっと私の隣に来た。
「先生、少し外に出ませんか」
「……はい」
バルコニーに出ると、夜風が心地よかった。
眼下には王都の灯りが広がっている。
祝賀会の喧騒が、ガラス戸の向こうで遠くなった。
「先生」
殿下が静かに口を開いた。
いつもより、声が少し緊張しているように聞こえた。
「公開後にお話ししたいと言っていたことを、今お話ししたいと思います」
心臓が大きく音を立てた。
「……はい」
殿下が、少し言葉を探すように一度黙った。
夜風が、彼の前髪を静かに揺らしていた。
「私は、書籍化前の連載から、先生の作品を読んでいました」
「はい」
「それは先にお話ししました。ただ、お話ししていなかったことがあります」
殿下の視線が、まっすぐこちらに向いた。
「作品だけでなく」
そこで、扉が勢いよく開いた。
「殿下ー! 先生ー! いたいた!」
監督だった。
満面の笑みで、こちらに駆け寄ってくる。
「な、なんでしょうか、監督」
「続編の話、今すぐしたいんですよ!」
「……今ですか」
「ロドリック社長が、興行収入の波が冷めないうちにって、今すぐ会議室に集まれって!」
殿下が、わずかに眉をひそめた。
それは、これまで見たことのない、明確な不満の表情だった。
「監督、今は」
「いやでも社長が呼んでて! 断れないんですよ!」
「……わかりました」
殿下が静かに息を吐いた。
「先生、申し訳ありません。続きは後で」
「……はい」
バルコニーを後にしながら、私は心の中で小さくため息をついた。
殿下が言いかけた言葉。
「作品だけでなく」の後に、何が続くはずだったのか。
考えるだけで、頬がまた熱くなった。
会議室には、すでにロドリックと脚本スタッフ数人が集まっていた。
「先生! 殿下! 続編の企画について話しましょう!」
ロドリックが興奮気味に資料を広げる。
「興行収入が落ち着く前に、続編の制作を発表したいんです!」
「……今からですか」
「儲かるうちに儲けましょう!」
殿下が静かに口を挟んだ。
「社長、続編については慎重に検討すべきだと思います。今は祝賀会の最中です」
「でも勢いが大事なんですよ!」
監督が嬉しそうに言葉を続けた。
「続編、もっと自由にやりますよ!」
その一言に、私は思わず身構えた。
「監督、自由にやる、というのは」
「次はドラゴンも出します!」
「……保留にしていたものですね」
「次回作なら堂々と出せます!」
私は深く息を吐いた。
新しい戦いが、もう始まろうとしている。
殿下も同じことを思っているのか、わずかに苦笑していた。
「ひとまず、続編の企画は次回の正式な会議で検討しましょう」
殿下がそう言って、その場を収めた。
ロドリックも監督も、不満そうな顔をしながらも頷いた。
会議が終わり、広間に戻ると、祝賀会はまだ続いていた。
殿下と二人、もう一度バルコニーに出る機会を探したが、人々が次々と話しかけてくるせいで、なかなか叶わなかった。
夜が更けていく中、殿下がふと私の隣に来て、小さく囁いた。
「先生、続きは、また近いうちに」
「……はい、待っています」
それだけの言葉だったが、十分だった。
祝賀会の喧騒の中、二人だけの小さな約束が、確かにそこにあった。
続編の不安と、まだ聞けていない言葉への期待。
その両方を抱えながら、私は夜空を見上げた。
アイリスの物語は、まだ終わっていない。
そして、私自身の物語も、まだ続いている。
そんな予感が、確かに胸の中にあった。




